絵画の数だけ物語がある 『ロンドン・ナショナル・ギャラリー』で名画の歴史の世界へ
記事:明石書店
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ロンドン・ナショナル・ギャラリー展が、東京に続き、大阪、中之島の国立国際美術館で開催中です。ロンドン、トラファルガー広場にあるこの絵画ギャラリーは、王のコレクションから始まった多くの美術館とはことなり、200年ほど前に民間主導で始まっています。
フランス革命によって多数の美術品が換金のためロンドンへ移動し、続いてナポレオンが収奪した絵画や装飾本が、将軍の失脚後、これも多くがロンドンへと集まりました。その動きのなか、ジョージ・ボーモント卿たち有志が国王ジョージ4世に働きかけ、許可を得てギャラリー設立にこぎつけたのです。
背後には、「格差が広まるなか、上層階級のテイストへの同化を図って民衆を懐柔する」という富裕支配層の意図や、「美術愛好家のすそ野を広げて芸術家の影響力を増す」という大物画家たちの意図があったことは否めません。しかし初代館長イーストレークは民衆の福利に貢献すべく、ギャラリーを憩いの場として開放し(屋内ピクニックもOKでした)、分かりやすい展示と説明を施しました。
コレクションの種となったのは、保険事業などで財をなしたロシア生まれのコレクター、アンガスタインとボーモント卿のコレクションで、そこに初期の館長たちがイタリアやフランダースから買いつけた作品や、経済的な理由で旧家が売却した作品、子孫による散逸をおそれて寄付された作品などが加わり、ギャラリーの土台ができました。
本書ではそのコレクションの幅広さを反映するべく、時代は中世から19世紀の、ジャンルも宗教画、風刺肖像画、肖像画、風刺物語画、歴史画、風景画を取り上げています。
1章は、10歳で王位に就き14歳で民衆蜂起を抑え、32歳で獄中死したイングランド国王リチャード2世の《ウィルトンの二連祭壇画》に描かれる、天使や聖人や王自身の姿を読み解きます。2章では、かつてその「奇妙な静けさ」のため贋作とされたウッチェロの《聖ジョージとドラゴン》を、新たな視点から見直します。
3章では、マセイスが「世界一醜い女」を描いた《醜い老婆》の醜さの歴史的成り立ちを一瞥します。4章ではラッファエッロ作《教皇ユリウス2世》における「戦う教皇」の内奥の表現を、5章では、その教皇とルールなき戦いを展開していたヴェネツィアのベッリーニ作《ロレダン総督》の魅力を、それぞれの国内事情を踏まえて味わいましょう。
続いてロンドンにおけるホルバインの世界、6章は《大使たち》、7章はヘンリー8世の宮廷に関わる人々の肖像です。前者は英仏、教皇庁、ハプスブルグを巻き込む国際政治の最前線を、後者は、そのさなかの暴君による疾風怒濤の宮廷政治の最前線を今に伝えています。
9章では自身がフィクションやノンフィクションの主役となってきたカラヴァッジョの《エマオの晩餐》2作を、その人生の文脈において比較鑑賞します。
10章は、ブリューゲルとアーフェルカンプの「冬景色」を、スペインからの独立と、小氷河期の自然という視点で読み解きます。11章は今に至るヴェネツィアの壮麗なイメージを創りあげたカナレットです。画家の別の一面、「暮らしのナラティブ」を表す絵も含めた魅力をお伝えします。
12章は同時期に活躍した「イギリス絵画の父」ホガースの風刺物語画《当世風結婚》です。画家は、権力者たちの絵画や建築の趣味や婚姻関係を、不道徳な「異国趣味」として表し辛辣にこき下ろしました。
13章は続く時代のフランスの画家、ヴィジェ・ルブランとダヴィッドとの自画像です。革命の嵐のなか、女と男はどんな自己像を打ち出したのか――。これでナショナル・ギャラリー設立の時代まで戻ってきましたね。
さて近年もギャラリーの地下倉庫からは埋もれていた名作が見つかり、それがきっかけとなって所蔵絵画の解釈が深化しています。最終章ではイングランド王室の悲劇を描くことで自国フランスの革命への人々の思いを喚起した画家ドラロッシュの作品、今世紀になって研究が進むクリヴェッリの祭壇画、そして《モナリザ》に引けを取らない謎多き傑作、ファン・エイクの《アルノルフィニ》を取りあげます。
ところで、花鳥風月の日本画を見れば理屈なく「美」を感じて幸せな気分になるのに、西洋の中世・近世の絵を見れば、「美しい」とされている作品を前にしても、幸福感とは遠いざわつきを覚えるのはなぜだろうと思っていました。肉体ではなく、自然の模様・文様化、モチーフ化になじんでそれを美の一つの基準として受け入れてきたせいかもしれません。
今回、ことに「ざわつき」を感じる絵をひろって本にまとめてみて分かったのは、領土拡大戦争、宗教・貿易戦争、疫病の蔓延、国内の権力闘争といった時代の激動がこれらの作品の力に昇華されているということです(生きているうちに一つ納得できてよかった)。