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東千茅×吉村萬壱「極悪対談 生前堆肥になろう」『人類堆肥化計画』刊行記念

記事:創元社

東千茅『人類堆肥化計画』創元社、2020年
東千茅『人類堆肥化計画』創元社、2020年

吉村 この『人類堆肥化計画』っていう本は、みなさん読むべきやと思いますね。大傑作やと思いますわ。あの、コロナ禍じゃないですか。新型コロナで今までの生き方、たとえば会社で働いて給料もらって家族養って…みたいな普通とされてきた生き方がかなり揺さぶられているような状況ですよね。みんな、ある日突然職を失ったりとか、学生さんなんかは来年の就職大丈夫かなとか、これからの自分の生き方や進路にもいろいろ迷っていたり。そういうときに、この『人類堆肥化計画』を読むとですね、ちょっとした人生哲学を説いた本なんかを読むよりも、圧倒的に何かが自分の中で壊れてしまうと思いますよ。僕ですら壊れましたからね。ガツンとこう、くるんですよ。それがね、いいことなのか悪いことなのかもちょっとわからないところがあるんですけれども。

 当たり前のことがどうも当たり前じゃなかったようだとか、この地球っていうのは人間だけのものじゃないなとか…。なんかね、視点が全然変わるんですよね。たとえば、上のほうに神様がいて、その神様に向かってお願いするとかあるじゃないですか。でも本当は下のほうが大事なんじゃないかとかね。足元、地面、大地といったもののほうが、「上」みたいな観念的なものより実ははるかに大事なんじゃないかとかね。いろんな既成概念が壊されるのは間違いないです。高校生とかが読むと、ちょっと難しいかもしれない。学者さんが読むと「ここ間違ってるんちゃうか」とかあるかもしれない。けれども、この熱量は捨てがたいですね。すごいのが出てきたなと僕は思っています。

当日の対談はZOOMで行い、創元社のYoutubeで無料公開された。
当日の対談はZOOMで行い、創元社のYoutubeで無料公開された。

生きること自体をしてみる

吉村 東さんがどういう人なのかっていうのをご存知でない方がたくさんいらっしゃると思うんですけども、東さん自身が子どもの頃からずっと、なにか周囲にすごく違和感を持ちながら生きてきた。そして、いろいろ試行錯誤したその果てに今、奈良県で自給自足の農業をやっているという、そういう人なんですよね。東さん、そのへんの生い立ちと言ったらあれですけど…。なんでそんなふうになってしまったんですか(笑)。

 なんでなんですかねえ(笑)。いちおう本の中に生い立ちは書いてみたんですけど。たまたまちょっと変わった学生時代を送ったので、たとえば小学校のときに三年間台北の日本人学校に行ってたり、あと高校二年生のときにカナダの高校に行ってたり。そういう、物理的にというか空間的に日本を出た経験があったので、日本の主流の文化を相対化することがけっこう早くにできたっていう感じはありましたね。あと、もともとの生まれつきの気質みたいなもので、いわゆる楽しいとされていることだとか、正しいとされていることだとか、そういうのになかなか馴染めないところがあって。かといって自分がやりたいこともなかなか見いだせない時期が長かったんですよね。それは大学をやめるまでずっと続いてたような気がするんですけど。

 そんななかで、やりたいことはないけど、かといって死ぬのもちょっと癪やし。じゃあ、その生きること自体をしてみたらどうなるのか、ということに思い至りまして。つまり、生存することですよね。この現代の日本において、生存するって言うときにはやっぱり畠をやって作物を作って、それを食べて生きるということがいちばん現実的かなと思ったので、試しに大学在学中から畠を借りてやってみたところ、これはなかなか楽しいぞと。

 楽しいっていうのもちょっと違うんですけど…。やりたい仕事をやって楽しいとか、休みの日に買い物に行って楽しいとか、その楽しさとはまた違った楽しさを畠で感じたんですよね。その経験がやっぱり大きくて、そのときはほんの小さな畠を借りてやってただけなんですけど、これを日常化したいというか、生活としていきたいと思ったので、今の奈良県の宇陀市というところにやって来たわけですね。だいぶ端折りましたけど、ざっとこんな感じです。

本書でも引用されている真木悠介の『自我の起源』。
本書でも引用されている真木悠介の『自我の起源』。

大地と格闘しながら生きる悦び

吉村 僕が生い立ちの部分を読んですごくグッときたのは、「存在してしまっていたことに納得がいかない」って書いてあったんですよね。自分がこの世の中に存在するっていうこと。これはまあ、ハイデガー的な意味で言うと存在驚愕というか、まあ奇跡みたいなものじゃないですか。それが東さんは、なんで俺はこの世に生まれてるんやというところを、すごく疑問に思った。「自分を生み出した世界に落とし前をつけさせる」んだと本に書いてあるんですけど。自分の存在にすごく大きな違和感を持っている…、思春期にありがちなことやと思うんですけど、そうなった場合に一方は絶望的になるんですよね。太宰的な方向に行くと。で、もう一方は、誰やろうなあ、まあ例えば檀一雄。檀一雄なんかは、とにかく食べることとかセックスすることとかが過剰なんですよ。ものすごく過剰で暴走してしまって、周りが辟易するような方向に突っ走ってしまうパターンとふたつあると思うんですけども、東さんの場合は檀一雄タイプやと思いますね(笑)。周りをめちゃめちゃにしながら、突き進んでいくような感じやと思いますが。

 もし、東さんが普通の会社とかに勤めててその状態であれば周りは大迷惑すると思いますけど、そうではなくて「大地」というか、何でも来いみたいなところに着地したのがすごいなって思いますね。今までにないパターンだなっていう気がして。それこそ東さんが本のなかで批判されているように、いわゆる里山は牧歌的で素晴らしいところであるとか、微温的なところに着地するんじゃなくて、大地と格闘して自分も傷つきながら、大地を傷つけていきながら生きていくことに根源的な悦びを見出しているっていうのがね、面白いなあって思って。

対談は2時間に及び、視聴者からの質疑応答も行われた。
対談は2時間に及び、視聴者からの質疑応答も行われた。

社会を超えて、世界そのものに反抗する

 僕がこうなったのは、やりたいことが特になかったというのもあるんですけど、あとは時代的なことも関わってるのかなと思うんですよ。というのは、歴史を見れば体制に反対しているような人たちが様々なことをやってきたわけじゃないですか。そういうのは知ってるし、なんかそういうのが出揃ってる感じもありつつ。まだまだ反対すべきことはあるんですけど、なんかちょっと違う形で自分はやりたいなというのがあって。そもそも社会に反抗するっていうよりも、もっと大きな反抗を僕はしたかったんですよね。社会を超えてこの世界そのものというか、僕を存在させたこの世界にどうやったら反抗できるか、そんな考えに至ってたので。

 そのときにやっぱり、徹底的に悦びを味わい尽くすことが、ある種の反抗になるのではないかと。というのは、存在することはもちろん悦びの素地といいますか、まあ生きてないと悦びを感じられないわけで、だけど同時にあらゆる苦しみとか悲しみを感じてしまうっていうことでもあるので。だからそういう状態に自分を追いやったこの世界、自分を存在させたこの世界に対して、苦しみではなくて悦びを感じることで反抗しようと。もっと言えば、苦しみとされるものも、なんとか悦びに変えてしまおうという感じでやってますかね。

吉村 具体的にはどういうときが一番うれしいんですか?……

*この対談の続きは、創元社のYoutubeチャンネルにてご視聴いただけます。

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