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山田脩二×篠山紀信 伝説の写真集『日本村』を語る

記事:平凡社

旧知の間柄の山田脩二さん(左)と篠山紀信さん(右)。2020年9月篠山紀信事務所にて
旧知の間柄の山田脩二さん(左)と篠山紀信さん(右)。2020年9月篠山紀信事務所にて

「写真表現の魅力がすべて入っている」

1963年、笠岡諸島・真鍋島のくらしを撮影。失われつつある「日本村」の表情。
1963年、笠岡諸島・真鍋島のくらしを撮影。失われつつある「日本村」の表情。

篠山紀信 「この『新版 日本村』は442ページ、うちモノクロ写真440ページの大判写真集で、写真表現の魅力がすべて入っている。写真とはこういうものだ......と改めて感じるヨ。写真の匂いがすると言ってもいい」

山田脩二 「42歳で、カメラマンから瓦師・カワラマンになり淡路島に移住、転職して土を焼き瓦製造に深く関わって“地べた 感覚”ということをよく喋ってきました」

篠山紀信 「ここに写されたコロナ前の60年間の日本の変わりようへの驚きをすごく感じる。写真が力を持っていた時代であったことを見せられた思いがするネ」

1961年から63年までの間に撮影された、東京・渋谷の風景。
1961年から63年までの間に撮影された、東京・渋谷の風景。

山田脩二 「写真の力といえば篠山さんの全国を巡回した個展『写真力』は圧巻でしたね」

篠山紀信 「まあ、あの写真の力と山田さんの写真表現は少し違うけど、山田脩二が写真家として活動していた1960年代後半から80年代にかけて、グラフ雑誌やカメラ雑誌が10種類以上発行され、写真の発表の場が数多く存在していましたよネ。それと写真のわかる色々なタイプの編集者も数多かった。写真の絶頂期と言ってもいい。その中 で山田脩二は建築写真家としていたが、じつは時代と絡み合いながら『日本』に目を向ける特異な存在だった」

山田脩二 「当時、多様な理解力を持った編集者に次々と出会いましたが、土の匂いのしない編集者もいました」

篠山紀信 「写真は編集によって伝わることが違ってくる特異な作業なんだよネ。1979年発行の『日本村』は、私と磯崎新、 多木浩二、大辻清司が編集に関わったが、今回の写真集は、山田脩二が企画、編集、デザインまですべてを自分で進めて、印刷、製本に辿り着いた。500枚に及ぶプリントを暗室に入って紙焼きをすることから始める物好きなカメラマンなんてもう日本にはいないヨ。まあ、その結果、2020年の今に至る『日本村』の60年間の軌跡 が、よりパーソナルに伝わってくるよネ。写真家は、時代とリンクしなければ意味がない。また、写真は寝かせれば 寝かせるほど価値が出る......と思っているが、この写真集は、まさにそのことを証明している」

1975年に撮影された東京・豊島園の圧倒的な密集。2020年8月31日に閉園した遊園地の最盛期の混雑ぶりを両観音びらきで掲載。
1975年に撮影された東京・豊島園の圧倒的な密集。2020年8月31日に閉園した遊園地の最盛期の混雑ぶりを両観音びらきで掲載。

山田脩二 「余計な冗談と本気もありますが、私、大小あちこちの『町おこし』に関わってきて、いつも最初に言うのは『町はおこすな! ゆっくりじっくりよく寝かせてから叩きおこせ......』と。寝る子は育つ」

2017年東京スカイツリーからの展望。作品解説を執筆した、神戸芸術工科大学教授の山﨑均さんは、高層ビル群を踏みつけるスカイツリーの影を「ゴジラの擬態のよう」と表現している。
2017年東京スカイツリーからの展望。作品解説を執筆した、神戸芸術工科大学教授の山﨑均さんは、高層ビル群を踏みつけるスカイツリーの影を「ゴジラの擬態のよう」と表現している。

新版『日本村』1960-2020 表紙と特装ケース
新版『日本村』1960-2020 表紙と特装ケース

●判型:B4変型判(28.5×28.5cm) ●造本:上製・糸かがり綴じ・スリーブ付き ●ページ数:442ページ ●写真点数:モノクロ586枚・カラー2枚 ●定価:本体12,000円[税別] ●2020年11月26日発売

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