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三島由紀夫の「遺伝子」は演劇においてどのように継承されたか?

記事:白水社

岸田國士や福田恆存をはじめ、アングラからメタシアター、アンドロイド演劇まで、50年間の劇作家たちによる「様々なる趣向」を検証! 日比野啓著『三島の子どもたち──三島由紀夫の「革命」と日本の戦後演劇』(白水社刊)は、仮フランス装・天アンカット仕様。正統なる現代演劇史。
岸田國士や福田恆存をはじめ、アングラからメタシアター、アンドロイド演劇まで、50年間の劇作家たちによる「様々なる趣向」を検証! 日比野啓著『三島の子どもたち──三島由紀夫の「革命」と日本の戦後演劇』(白水社刊)は、仮フランス装・天アンカット仕様。正統なる現代演劇史。

三島由紀夫とその時代

 アングラ・小劇場演劇の書き手たちが三島由紀夫の「子どもたち」だというのは、三島戯曲の影響を直接受けた、という意味ではない。

 なるほど、グッドマンが書くように、三島は「戦後の日本において生は日本文化の根本から切り離されたゆえに空虚で無意味である、という感覚」(Goodman, David G. Japanese Drama and Culture in the 1960’s: The Return of Gods. M.E. Sharpe, 1988, p. 19.)をもっとも素直に戯曲の形式と内容の両方に刻み込んだ。

 だが新劇あるいは商業演劇で上演される三島作品を熱心に見たアングラ・小劇場劇場の作り手たちはごくわずかだろうし、生前の1962年に新潮社から刊行された『三島由紀夫戯曲全集』を手にとった劇作家・演出家も多くないだろう。だが時代の移り変わりとともに変わっていく特有のエトスを誰よりも早く摑みとった三島は、アングラ・小劇場劇場の感受性と共振する、あるいは先取りすることがよくあった。

自宅でインタビューを受ける三島由紀夫(1967年、朝日新聞)
自宅でインタビューを受ける三島由紀夫(1967年、朝日新聞)

 三島のあからさまさ、その身も蓋もない率直さは、そのような時代の貌[かお]の一つであるとともに、三島という文化的アイコンの魅力でもあり、アングラ・小劇場の作り手たちが芝居づくりにかかわるあらゆるタブーや生真面目さを払拭するときにも大きな力となった。

 それはただ、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で決起を呼びかけることを構想する破天荒さと、たとえば劇場を捨ててテントや野外で公演を行なうことを考える「型やぶり」な想像力は、既存の思考形態に頼らないという意味で繋がっていた、ということだけではない。

 もっと重要なのは、三島がデビュー間もないころから、その破天荒さを他人に受け入れさせるだけの文化的権威を手に入れていたことだ。

 戯曲なぞ、作家の妄想をただ紙に垂れ流すだけでいい、登場人物は所詮作家の操り人形であって、実体を持たない記号として便利に使えばよい──ようするに、江戸期の狂言作者と同じでいいのだ、ということを三島のような「一流の文化人」が実践してみせたからこそ、知識人たちはしぶしぶ言うことを聞いた。

 年下のアングラ・小劇場劇場の作り手たちだけが「型やぶり」だったとしたら、すでに1950年代の空前絶後の新劇ブームは終わっていたとはいえ、まだ鼻息の荒かった当時の新劇人たちはどこまで相手にしていただろう。ヨーロッパ近代とその思想への信仰は依然として篤く、若者のサブカルチャーがマスコミに興味半分でとりあげられたからといっても、文化諸表象の位階構造はそう簡単には揺るがなかった。

 戦後演劇全体を俯瞰すれば、1980年代以降、かつての若者たちが社会の中核を占めるようになってから書き換えられた、アングラ演劇による「文化革命」の物語は相当割り引いて考えなければならないことがわかるはずだ。

日比野啓『三島の子どもたち──三島由紀夫の「革命」と日本の戦後演劇』(白水社)P.4─5より
日比野啓『三島の子どもたち──三島由紀夫の「革命」と日本の戦後演劇』(白水社)P.4─5より

 最後に、先人たちの作品に隠れひそむモチーフや原型的想像力を見抜いて、全く同じように使いこなしてみせる三島の才能は、三島に与えられた天賦のものだったけれども、1950年代から60年代にかけてレコード、映画やテレビ、漫画といった複製芸術が社会にそれまでにない勢いで浸透していくにつれて、一般の人々においても同一性や反復を認識する能力が飛躍的に高まっていったことも見逃せない。

 当然のことながら、それはアングラ・小劇場劇場の作り手たちのなかで「型」への意識を呼び起こすことになり、形式への鋭い感覚を培うことになった。

 内容において思想的深みを追求する小山内薫や久保栄らの路線から、見る者の感性の変容を促すような形式を探求する岸田國士の路線に戦後演劇が切り替わるにあたって、三島は、井上ひさしや寺山修司という、同様に時代に先んじてこのような形式への鋭い感覚を持つにいたった作り手たちと並んで、不可欠な役割を果たした。

 三島の「革命」によって日本の戦後演劇は大きく変わったのだ。

【『三島の子どもたち──三島由紀夫の「革命」と日本の戦後演劇』序章より】

目次

凡例
序 章 三島の子どもたち──三島由紀夫の「革命」と日本の戦後演劇
第一章 岸田國士の「生々しさ」──その二つの審級
第二章 福田恆存の「アメリカ」──『解つてたまるか!』を本当の意味で解る為に
第三章 三島由紀夫の「アンチ・テアトル」──あるいは孤忠を待ちながら
第四章 井上ひさしの「趣向」──形式から漏れ出る私性
第五章 別役実の「歴史感覚」──ベケットから遠く離れて
第六章 つかこうへいと「日本的なメタシアター」──離れ業としての劇中劇
第七章 野田秀樹と「神秘主義と悲劇」──あるいは「片づける」方法について
第八章 北村想と「八〇年代小劇場演劇」──その歴史的必然と三つの特質
第九章 平田オリザと「贋物の美学」──真正性と贋物性のあわいで
グッドマン「先生」と私──あとがきにかえて
人名・事項索引

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