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依存症の時代とアルコホーリクス・アノニマス

記事:明石書店

『アルコホーリクス・アノニマスの歴史――酒を手ばなした人びとをむすぶ』(明石書店)
『アルコホーリクス・アノニマスの歴史――酒を手ばなした人びとをむすぶ』(明石書店)

 アルコホーリクス・アノニマス(Alcoholics Anonymous AA)を、ご存知ですか? 世界に200万人ものメンバーを擁する、断酒に取り組む国際的な自助グループです。初めてこの名前を目にした方も多いかもしれませんが、米国ではドラマや映画を観ていると、登場人物が日常的な会話でなんの説明もなく「AA」というその略称を口にしているくらい(字幕や吹き替えではたんに「断酒会」という訳になっていることが多いのですが)、誰でもふつうに知っている団体なのです。そして、このAA、さまざまな自助グループのモデルになっています。精神医学の重要な教科書でも、標準的な治療法としてAAが引きあいに出されています。同じ悩みをもつ者どうしが語りあい、自らの悩みや課題を受け入れて互いに支えあう自助グループは、患者会や家族会、遺族会など、人の痛みを分かち合う大切かつ有効な実践として広く認められ知られるようになってきました。たとえば、米津玄師の「Lemon」のミュージックビデオなどにも、自助グループの集まりらしき場面が登場しますよ。

 自分の苦しみを語ることにより、荷を下ろして癒される、という方法は、それまでも宗教運動や禁酒運動のなかにありましたが、長続きしませんでした。自助グループのような事業は、創始者個人の献身的な働きに負うところが多く、それだけに創始者の色や創始者のカリスマに左右され、ともすれば創始者の病気や死とともに自然消滅してしまいかねないからです。AAは、それら先行する運動の財産を受け継ぎながら、世界に広がる自助グループネットワークのかたちに練り上げる場となりました。

 ここにご紹介する『アルコホーリクス・アノニマスの歴史――酒を手ばなした人びとをむすぶ』は、現代のさまざまな自助グループのモデルとなったAAの、始まりから20世紀末までの歴史を追い、分析した本です。

 本書の第一部は、AAの誕生と成長、そして、二人のカリスマ的な共同創始者が年老いて、彼らの死後もAAを存続させるためにはどうしたらよいかを考え抜き、彼らの全権をAAという共同体そのものに託すまでの物語です。第二部は、AAの思想(プログラム)の背景となっている、時代思潮や宗教思想の分析で、いわば依存症の神学ともいえる内容になっています。また、大部の二つの補遺(それぞれ本1冊分あります)で、AAのなかの宗教性をめぐっての分派や非主流派の動きや、共同創始者の死後に実際にAAという共同体がどのように問題に取り組んだかを詳細に述べています。たとえば、メンバーの自発的で無報酬の参加が回復の鍵であるのに、AAで回復したメンバーが依存症の治療を生業としたとき、それをどう受け入れるか。アルコール以外の依存も抱える者や、共同体内部での人種差別をどう扱うか? この補遺は、NPOなどの組織の運営に苦労された経験をお持ちの方や、組織の力学に興味をお持ちの方にはことに興味深いことでしょう。神学や宗教思想に関心があれば、第二部から発見があるはずです。

 本書の歴史的な意義に鑑みて、原著の出版から40年あまりを経たいま、邦訳を刊行することの意味にも注目しておきたいと思います。

AAの共同創始者のビル・ウィルソンとその妻が晩年に暮らした家、ステッピングストーンズ(ニューヨーク州カトナ)
By Daniel Case - Own work, CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=10775320
AAの共同創始者のビル・ウィルソンとその妻が晩年に暮らした家、ステッピングストーンズ(ニューヨーク州カトナ) By Daniel Case - Own work, CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=10775320

人間の弱さとアルコール依存症

 人間は(ひとりひとりでも集団でも)有限な弱い存在です。努力して長所のほうを伸ばした人は多いでしょうし、その限界や弱さを完全に近いかたちで克服できた人もまれにいるかもしれません。ただ、見ないふりをしたり、隠したり、強がったりするために、無理をすると、その無理が別の苦しみになって現れることがあります。私たちが大なり小なり感じている生きづらさをやわらげるために、アルコールという薬が使われてしまうことがあるのです。自分の痛みをやわらげるために飲むアルコールの量が、やがて不十分になり、もう少し、もう少しと多くなっていきます。大量の飲酒は消化器系にせよ循環器系にせよ神経系にせよ、負荷をかけて少しずつ全身をむしばんでいきます。アルコール依存症かどうかを決める一線というのはないのですが、体全体が少しずつ悪くなっていきます。ここで気づいて禁酒する人もいますが、禁酒そのものは簡単でも、禁酒を続けるのがむずかしいのです。(断酒を)「約束したのに破る」、「強く決意したのに貫徹できない」、(飲酒を)「制止しようとした人に怒りを向ける」といったことが起こり、支えてくれる周囲の人との関係が壊れていきます。結果として、人としての生きる価値や信念、信仰や、自負、自信が崩されてしまいます。体も心も、人間関係も信頼も壊されてしまう病気なのです。

 こうしてみると、アルコール依存症は弱い人の病気と思ってしまうかもしれません。ところが実際には、仕事ができる人、強い人と思われている人が、自身を支えるために無理をしているということがあったりします。まじめな努力家が、そのようにあり続けるために、みずからを追い込んでしまうということがあるのです。

 先に述べたように、アルコール依存症かどうかを血液検査などのデータで確認することはできません。アルコール依存症を検査するテストとして広く知られているものに、CAGEテストというものがあります。これは、C(Cut down)、A(Angry)、G(Guilt)、E(Eye opener)の4語の略で、アルコールの量を減らそう(Cut down)と思ったことがある、飲酒を注意されて腹を立てた(Angry)ことがある、飲酒に罪責感を感じたことがある(Guilt)、朝に(出勤時などに)手の震えなどを押さえるために迎え酒(Eye opener)を飲んだことがある、この四つの経験をきいています。「依存症」らしいのは最後の迎え酒だけで、あとの三つはいずれも本人の経験と気持ちであることに気づかれたでしょうか。とくに、飲酒を批難されて「気にさわった」とか、飲酒を「悪いとか申し訳ないと感じた」といった経験と気持ちが、依存症を隠そうとしたことがある、すなわち依存症を持っているしるしということになるのでしょう。「迎え酒」のような、外面の行動に現れる特徴ももちろん重要な症状ですが、他人には理解されない感情面、内面の苦しみこそが、この病気のもっとも辛く、またもっとも理解されにくい面といえるでしょう。

 彼らがめざす「酒のない生活」は、たんに飲むのをやめるということではありません。我慢は続きません。どうやって飲まないでいるのか、禁断症状や、口寂しさや激情や心の疲れや寂しさといった危険な状態にどう対処するかの学習も含んだ、新しい、もう二度と飲まない生き方を学習する共同体なのです。

名前をもたない、ということ

 この苦しみを正直に語り、仲間の痛みを聴くことで、AAでは、メンバーが断酒を続けていく力にしています。「Alcoholics Anonymous」とは、「無名のアルコール依存症者」という意味です。しかし、この「名前をもたないこと(anonymity)」という語には、もっと多様な意味が込められています。まず、AAには、メンバーのプライバシーを保護するためにフルネームを伏せるという決まりがあって、メンバーは、自分自身の名もほかのメンバーの名も、「公の場では」伏せることになっています。

 でも、彼らのいう「名前をもたないこと」には、さらに深い意味があります。アルコールへの依存という自分の名を傷つける不名誉な問題と関わるなかで、それまでの人生で達成した名誉や、「ふつうに飲める(飲みたい)」人間としての名前を手放すのです。自分はアルコール依存という問題を抱えてなんとか生きている人間であると、何度もくり返し確認する場がAAなのです。

自ら依存症の苦しみを体験した元神父が著者

 興味深いことに、このAAを研究することになった著者のアーネスト・カーツ自身も、アルコール依存症の苦しみを経験し回復した司祭(神父)です。カーツは司祭時代に自分がアルコールに依存していることに気づいて、司祭用の回復施設で3か月の治療プログラムを経験しています。司祭としての活動のなかで、病者の訪問のおりに出会うユダヤ教の教師(ラビ)と親しくなり、ユダヤ教のさまざまな物語にもふれ、物語のもつ力に注目するようになっていきます。そして、メンバーがひとりひとり自分自身の回復を物語るAAと出会い、宗教的観点から、人間心理の観点から、思想の歴史から関心をもった彼は、ハーバード大学の大学院に進み、AAの歴史を研究して博士論文を書き上げます。在学中も日曜日は司祭としてミサを司式したり、病院で患者の相談に乗ったりすることで生活費と学費を得ていたといいます。その熱意と姿勢によって、AAの創立期の古参メンバーたちから信頼され、彼らにインタビューをし、また手紙や記録を見ることを許され、この類をみない詳細な仕事がかたちになったのです。

 彼はこの研究を活かし、大学やアルコール依存症についての啓発活動にとりくんで広く教育的な講演を行うとともに、彼を助けた回復施設のカウンセラーも務めました。また、人間としての有限さに直面した経験を活かして、宗教伝統の物語を豊かに再解釈する自己啓発的な書物も複数執筆しています。

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