美しすぎる錦絵をすみずみまで堪能する 江戸末期の大坂を描いた『原寸復刻「浪花百景」集成』
記事:創元社
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江戸時代後半、現代風に言えば旅情を誘う書籍や錦絵が刊行され、知識人から庶民に至る幅広い層で受容された。先行したのが、『都名所図会』や『摂津名所図会』などの名所図会であり、一九世紀になって、天保年間(一八三〇~一八四四)に葛飾北斎『富嶽三十六景』、歌川広重『東海道五十三次』などの錦絵揃物(そろいもの)が登場する。これらの評判は高く、幕末も近い安政年間(一八五四~一八六〇)に出た広重の『名所江戸百景』に触発されて、各地を描いたさまざまな錦絵の揃物が制作される。
大坂は、七世紀に難波宮(なにわのみや)が置かれ、中世は大坂本願寺、さらに近世は豊臣氏の大坂城が築かれて繁栄した。「天下の台所」と謳われる商工業の都であり、近世を通じて京や江戸と並ぶ三都として盛名を馳せた。大坂を描いた『浪花百景』も、幕末に流行した錦絵揃物の一つである。大坂の歌川派絵師である歌川国員(うたがわくにかず)、南粋亭芳雪(なんすいていよしゆき)、里の家芳瀧(さとのやよしたき)が競作し、船場 の板元・石川屋和助から刊行された。
『浪花百景』の本格的な研究がなされはじめたのは近年である。地元大阪で特に愛される作品だが、神社仏閣や祭礼をはじめ、身近な景観を題材としたこともあって、絵師による創作部分を史実と混同することや、無批判に伝承を信じた誤解や間違った作品解釈が、現在まで継承されていることもある。
大阪市立中央図書館が所蔵する、摺りと保存状態が良好な全一〇二作品(目録二点含む)を底本として、原寸大で復刻画集を刊行するのも、『浪花百景』が、将来も美術愛好者や研究者、広く一般読者にも普及することを願うとともに、学術研究を推し進め、改めて『浪花百景』の実像と真価を問うことにある。特に今回は、作品を十二分に鑑賞いただくために、高解像度でスキャニングし、極力現物の色彩を再現すべく色調補正を施している。
本文では現時点での最新の研究・論考と、美術史的視点も加味した作品解説を付すとともに、これまでの研究史や異本比較だけでなく、国内の主要施設に加えて欧米を中心とする海外の美術館・博物館が所蔵する作品リストも編集した。
『浪花百景』は研究途上であり、日本史や美術史のみならず、多様な立場からの今後の研究や活用が期待される。
『浪花百景』との出会いは昭和五三年(一九七八)のことである。東京の大学への進学で大阪を離れることになり、カセットテープに上方落語を録り溜めた。『浪花百景』を図案に散りばめた昆布か菓子の包装紙があったので、一図ごと切り抜いてカセットケースにはめ込んでみると、雰囲気がぴたりと合った。六代目笑福亭松鶴(しょうふくていしょかく)「高津(こうづ)の富(とみ)」や桂米朝(かつらべいちょう)「地獄八景亡者戯(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)」などのケースを『浪花百景』が飾り、その時の記憶からか、『浪花百景』の画面からは、つねに人の声が聞こえる気がする。
美術の仕事に携わってからは、『浪花百景』について『天神祭――火と水の都市祭礼』(大阪天満宮文化研究所編、思文閣出版、二〇〇一年)や、堂島を描いた絵画をテーマとした『大阪の歴史』第七一号(二〇〇八年)で触れたほか、大阪市立総合生涯学習センターの情報誌「いちょう並木」での連載(『橋爪節也の大阪百景』創元社に再録)でもしばしば取り上げた。また、道修町(どしょうまち)文化講演会や、いちょう大学同窓会など市民講座をはじめ、大阪「NOREN」百年会や大阪久宝寺町卸連盟(きゅうほうじまちおろしれんめい)の五〇周年記念でも『浪花百景』にからめた講演をし、いつの間にか『浪花百景』は私にとって一つのライフワークになっていた。
古き大坂を描いたこの揃物は、学術研究の対象であるだけではなく、現代の大阪の街づくりに活かしたり、市民が歴史を知り地域への誇りを感じるための貴重な文化資源でもある。本書の執筆・編集ならびに原図の原寸復刻に当たっても、幅広い立場で本書を求める人たちに役立つため、最新の研究を踏まえて正確な知識を提供し、問題提起をする本となることを念頭に置いた。
執筆者の一人、曽田めぐみさんとは、平成二五年(二〇一三)にケンショク「食」資料室所蔵本をもとに、雄松堂書店より刊行した『大日本物産図会』以来の本格的な揃物の復刻と、解題を付す仕事となる。『大日本物産図会』の執筆・編集で直面した名所図会などからの図の転用の問題が、『浪花百景』にもあることを確認できた。
その時の体験を踏まえて検討した結果、以前から疑問だった天保山(てんぽうざん)の景観や、玉江橋(たまえばし)を渡る浪花隊とされてきた一団について、今回一つの新しい見方が提起できたと考えている。板元の石川屋和助も、書店や絵草紙屋が多かった心斎橋筋(現行の町名ではなく、戎橋の北側から土佐堀川までの筋を指す)の出版文化を意識し、船場の街の構造にからめて触れることができた。
さらに本書の成果として、歌川派による将軍家茂の上洛シリーズの錦絵との近親性や、大坂出版界に絶大な業績を残す暁鐘成(あかつきのかねなり)や松川半山(まつかわはんざん)と、歌川派三人の絵師たちの関係も視野に入ってきた。三人のなかで最も若い芳瀧は、「人魚洞(にんぎょどう)」を名乗った川崎巨泉を養子に迎えており、幕末の文化的伝統が変容しながら近代の大阪に伝わったことも確認できる。また、同じ『浪花百景』と銘打っても、初代長谷川貞信(はせがわさだのぶ)のほうが画面の密度や描写が精巧であるにもかかわらず、歌川派三人の合作のほうが現代人に親しみやすい理由として、画面のデザイン性やアイキャッチとしての明快さがあることも実感した。
こうした地誌や風俗もからんだ作品群の場合、先入観を捨て、画面に描かれているものが何であるかを、余さず読み解くことからはじめるのが研究の基本である。それは学術研究だけではなく、絵画鑑賞でも同じ姿勢が必要だろう。絵師が画面に描き込んだモチーフで何をアピールしたかったのか、それを画面と睨めっこしながら読み解くのが鑑賞者の楽しみである。その一助となるべく各図の情報を論考や作品解説等に盛り込むことにした。
先に記したように、私が『浪花百景』をライフワークと思う原因の一端は、学生時代の落語のカセットケースにある。本書を手に、人の声が聞こえてきそうな街の賑わいを感じていただければ幸いである。
*本書の内容は、創元社のYoutubeチャンネルにてご視聴いただけます。