阪神・淡路大震災から26年 被災者の心すくい取る
記事:世界思想社
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震災をどう語るか。多くのアプローチの仕方がある。本書は阪神・淡路大震災発生時に被災地西宮市に居住していながら運良く大きな被害を受けなかった著者が、自ら体験したボランティア活動について考察したものである。 但(ただ)し、ボランティアや防災の意義や価値などについて声高に主張しようとしているものではない。タイトルが示すように、被災者がそれぞれの立場で、何を考え、どう行動し、その後どう生きてきたか、その軌跡を追ったものである。
しかも、避難所となった中学校の校長、教頭、それに数人の被災者たちへのインタビューなどを通じて、被災当時やその後の思い、生き方を丁寧かつ具体的に掬(すく)い上げている。それぞれの回答を話し言葉そのままに記録紹介してあるので、被災当時の心の動きや被災後の長い歳月を振り返っての心境が、実に生き生きと胸に届く。著者自身の記録や当時避難所だった中学校の記録などを丹念に紹介していることも、震災当時の被災者の状況がリアリティをもって伝わるのに役だっている。
二十年というスパンを経て、当時を振り返り、ボランティアのあり方について、さりげなく語る著者の姿勢が実に内省的で好感あふれる。例えば、当時、高校生だった女性が、避難所生活を終える頃。親しかったボランティア数人に「体育館で寝たことあるかあ?」「足腰痛いんやでえ」と初めて言った言葉について触れたくだりなどが象徴的だ。ここには、共感を求める「彼女なりの配慮」が込められているという。確かに、「あなたには大変さが分からない」と不満を訴えているのではない。ボランティアとは、何かをしてやることではない。こうした些細(ささい)なことから被災者を思いやり、心のつながりを築くことにあると、暗に、しかし、大きな説得力をもって述べているのだ。今後も絶えることのないさまざまな災害を乗り越えるのに欠かすことのできない姿勢に貫かれた一書である。
(2016年6月26日付「読売新聞」に掲載された書評より)