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大らかな多様性の国――『現代カナダを知るための60章【第2版】』の読みどころ

記事:明石書店

カナダ最大の都市トロントの市庁舎前広場でスケートを楽しむ人々(矢頭典枝撮影)
カナダ最大の都市トロントの市庁舎前広場でスケートを楽しむ人々(矢頭典枝撮影)

 カナダと言えば、今や「大麻を合法化した先進国」として知られてしまった。もちろんそれは科学的理由にもとづき、かつ条件付きではあるのだが。見方によっては、これはとんでもないことと映るかもしれない。しかし、その思想の底流には、先入観や束縛から解放された自由、寛容、そして新しいバランス感覚がひそんでいる。それがカナダだ。

“孝行娘”としてのカナダ?

 イギリスに“絶縁状”をたたきつけ、独立を勝ち取った“反抗息子”がアメリカだとすれば、カナダはいつまでもイギリスに忠実な“孝行娘”だった。カナダには独立戦争も大革命もなかった。政治指導者の暗殺はなく、犯罪率もアメリカに比べてはるかに低い。銃の規制も厳しい。そして政治的に安定しているゆえか、カナダは「穏和な王国」としての長閑さ、単調さ、そして退屈な国、ととらえられがちだった。

 いやいや、実際にカナダに目を向けてみると、それがいかに短絡的イメージであるかがわかる。多文化共生をはじめ人間社会の抱える課題への挑戦、伝統にこだわらない個性ある創造活動の広がり、異文化間の調和を実践する試み……などなど。要するに、意表を突いた面白さがたっぷり詰め込まれている国、それがカナダだ。

 『現代カナダを知るための60章【第2版】』は、そんなカナダの多面的な姿、お隣のアメリカと一味も二味も異なるユニークな国の在り様などについて、学際的な視点から一般読者向けに書かれたものである。カナダ関連の本は巷にいくつも見かけるが、それらと違う本書の特徴を、現代カナダの姿をからめながら以下紹介していく。

首都オタワの連邦政府機関の受付。両公用語で対応できることを示すサインがある。職員はまず“Hello, bonjour”という「バイリンガル挨拶」を発し、利用者が応答した言語で対応する。(矢頭典枝撮影)
首都オタワの連邦政府機関の受付。両公用語で対応できることを示すサインがある。職員はまず“Hello, bonjour”という「バイリンガル挨拶」を発し、利用者が応答した言語で対応する。(矢頭典枝撮影)

多様性のカナダ

 第1は、カナダ独自の「深い多様性」について、様々な角度から深く触れている点だ。

 この国には「公式のカナダ文化」というものはない。お互いに異なる民族的・文化的多様性の尊重こそが、カナダ的価値とされる。ならば、その具体的政策や現象とはどんなものか?

 またカナダは英語・フランス語を公用語とするバイリンガル国家だ。では、言語的二重構造の「国のカタチ」とはどんなものだろうか?

 さらには、移民や難民を積極的に受け入れる政策を展開しているが、その背景や実態は? これらはほんの若干例にすぎないが、本書ではこうした多様性をめぐる現代的テーマが興味深く論じられている。口では「多様性」を唱えながらも、日本社会はまだまだ根深い「均質性」に囚われているのが実情だ。私たちがカナダから学ぶことは多い。

先住民への新たな眼差し

 本書の特徴の第2は、“最初のカナダ人”として、先住民を大きく扱っている点だ。先住民は、長らくカナダ社会のなかで、いわば「傍流」でしかなかった。しかし20世紀後半から一般カナダ市民の対先住民観が、劇的に変化する。その存在の意味の大きさが再認識されるようになったのだ。背景には、前述の多様性を肯定的に受け入れる市民の側の意識変化や、民族学などの大きな進歩があった。今や、先住民抜きにカナダは語れない。

 幸い、日本でも優れたカナダ先住民の研究者が育っており、本書では、先住民社会の実態からアートまで、確かなその成果をみることができる。“カナダ一般書”のなかで、先住民をこれほど本格的に扱った日本語の文献は、本書が初めてだろう。

カナダ北西海岸先住民のトライバル・ジャーニー2018式典の様子(岸上伸啓撮影)
カナダ北西海岸先住民のトライバル・ジャーニー2018式典の様子(岸上伸啓撮影)

学術知にもとづいた視点

 第3の特徴は、国家的・社会的枠組み理解のために、政治・経済のみならず、日系カナダ・フランス語系ケベック、さらには教育・文学・文化などに至るまで、幅広いテーマが扱われている点だ。しかし、それらが単なる事情通による物語、あるいは表層的博覧図として終わっていないところにも、本書の特徴がある。執筆者はすべて学問的専門性およびディシプリンに支えられた人たちばかりだ。学術書ではないが、こうしたしっかりとした思考や視点を土台に、各テーマが論じられる。だから大学の教材として活用されるのにも遜色はない。

 また、「地理は歴史の舞台」と言われるが、この言葉はカナダにピッタリだ。広大な国土、強い地域主義、寒さを共通体験とする北方文化など、これらはカナダ理解のための重要ファクターである。冒頭セクションの「国土・環境」では、その基本がよく整理された形で描かれる。そこから読者は、日本とは非対称的なカナダの風土的地盤を読み取ることができよう。

奇抜な発想か常識の実現か

 そして第4の特徴は、新しさだ。すなわち、新しいカナダの社会現象が新しい発想でいくつも語られている点だ。先述したように大麻の合法化がその好例である。本書では、法学および経済学の視点から、その様相が説得力豊かに解説される。また、同性婚の合法化、セクシュアル・マイノリティに対する寛容な態度、伝統的家族形態の弱体化など、劇的に変貌しつつある現代カナダ社会の断面が、驚きをもって読み手に迫ってくる。さらに加えて、英語版国歌に見る男性優位ととれる歌詞の一部を、ジェンダーの対等性に反するとして、変更させてしまう。カナダには、そんな思い切ったことをやってのける一面もある。

 こうして本書を読みすすめると、古い価値観に拘束されないカナダの大らかで自由な姿、それがいくつも眼前に迫ってくる。

本書刊行の意義とは

 総じて、本書刊行の意義はどこにあるだろうか。第一義的には、もちろんカナダという新しい「他者」、しかもそのユニークな姿を読者に理解していただく点にある。

 だが、今ひとつ別の次元からの見方もある。お堅い話だが、日本学術会議の報告によると、日本のかつての地域研究は、量・質ともに向上してきた、という。だが最近では、地域研究の重要性の認識や取り組み方に弱体化傾向が窺われる、との懸念が指摘されている。大学や研究機関における研究環境の変化など、その要因はさまざまであろう。

 とはいえ、こうした逆境のなかにありながらも、明石書店の「エリア・スタディーズ」の一環として本書が刊行された意義は、まことに大きい。本書が、地域研究のさらなる活性化にいささかでも貢献できれば幸いだ。

 なお、旧版は『現代カナダを知るための57章』(初版2010年)だが、今回のリニューアル版は、実質的にほぼ新刊書である。

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