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『第三の性「X」への道――男でも女でもない、ノンバイナリーとして生きる』 セクシュアリティに悩む人たちへ

記事:明石書店

「2015年12月にホルモン注射を打ち始め、17年1月に乳房の切除手術を受けたのは、自分が男でも女でもなく、第三の性であるノンバイナリーだと気づいたから。女性であることに違和感があったが、女として生まれ、女として生きてきたので、自分が男だという感覚にもなれなかった」

 これは、来日時のインタビューにおけるジェマ・ヒッキーさんの言葉である(NIKKEI STYLE 2019月3月1日付記事「LGBT実録映画、女性から第三の性へ 自分探しの旅 LGBT運動家のジェマ・ヒッキーさんインタビュー」)。

 私はこの言葉に目を見張った。それまでホルモン注射や乳房切除手術を受ける人は、性同一性障害(この場合は身体的性別が女性、性自認が男性)に該当するのだと思っていた。しかし、ジェマさんは男でも女でもないという。

日本における「性同一性障害」と「Xジェンダー」

 日本では、医療機関でホルモン療法や性別適合手術を受けるには医師による「性同一性障害」の診断が必要となる。当事者の間では、精神科での診察の際に、診断が出やすくなるように典型的なエピソードを意識的に盛り込んだという声も聞かれる。たとえば、FTM(Female to Male 女性から男性へ)ならば制服のスカートが嫌で仕方なかった、MTF(Male to Female 男性から女性へ)ならば女の子とままごとで遊んでいたという具合だ。FTMの人がメイクを楽しんでいたり、MTFの人が格闘技好きだったりしても言いづらい雰囲気がある。近年この状況は改善されているものの、FTM(MTF)の人が過剰に男性(女性)らしく振る舞おうとする傾向があることは否めない。

 男女どちらの性別にも当てはまらないあり方を指す言葉として、日本でも「中性」「Xジェンダー」などの言葉が知られている。しかし、性別適合手術を受けて戸籍上の性別を変えようとする人の中には、「中性」や「Xジェンダー」を男女どちらかはっきりしない存在、男女どちらにもなりきれない人というネガティヴなイメージに捉える向きもある。

 私自身もジェマさんと同様、誕生時に割り当てられた性別に違和感をいだいている。反対の性別で生まれた人と同様の身体になれるものならなりたいが、現代の技術では不可能だ。外見だけそれらしくなっても私にとってはあまり意味がなく、様々な困難を冒してまで反対の性に同化しようとは思わない。かといって割り当てられた性別のままでは居心地が悪いので、中性とでも名乗っておく、という感じだった。

 しかしジェマさんは、至極ポジティヴに、男女どちらでもない「ノンバイナリー」を自認している。女性から男性になるためでなく、自分自身であるためにホルモン注射や乳房切除手術を受けることを選択している。

彼でも彼女でもなく、「they」

 私がジェマさんのことを知ったのは、残念ながら日本での講演や映画上映のイベントが終わった後だった。ジェマさんに直に接することは叶わなかったが、自伝の出版を準備中とのことで、翻訳に携われればと考えていた。そして翌年、翻訳出版権エージェントから、ジェマさんの著書“Almost Feral”の情報が入ってきた。胸を躍らせながら手を挙げ、弊社からの邦訳出版が実現した次第である。

 翻訳は、『見えない性的指向 アセクシュアルのすべて』(明石書店)をはじめジェンダー・セクシュアリティ関連の訳書も多く手掛ける上田勢子さんが快く引き受けてくださった。アメリカ・カリフォルニア州在住の上田さんには「訳者あとがき」で、アメリカをはじめとする海外のLGBTQ事情や、ジェマさんも好んで使っている性別を限定しない代名詞「they」についても解説していただいた。

『第三の性「X」への道――男でも女でもない、ノンバイナリーとして生きる』(明石書店)。このカバーデザインを、読了後にもう一度眺めていただきたい(装丁・谷川のりこさん)。
『第三の性「X」への道――男でも女でもない、ノンバイナリーとして生きる』(明石書店)。このカバーデザインを、読了後にもう一度眺めていただきたい(装丁・谷川のりこさん)。

性別に違和感があっても、自らの存在を肯定する

 ノンバイナリーという言葉の原義は、バイナリー(二元の、二項対立)でないこと、すなわち分けられないことである。転じて、性自認やジェンダー表現が男女どちらの枠にも当てはまらない人や、当てはめる必然性を感じない人のことを指す。ジェマさんは2017年、出生証明に性別を限定しない記載をすることをニューファンドランド・ラブラドール州に要求した。このことが州の法律を変えるきっかけとなり、ジェマさんはカナダで初めてのノンバイナリーの出生証明を取得し、また性別欄に「X」と記載されたジェンダー・ニュートラルなパスポートを初めて手にしたカナダ人の一人となった。

 ジェマさんがここまでたどり着くには、幾多の苦難があった。

 1976年、ジェマさんはカナダ・ニューファンドランド島に女性として生まれた。幼いころから性別に違和感を覚えていたとはいえ、トランスジェンダーという言葉も知られていない時代で、女性として生きていくこと以外は考えられなかった。ティーンエイジャーになって男性とも交際したが、より強く惹かれたのは女性に対してだった。同性愛を認めないローマカトリックの教えのもとで悩んだジェマさんは、ついには自殺を試みる。

 回復後、ジェマさんはレズビアンであることを公表。約十年後にはLGBTQ団体の会長を務めるまでになり、2005年のカナダ全土の同性婚合法化実現に大きく貢献した。

 ジェマさんには、幼いころ、信頼していた神父から性的虐待を受けた辛い経験もあった。LGBTQ活動家としての経験を活かし、2013年には宗教組織による性的虐待のサバイバーを支援する団体を設立。この団体の資金集めを兼ねて行ったニューファンドランド島を横断する908キロのウォーキングの最中に、ジェマさんは自らの性自認とあらためて向き合うことになった。

 私たちは、男か女か、ゲイかストレートか、カトリックかプロテスタントか、などと二元化して考えるように慣らされてきた。そうした分け方は社会のコントロールによるもので、自己発見や自己認識からは、かけ離れたものなのだ。(本書248ページ)

 性別に違和感があっても、自分の身体が好きになれなくても、自らの存在を肯定し、前を向いて生きることができる。ジェマさんの言葉には、ジェンダーやセクシュアリティに悩む人が光を見出すためのヒントが詰まっている。あなたが少しでも苦しんでいるのなら、本書を開いてみてほしい。ジェマさんといっしょに、ニューファンドランド島の美しい景色を眺めながら旅をしよう。険しい道に差し掛かることも、激しい風雨に打たれることもある。けれど旅の終わりには、きっと虹が見えてくるはずだ。

文:辛島 悠(明石書店)

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