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30歳以下の投票による「アンダー29.5人文書大賞」 「若者たちが選ぶ本は一般のランキングとは違う」

記事:じんぶん堂企画室

「アンダー29.5人文書大賞」ベスト5を並べた棚の横に立つ松尾つぐさん。棚に使っているのは、東京都世田谷区にあるムカイ林檎店から譲ってもらった木箱
「アンダー29.5人文書大賞」ベスト5を並べた棚の横に立つ松尾つぐさん。棚に使っているのは、東京都世田谷区にあるムカイ林檎店から譲ってもらった木箱

若者たちがどんな本を読んでいるのかを発信したい

 ――マルジナリア書店、《アンダー29.5人文書大賞》をはじめます――

 今年1月末、このツイートで《アンダー29.5人文書大賞》開催が発表された。

 企画した松尾さんが店長を務めるマルジナリア書店は、今年1月2日にオープンしたばかり。堀之内出版の編集者だった小林えみさんが2017年に設立した出版社「よはく舎」が「書店員さんの活躍できる場を出版社が支援する」というスタンスで運営している。店名のマルジナリアとは本の余白への書き込みを意味する言葉。「よはく(余白)」から連想して名付けられた。

 分倍河原駅前のビル3階にある店を日曜の午後に訪ねた。小林さんと松尾さんが店に立つ。来店する人は途切れないが、不思議と約42㎡の小さなスペースが混雑することはなく、本を選ぶのに邪魔にならないボリュームで音楽が流れる店内では、3、4人の客が静かに本を選んでいた。

 この辺りにはここ10年ほど書店がなかったという。

ビルの3階にあるマルジナリア書店入り口
ビルの3階にあるマルジナリア書店入り口

 松尾さんは2020年末まで早稲田大学生協に勤務し、戸山キャンパスでは書籍を一人で担当していた。コロナ禍となり、本を直接売ることが難しい状況が続く中、同年10月頃、読書会で偶然出会った小林さんに、近々オープンする書店の店主になってもらえないかと声をかけられた。

 「直接会って本を売りたいという気持ちが爆発しました。いつか自分で本屋をやりたい、と思っていたので、お引き受けしました」

 店長として、マルジナリア書店が目指すこと、店が担うべき役割を考える中で、松尾さんがずっとやりたかったことが浮かんだ。

 「大学で本を売っているとわかるのですが、学生さんたちの間で流行っている本というのがあるんです。でも、それは世間のランキングとはちょっと違っていて。新聞やニュースでは、若者は本を読まなくなったとばかり伝えられがちで、本を読む若者に焦点を当てた記事がほとんど見当たらない。20歳前後の若い人たちがどういう本に注目しているか世の中であまりにも知られていない。だから、若い人たちも本を読んでいること、どんな本に注目しているかということを私が発信しなくては、と思っていました」

 マルジナリア書店のオープンは、そのスタンスと品揃えの独自性が複数のメディアで紹介され、注目を浴びていた。今こそ世間に広く伝えるチャンス。そう思った松尾さんが考えたのが、「アンダー29.5人文書大賞」の開催だった。

 「30」ではなく「29.5」としたのは、「大人になった」と実感した年齢の平均が「29.49歳」だという調査結果があったからだという。

店のおすすめの新刊が置かれている棚
店のおすすめの新刊が置かれている棚

人文書にまだ出会っていない人たちのための賞

 本の中でも、「人文書」に限定したのはなぜなのか。

 「人文書に限定する必要はないのでは、という意見もいただきました。でも、それは、人文書を読んできた人だから言えることだと思うんです。」

 自分の境遇を伝えないと今回の賞の趣旨について理解されないことがたくさんあるだろう。そう思った松尾さんは、考えた末、投票を募り始めて間もない2月のある日、ツイートをした。震えながらだった、という。

 

――わたくし事で恐縮ですが、私は所謂ファーストジェネレーションで周囲に大学進学者がいませんでした。それもあり、恥ずかしながら、仕送りのない学生時は、教科書代や食べる物に精一杯でハードカバーを買った記憶が殆どありません。社会人になり、やっと、今まで図書館で読んだ本を買い集めていきました――

――まだまだ知りたいこと見たいものも沢山あり、学問の近くにいられる東京の大学内に仕事を見つけ、幸運にも、毎日、知らない本たちに出会いました。人文大賞の開催は、本当は、もっと詳しい方にお願いした方が良いかもと不安になります。が、本を読む難しさを経験した私が聴ける声があるなら、――

――本を読む難しさを経験した私が聴ける声があるなら、(私しか)見つけられないものがあるなら、それを大事にしたいです。――

 

 松尾さんが幼少期に暮らした和歌山県の町には書店は1軒、学校以外には小さな図書館が自転車で30分先に1つあっただけだった。小さい頃から本ばかり読んでいた松尾さんが「人文書」という言葉に出会ったのは、就職で東京に出てきてからだった。

 「人文書って、多くの人にとって、何かきっかけがない限り出会う機会がなかなかないと思うんです。小さい頃からよく図書館に行っていた私も、大学に進学するまで哲学の書棚に近寄ってみたことすらなかった。『アンダー29.5人文書大賞』に目が留まって『人文書?よくわからないけど、30歳以下の人たちが選んだ本なら読んでみようかな』って思ってもらえたらうれしい。人文書と出会うきっかけになれば、と思います」

 なぜ、人文書に出会ってほしい、と松尾さんは思うのか。

 「私は読書にキラキラしたイメージを持っているわけではありません。空腹は本を読んでもおさまらないし、死にたい気持ちは本を読んでもどうしようもない。じゃあ、なぜ人文書に出会ってほしいのか。自分でもなぜだろうと考え続けたのですが、それぞれの人に自分の人生の物語を大切にしてほしいから、なんです。誰かの作った物語に自分の人生の物語を重ねて乗っ取られてしまいたくない。それが、人文書に出会ってもらうための賞にした理由です」

結果発表2日後の「アンダー29.5人文書大賞」フェア書棚。「まだ入荷待ちの本が数点あります」
結果発表2日後の「アンダー29.5人文書大賞」フェア書棚。「まだ入荷待ちの本が数点あります」

何が人文書なのかは読者に委ねたい

 「アンダー29.5人文書大賞」の投票は、ツイッターやブログで投票フォームを公開し、2月1日から1カ月間、募集した。

 対象書籍は哲学などにジャンルを限定。2020年に日本国内で刊行された「新刊」と、2020年1月以前に刊行された「過去/古典」に分け、2020年に読んだ中で良かったと思う本をそれぞれ3冊まで、1位から3位のポイントを付けて投票する仕組みにした。コミック・文芸は除く、と明記したが、投票があった。

 「投票数が多かったら、それがどんなジャンルであっても、自分で読んでみて、識者の方々の意見を聞きながら、賞の対象になるかどうか考えようと思っていました。投票期間中、選びたい本が人文書かどうかわからなかったらなんでも投票して大丈夫だよ、ってツイッターで伝えました。対象書籍を提示してはいるものの、それを見てもらったうえで、あとはみなさんに委ねよう、と」

結果発表をライブ配信する松尾さん。配信トラブルでスタートが予定より15分遅れたが、視聴者は復旧状況をリツイートし合うなどしながら待った。「見守られているなぁと思いました。ありがたいな、と」
結果発表をライブ配信する松尾さん。配信トラブルでスタートが予定より15分遅れたが、視聴者は復旧状況をリツイートし合うなどしながら待った。「見守られているなぁと思いました。ありがたいな、と」

図書館にこそフェアを展開してほしい

 3月5日の夜、松尾さんによる結果発表がYouTubeでライブ配信された。受賞作より先に発表したのは、投票した若者たちについてだった。居住地や年齢をグラフにして報告し、投票とともに集まったコメント(公開可のもの)を読み上げた。

 「この賞がスポットライトを当てたいのは、選ばれた本と、選んだ人たちなので」

結果発表の前に、投票した若者たちから寄せられたコメントが丁寧に読み上げられた
結果発表の前に、投票した若者たちから寄せられたコメントが丁寧に読み上げられた

 現在、受賞作品のフェアを開催してくれる図書館や書店を募集している。とりわけ図書館にこそ開催してほしい、と松尾さんは言う。

 「人文書を買うのはハードルが高いし、その人が住む町の本屋さんには人文書コーナーがないかもしれません。私自身、図書館でしか手にとれなかったですし」

過去/古典部門の1位から5位
過去/古典部門の1位から5位

新刊部門の1位から5位
新刊部門の1位から5位

松尾さんの思い入れがある本もランクイン

 今回、「過去/古典」部門で1位に選ばれた『断片的なものの社会学』(著・岸政彦)は、松尾さんに影響を与えた一冊だ。

「私、大学4年間ずっとティッシュ配り(のアルバイト)をしていたんですが、いろんな人に話しかけられていたんです。終戦の日の話とか、長年連れ添ったパートナーが亡くなった日の話とか、息子さんが就職しない相談を受けたりとか。そういう、たぶんティッシュを配らなかったら見えなかった人たちと、一瞬だけつながって、また離れて、を繰り返しながら感じていたことを自分ではうまく言葉にできずにいました。『断片的なものの社会学』を読んで、あのとき聴いてしまったさまざまな声をこのまま抱えていっても良いんだな、と初めて思えたんです」

 新刊部門で1位に選ばれた『独学大全』の著者、読書猿さんからは「読んでほしかった方たちに確かに届いたのだと思うことができます」と、喜びの受賞コメントが届いた。

「『ランスへの帰郷』は私にとっても2020年で特別な一冊でした」(松尾さん)
「『ランスへの帰郷』は私にとっても2020年で特別な一冊でした」(松尾さん)

 同部門5位に選出された『ランスへの帰郷』(著・ディディエ・エリボン)は、投票した人全員が3冊中1位に選出していた。そして、松尾さん自身にとっても、前職の早稲田大学生協で「2020年のピカイチはこれだ」と感じた本だという。

 「入荷して段ボール箱を開けた瞬間、まとっている空気感に書店員レーダーのようなものが強く反応しました。読むと、都会に出て、知識層とかかわるにつれて、故郷、家族と疎遠になっていく著者の姿に、SNSで見かける20歳前後の方々のことがなぜか思い浮かびました」

その年の若者の“共通言語”になった人文書を記録していきたい

 投票者のコメントの中には、「今年初めて人文書を読んだ」というものもあった。

 「すごく気になっています。このコロナ禍でどんなことを考えて人文書に出会ったんだろう、って。人文書を手にとるタイミングには人生が反映されていると思うんです。たくさんの方々のそんな貴重な瞬間の記録をここにもらってしまっていいんだろうかと、とまどうくらい贅沢な賞になりました」

 投票した若者一人一人がその本に出会った瞬間に立ち会う。そんな「アンダー29.5人文書大賞」のありかたは、松尾さんが『断片的なものの社会学』で感じたことがつながっている。

 この賞は「記録」という役割も担っていきたい、と松尾さんは語る。

 「2020年に、一人一人が自分の読書について考えたことを、SNSに投稿しても流れていってしまうけれど、ここに投票とともにコメントとしていただいて、それらを保管していく役割は重要だと思います。昔から、みんなが読んでいる“共通言語”になるような古典があると思うのですが、今の10代、20代にそういうものがあるならば、2020年の若者の“共通言語”になった古典はこれだ、と記録しておきたかったし、これからも記録し続けていきたい。今回は、比較的古い刊行のものとして『人間の条件』(著・ハンナ・アレント)が5位に入りました」

 「アンダー29.5人文書大賞」は、これからどんな展開をしていくのか。

 「まずは、来年開催できたらうれしいです。この賞のフェアを開催してくださる図書館や書店が増えていって、人文書を初めて読む人が少しずつ増えていったらうれしい。毎年この季節に『アンダー29.5人文書大賞』がある、と頭の片隅に置いてもらって、『あ、この本、アンダーに投票できる』と思いながら一年を過ごしてもらえたら、読んでいるときにひとりぼっちじゃなくなるかもしれない。この賞を通して、ゆるやかなつながりを感じてもらえたらいいのかなって思います」

(じんぶん堂企画室 伏貫淳子)

 

※マルジナリア書店のツイッターはこちら

※現在、アンダー29.5人文書大賞フェアコーナーを設置する書店、図書館を募集中。連絡フォームはこちらから。フェアでは、読書猿さんの受賞コメントや投票者のコメントを掲載した小冊子を無料配布する。

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