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佐原でのまちの記憶を調査する~「まちあるき」と「まちづくり」へのヒントとしての「聞き書き地図」

記事:朝倉書店

「小江戸」とよばれ、江戸情緒あふれる街、千葉県香取市・佐原
「小江戸」とよばれ、江戸情緒あふれる街、千葉県香取市・佐原

佐原には、江戸から昭和までの歴史的な建造物が多く残され、観光地として知られています
佐原には、江戸から昭和までの歴史的な建造物が多く残され、観光地として知られています

佐原という町

 江戸時代の佐原は、東北の物資を江戸に運ぶルートであった利根川近くにあり、その集散地として栄えた町です。日本全国を歩き地図を作製した伊能忠敬が、商人として活躍したのもこの町です。その旧宅も残され、向かいには伊能忠敬記念館が立てられています。特に、佐原を流れる小野川沿いには、江戸時代以来の重厚な木造建築が現在も残っており、江戸情緒あふれる「小江戸」とよばれることもあります。

 そうした建物で食事や買い物を楽しむこともできれば、小野川で舟に乗って佐原めぐりもでき、東京から日帰りの観光地として人気があります。夏と秋に行われる佐原の大祭には数多くの山車が並ぶ盛大なものです。実際に行かれた人も、TVなどで目にしたことがある人も多いのではないでしょうか?

 ちなみに地名の読みは「サハラ」ではなく「サワラ」ですので、現地で発音するときは気をつけましょう!

小野川で舟に乗って佐原めぐりもできる
小野川で舟に乗って佐原めぐりもできる

商業の街から観光の街へ

 江戸時代に水運で栄えた佐原ですが、近代に入ってからも佐原駅(1898(明治31)年開業)が置かれ、商業は盛んでした。そのなかで繁栄の中心は小野川周辺から駅周辺へと移ります。近代建築が駅周辺に多いのはその名残りです。昭和40年代以降、鉄道から自動車の時代になると、町の中心は道路交通に便利な北側に移り、かつての中心部は次第に空洞化していきます。

 そんななか、歴史的な街並みを保存し観光につなげていこうとする動きがはじまります。地区内の多くの住民の合意を得て、平成に入ってから、伝統的建造物群保存地区、重要伝統的建造物群保存地区に指定されます。こうした努力が現在の観光地・佐原につながっています。

 ここでの「歴史的な町並み」とは、江戸時代の建物のみにしぼったものではなく、昭和半ばくらいまでの建築物や街並みを含んでいます。地元の人自身にとっても生活の記憶のある町並みでもあります。

佐原の昭和の記憶と暮らしを明らかにする「聞き書き地図」

 そんな佐原で「聞き書き地図」を作成したのが、窪田亜矢さん(東京大学)をはじめとする調査研究チームです。それまでも、町並みの立面調査や修理した歴史的建造物の活用実験、町家活用提案、地図作成やイベント実施など、10年以上、佐原の街と関わってきました。

 観光客がそぞろ歩きすることで“賑わい”が生まれたとはいえ、地域住民の生活による賑わいを取り戻す必要があるのではないか、また、そうした賑わいがあるほうが結果的に観光地としてもより魅力的になるのではないかと考えるようになりました。そうした住民による賑わいを探る方法として住民の方々への聞き取りを“記憶調査”としてはじめました。歴史的町並みを、住民自身の経験まで含めて把握し理解しようとする試みといえましょう。そうやって生まれたのが「聞き書き地図」です(図参照)。

聞き書き地図。重要なことは事実か否かというより、記憶がどのように分布しているかということです
聞き書き地図。重要なことは事実か否かというより、記憶がどのように分布しているかということです

 「昔は小野川に入って遊んでいるなんて、しょっちゅうだった。利根川まで遠征して泳いで向こう岸で西瓜を盗んで帰ってくるの。そのときに死んじゃう友達もいたよ」「敷地の真ん中あたりにお勝手口があって、そこの中庭に井戸があるの。ほら、今もあるでしょ。でも蓋をしちゃってもう随分経つよ。あんまり良い井戸じゃなかったし。浅かったから」といった話が聞き取られ、地図に反映されています。

 本書『まちを読み解く』では、「まちあるき」から“もう一歩”踏み込んで、それぞれの地域をどのように読み解いていったのかを、まちづくりの実践にも携わってきた研究者たちが紹介しています。地域の魅力を読み取るヒントとして気軽に手に取ってみてください。

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