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スピードアップは鉄道の使命である 『鉄道高速化物語――最速から最適へ』

記事:創元社

東海道新幹線の第6世代車両、N700S。
東海道新幹線の第6世代車両、N700S。

 前著『鉄道快適化物語』(二〇一八年、創元社刊)では「快適化」をテーマとして、諸外国と比較しながら、日本の鉄道の快適性向上のあゆみをたどった。安全性や乗り心地の向上、サービスの改善、そして高速化にも多少触れつつ、さまざまな観点から「快適化」の歴史を振り返り、日本の鉄道の到達点を示そうと試みたもので、幸いにして一定の評価を得、交通図書賞を頂戴した。大変ありがたいことであるが、一方で私の長年のテーマのひとつ「鉄道の高速化」については、紙幅の都合もあって十分に書ききれなかったため、いずれあらためて書きたいと創元社にご相談してきた。

 幸いその意を汲んで頂けたので、本書では鉄道の高速化に的を絞って、スピードアップの歴史はもとより、それを可能にした技術的発達や列車運用の工夫など、できるだけ多角的な観点から論じさせていただくことにした。

 また、本書の対象は日本の鉄道をメインとするが、諸外国の歴史や事例もいろいろ関係してくる。いわゆる「高速鉄道」(高速車両と専用軌道を用いて時速二〇〇キロ以上で走行可能な鉄道)において先陣を切ったのは日本の新幹線であるが、鉄道の高速化は何も日本の専売特許ではない。当たり前のことであるが、新幹線以前にも各国で高速化が試みられており、そうした技術的な積み重ねが日本の鉄道の高速化に与えた影響はけっして小さくない。一方で、新幹線に刺激を受けて新たな高速鉄道も開発されている。そもそも諸外国における高速化との比較は、日本の高速化の特徴を知るうえで欠かせない視点である。

 このように本書の高速化の論点は多岐にわたるが、あまり堅苦しい話をするつもりはなく、気楽に読んでいただければ幸いである。

 ところで、私の主な鉄道旅行体験といえば、東海道線の東京~大阪間が主舞台である。

 最初の思い出は五歳の頃で、戦時中の一九四四年、夜八時に大阪を出た列車で夜陰に乗じて東京に向かったことを覚えている。空襲警報のたびに停まるものだから、東京駅に着いたのは翌日の午後で、二〇時間近くかかった勘定になる。

 中学生になって、一九五二年に乗った特急「つばめ」はようやく戦前並みの八時間運転に復していた。大学生の頃一九六二年に乗った電車特急「こだま」は六時間半、社会人になって一九六五年に初めて乗った新幹線は三時間一〇分。それが最近は二時間半になっている。ヨーロッパではTGVやタリスにも乗ったが、日本と同じく高速化が進んでいる。

 大量輸送と高速化は鉄道の宿命であり、もうすっかり当たり前のこととなっている。昔日ののんびりとした鉄道旅行を知る者としては、あの大仰な非日常的な感興がなくなってしまい、一抹の寂しさも覚えないではないが……。

 話を戻そう。鉄道のスピードといってもいろいろな切り口と見方がある。最も簡明直截なのは、時速という数値であろう。ただし時速には、日常的な営業列車の表定速度もあれば、非日常的、ギネスブック的な高速度挑戦記録もある。また、時代による違いもある。一九世紀の時速一〇〇キロは二〇世紀前半の二〇〇キロ、現在の三〇〇キロ以上に相当する重みがある。絶対値だけを見るのではなく、相対的な見方も必要となる。

 高速化を支えたものといえば、動力の発達がまず思い浮かぶ。蒸気からディーゼル、電車へと発展し、鉄道のスピードは飛躍的に向上した。しかし、鉄道の高速化には動力だけでは不十分で、足回り、ブレーキ、信号、空力問題、騒音問題、粘着力の限界などなど、さまざまな要素が関係している。こうした鉄道高速化の技術原理は重要である。

 一方、目的地への所要時間の短縮という観点に立てば、単に列車の速さだけでなく、運行本数や接続方法なども大きく関係してくる。さらには、われわれが生活のなかで鉄道のスピードをどう感じてきたか、いわば相対的な感覚も決して無視できないであろう。

 こういう次第で、本書ではできるだけ多角的な観点から「鉄道の高速化」を論じることにしたい。論じるべき領域は多いが、読者諸氏の鉄道高速化の見方に何らかの刺激と新味を提供できたならば、これに勝る幸せはない。

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