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ティク・ナット・ハンの地球仏教 1 ――ベトナムの禅僧が平和を訴え、歩いた道

記事:春秋社

1995年、日本リトリート(子どもたちと一緒に「歩く瞑想」に出発)、著者撮影
1995年、日本リトリート(子どもたちと一緒に「歩く瞑想」に出発)、著者撮影

はじめ

 1970年、ベトナムの禅僧ティク・ナット・ハン(釈一行。愛称は「タイ(=先生)」)は京都で行われた第一回世界宗教者会議(WCRP)の全体会議の閉会講演でこう述べた。「私たちは何か新しい組織や新しい教理によって救われるのではありません。人間自身によって救われるのです。……いかにして人は己と被造物の回復をみることができるでしょうか。これが宗教の役割です」。その後展開するタイの「平和のための宗教」、地球仏教の原点がここにある。

 今日は、この半世紀の間、仏教を西欧の人々に届け、東西の宗教的対話を実践してこられたひとりの「歩く禅僧」(遊行僧)の足跡を辿ってみたい。タイの『小説ブッダ――いにしえの道、白い雲』(春秋社、2008)は、壮大な自叙伝風ブッダ伝、文学的霊性に満ちた名著だ。ブッダとの二人旅がどのように歩まれたか、まずはタイご自身の95年の旅路を概略してみよう。

ティク・ナット・ハンという現                       

 1926年に中部ベトナムで生まれ、16歳でフエの慈孝寺で出家して沙弥となり、23歳(1949年)で具足戒を受戒し、40歳(1966年)で慈孝寺の法灯を伝授されて、臨済宗正宗柳館派第四十二代法師となられた。この直後、1966年にサイゴンで六人の若者に授戒して「インタービーイング教団」(後述)を創設して、ベトナムに新しい仏教の風「関わる仏教(エンゲイジド・ブディズム」を起こした。しかし南北分断と対米戦争の激化に伴い、ベトナムの声を届けるために再度渡米したが、これをさかいに帰国が許されず、以後39年におよぶ亡命生活が始まった。

 この間、フランスに仏教共同体プラム・ヴィレッジ(すもも村)を開設して、西欧諸国に仏教による平和と幸福への道を伝えてこられた。パリのベトナム仏教平和代表団のアパートで、初めて西欧の若者に仏教の瞑想を語った本が、100冊限定の手刷本『〈気づき〉の奇跡』(1975年初版、春秋社2014年)であった。この小さな一書が、タイの西への第一歩となった。その後、ユネスコや世界宗教会議などで「全地球的倫理」のヴィジョンを語り、「マインドフルに生きる方法」を伝えるリトリートを世界中で開催されてきた。まさに「スタジアムを満員にするゼンマスター」(インディペンデント誌)であった。

 タイは2005年にベトナムへの一時帰国が許され、ここからアジアの国々への里帰りの旅が始まった。ブッダに始まる仏教の真髄が、新しい眼でアジアに逆輸入される旅の始まりである。2018年11月、ベトナムへの永住帰国が許され、現在もフエの慈孝寺から、世界に向けて慈悲の眼差し、静寂と沈黙の光を放ち続けておられる。

 人類はホモ・エレクトス(二本足で立つ人)からホモ・サピエンス(賢い人・知性をもつ人)へと進化した。そして、21世紀のいま、この人類の文明を守り育てていくためには、私たちは母なる地球に住むホモ・コンシアス(意識の人・気づきの人・マインドフルな人)に変容していかなければならない。タイは言葉で語る事ができる最後の瞬間まで、このメッセージを送り続けられた。

苦海から生まれた新しい仏

 「関わる仏教」は、対仏戦争の最さなか「仏教を新しい目で見る」(1954年)などの一連の論説から具体化していった仏教改革運動、旧来の仏教に対するレジスタンス運動であった。混沌としたベトナムを救うためには「霊的な方向性」を示す必要があった。『火の海の蓮華-ベトナムは告発する』(読売新聞社、1968年)はタイの最初期の名著だ。

 「関わる仏教」とは、いのちと社会的生活の全てに関わる仏教の提唱であり、その母体となるのが現在まで続く「インタービーイング教団」だ(インタービーイングはベトナム語のティエップ・ヒェン「接現」=今ここに触れる)。この日常の生活と社会の現実に深く関わる仏教では、歯を磨くとき、車に乗るとき、スーパーまで歩くとき、あらゆる瞬間に気づきが存在しなければならない。今ここで起こることを深く見つめると、洞察が生まれる。身体、感情、思い、環境に起こっていることへの気づきは実践されなければならない。ま新しい眼(初心)で、いまここで起こることに応えていくことこそが、ベトナムの苦しみ、世界の苦しみ、人間の苦しみを変容していく処方箋であると、タイは訴えた。

 この運動の実践は、1956年にベトナムの高原地帯フォン・ボイに建てられた「芳しき椰子の草庵」から始まった。「今、ここがもたらす洞察」「いま、ここに100パーセント止まって、苦の真相を深く見つめる実践(止・観)」として、タイはマインドフルネス(mindfulness)を造語して修行の中心に据えた。ブッダの教えである「八正道」の中の「正念」の英訳で、念とはまさに「今の心」を正しく保つという意味だ。

 ブッダの四聖諦(苦・集・滅・道)の第一は「苦」から始まる。生老病死の苦を変容していくために、今ここにある苦しみをしっかりと見つめ認識していく手段として、マインドフルネスのエネルギーが使われる。今ここの現実、あるがままの現実を見るには、現在の瞬間に戻らなければならない。苦のなかにすでに道(変容・幸福への道)が内在している。マインドフルネスは、今や、果てしない苦しみ(苦)を変容する具体的な方法(道)として、世界中に広まっている。観念としての仏法の学びだけでは大乗仏教の悲願(衆生済度)は叶えられない。タイが目指した「関わる仏教」の原点は、まさにこの幸福への道が具体的に示された点にある。

ブッダの足跡を生きる――EIABのこ

 1950年代に始まった「関わる仏教」は、21世紀に入って地球規模で広がっていき、2008年9月にドイツのヴァルトブロル(Waldbrol)にヨーロッパ応用仏教院 (EIAB )が開設された(Sr. チャン・ドック僧院長)。別名「アショカ僧院」、すなわち、「ノー・ワリーズ(苦しみを捨てる)僧院」と呼ばれる。この施設は1897年に建てられた博愛精神病院で、ナチスドイツが、1938年11月にこの病院を含むヴァルトブロルの町から700人のユダヤ人を強制収用所に連行して安楽死させ、その後ナチスドイツの保養所となった建物だ。

 かつての博愛と慈善の場が、無知と苦悩の遺産となった歴史の痛ましさを思わずにはいられない。人類の苦悩の極致であるがゆえに、ここからこそ、タイの夢のかたちが継続していくだろう。プラム・ヴィレッジという仏教共同体からアショカ(苦しみを捨てる場)へと「変容と癒しの家」は進化し続ける。

 1968年、ブッダが歩いた諸国を機上から見下ろしながら、タイは2500前にこの大地を遊行するブッダの姿に出会って感涙を流された。「私も歩く瞑想を修行して、世界の国々にブッダの足跡を伝えたい。ブッダの平和と喜びと堅固さと自由を、この世界に繋いでいこうと心に誓いました」。(At Home in the World, 2016)

おわり 

 タイのブッダを生きる旅は、地球を一回りしてアジアに帰還した。バンコック北東のカオヤイ国立公園に、2008年にプラム・ヴィレッジ・タイが創設され、2013年からは200 人を超える僧・尼僧団が定住して、アジア最大のハブ・仏教センターとなった。タイのお手植えの菩提樹の苗は、仏教国タイランドの諸宗派と共存しながら、タイご自身が夢見たブッダランドの花を咲かせることだろう。

(つづく)

1999年、高旻寺(中国)にて、著者撮影
1999年、高旻寺(中国)にて、著者撮影

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