マインドフルネスの源流 ブッダが始めたヴィパッサナー瞑想の魅力に迫る
記事:春秋社
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ヴィパッサナー瞑想を行うと、どのような効果があるのかから、見ていきましょう。著者は、(1)能力開発系、(2)経験事象の変化系、(3)心の変化系の3つの面から具体的な効果をあげています。まず(1)能力開発系では、頭の回転が速くなる、集中力がつく、記憶力がよくなる、分析力が磨かれる、決断力がつく、創造性が開発されるといったこと、(2)経験事象の変化系では、トラブルの解消や人に優しくされる・健康になるなどの現象の流れがよくなること、(3)心の変化系では、苦を感じなくなる、怒らなくなる、不安がなくなる、執着しなくなることなどがあると述べています。特に、不安がなくなることについては、根本的に解決する点が他の瞑想と異なることに触れています。
実は、瞑想法には、ヴィパッサナー瞑想のほかにサマタ瞑想というものがあります。まずはサマタ瞑想については、次のように説明しています。
サマタ瞑想とは一点集中型の瞑想で、反復される言葉やイメージなどの瞑想対象に意識を集中し、最終的にはその対象と合一してしまうほどの深い統一状態を目指していく技法です。この主体と客体が融合してしまう究極の意識状態を「サマーディ(samādhi :三昧、禅定)」と呼びます。『ブッダの瞑想法』4ページ
次にヴィパッサナー瞑想については、次のように言います。
今、この瞬間に自分の心と体が何を経験しているかに気づき、ありのままに観察していくのです。一切の思考や判断を差し挟まずに、見たものを「見た」、聞いたものを「聞いた」、感じたものを「感じた」と一つ一つ内語で言葉確認(ラベリング)しながら、純粋に事実だけに気づいていく……。この作業を「サティ(sati)」と言い、ヴィパッサナー瞑想はサティの訓練を中心に進めていきます。『ブッダの瞑想法』5ページ
サマーディを主とするサマタ瞑想とサティを主とするヴィパッサナー瞑想は、どちらもすぐれた瞑想法ですが、サマタ瞑想には大きな問題があると言います。それは、瞑想から離れ日常生活に戻ると、静まっていた心が再び荒れ始め、瞑想三昧の日々に戻りたくなってしまうことです。そのためには、汚染された心の反応パターンを浄らかなものに組み換えるヴィパッサナー瞑想が必要なのです。またサマタ瞑想は習得するまでに必要な時間や環境の面から、一般の人には困難なものです。そのことから、著者はヴィパッサナー瞑想を勧めています。
経験している出来事を一瞬一瞬気づいて確認するヴィパッサナー瞑想では、サティ(気づき)を言語化して認識を確定していきます。この仕事を「ラベリング」と言い、ヴィパッサナー瞑想の基本となります。なぜラベリングが必要なのか、著者の解説を見てみましょう。
明確な言葉で言語化された瞬間、ピンボケだったカメラの焦点が定まるように、曖昧だった認識が鮮明化するのです。イライラ状態から抜け出せないでいた人が、よく観察したら妬んでいる心が見え、「嫉妬」とラベリングした瞬間、憑き物が落ちたようにイライラ状態が霧消したというケースがあります。ラベリングの言葉がピンポイントで認識を確定したので、強力な自覚化と対象化作用が起き、つかんでいたものを手放すことができた事例と言えるでしょう。『ブッダの瞑想法』128ページ
このように適切なラベリングを行い、認識を曖昧にしないようにしていきます。実際の歩く瞑想では次のように行います。
では、歩いてみましょう。左右どちらの足からでもかまいません。右足の動きを感じたならば「右」とラベリングします。ただし声には出さず、黙って心の中の内語でします。今この瞬間に自分に起きた出来事は、歩行していること、右足が動いたこと、その感覚を感じたこと、でした。それが現在の瞬間に知覚し、経験した事柄だったのです。『ブッダの瞑想法』129-130ページ
その際に、次の注意点にも触れています。
ポイントは、かけ声にならないこと。感覚をしっかり実感し、感じ終わってからラベリングすることです。心の九〇パーセントは実感を感じる仕事に使い、ラベリングには一〇パーセント程度の配分がよいのです。ラベリングは極めて重要なものですが、重点を置きすぎると本末転倒、脳の中で言語の比重が大きくなりすぎます。『ブッダの瞑想法』130ページ
このほかにも、ラベリングの連呼に気をつけるなど、初心者が陥りがちなポイントにも触れながら、立つ瞑想、座る瞑想と、詳しく解説されています。
本書は、ただヴィパッサナー瞑想の実践を紹介する解説書ではありません。ブッダと原始仏教の知見に基づきながら、いかに心を苦しみから解放するかが目的であり、それを実現する有効な方法として、ヴィパッサナー瞑想を説いたものです。そのためには、瞑想とともに、日々の生活の改善にも重点を置きます。悪行を避け、善行に努める、因果を理解し、懺悔を行うなど、「心を完成させる方法」にも触れて、根本的な苦しみを解決していこうとするその姿勢こそが、一番の魅力と言えるでしょう。