ダニのいない環境はあるか? ―「ダニ」との共存
記事:朝倉書店
記事:朝倉書店
ダニが嫌いで、ダニを気にする人たちにとっては、何とかしてダニを退治してダニのいない環境を作りたいと願うだろう。それは可能だろうか。まず、人家や会社など人が生活する建造物の中の話に限り、ダニも吸血性のイエダニやワクモ(これはクモではなくダニの仲間)に限るならば、それらを完全に駆除することは可能であろう。なぜなら、イエダニはもともとヒトではなくネズミの寄生虫、ワクモもニワトリやツバメなどの鳥が本来の宿主であるから、ネズミを駆除し、鳥小屋やのき下の巣に殺虫剤をまけばよい。
しかし、それ以外の住居性のダニとなると、完全にいなくなるようにするのはかなり困難である。台所の貯蔵食品に発生するコナダニ類の駆除は、食べ物相手であるので、やたらに薬品を使うわけにはいかない。コナダニが発生しないような清潔で乾燥した置き場所や密閉された容器が必要になるが、ふだん調理をしながら長期にわたって使用する食品・調味料の管理は、なかなかに難しい。コナダニ類の多くは高熱に弱く、60℃の温度に1分間さらされると死滅することがわかっているが、ダニが大好きなチーズなどを普段から高温に保っておくわけにはいかない。では、低温には弱いだろうか。コナダニがわいてしまった食品を冷蔵庫の中に入れると、ダニは繁殖しなくなるが、死ぬことはない。食品を常温に戻せば、たちまちに大繁殖を始める。冷蔵庫ではなく冷凍庫の中に入れれば、ダニは死滅する。といっても、部屋中を-20℃にすれば、人も生きていきにくい。
居間や寝室の中に生息するダニのなかには、台所の食品からはい出してきたコナダニのほか、ヒトのふけなどを餌とするチリダニ(ヒョウヒダニ)がいて、いくら掃除機をかけたところで、掃除機の届かない場所に居残ってしまう。畳はコナダニ類にとってよい生息場所である。特に、新しい畳(防虫処理をしていないもの)はダニに好まれる。一般に誤解されているが、コナダニもチリダニもヒトの皮膚を刺すことはなく、かゆみの原因にはならない。ヒトを刺すのは、これらを食べるツメダニである。チリダニを放置しておくと捕食性のツメダニが増えるのである。
ましてや、野外に生息するダニとなると、もはや駆除はお手上げである。最近問題になっているマダニ類は野外に広く生息し、北海道から沖縄までの山地・草原(特にササやぶ)、牧場に多くみられる。マダニが媒介する重症熱性血小板症候群(長たらしい病名なのでSFTSと略称する)が蔓延したからといって、野外のマダニをすべて駆除するなどということは到底不可能な話である。刺されないように、人間の方で注意するしかない。自然界には、マダニのような吸血性の寄生虫のほかに、農作物に害を与えるハダニやフシダニがいる。農家では大きな費用を投じてこれらの害ダニを駆除する努力を行っているが、クモの子のように糸を出して空中を漂ってやってくるハダニには手を焼いている。
忘れてはならないのは、自然界のダニで人間にとって害をなすものはきわめて一部であって、ダニ全体からみればその90%以上が人間にとって無害な種だということである。無害どころか、ササラダニ類などは自然の生態系のなかにあって動植物の遺体を分解処理してくれるという大切な役割を果たしていることを知ってほしい。したがって、この地球上からダニを抹殺するなどは間違った考えであるし、また無意味なことなのである。
結局何を言いたいかというと、この地球上はダニに満ちており、ダニだらけなのである。その点ではダニは昆虫に匹敵し、どんな環境にも生息する。陸地の山や平野ばかりでなく、河川や湖沼や洞穴の水中にもミズダニが生息し、温泉の中にすらオンセンダニ Trichothyas japonicaが発見され、極寒の南極にも寒さにめっぽう強いオングルトビダニNanorchestes antarcticusが生息している。しいてあげれば、ダニがまったくすめない場所は現在もなお噴火を続けている火山の噴火口の中くらいであろう。
私たちヒトはダニに囲まれて、ダニとともに暮らしていくより仕方なく、それが自然なことだということである。