1. じんぶん堂TOP
  2. 歴史・社会
  3. 日本社会に巣くう「格差と分断」を乗り越えるために、いま、何ができるのか

日本社会に巣くう「格差と分断」を乗り越えるために、いま、何ができるのか

記事:日本実業出版社

石井光太が若者たちに語りかける「どんな未来に生きたいのか」
石井光太が若者たちに語りかける「どんな未来に生きたいのか」

直視すべき日本社会の現実

 日本社会における貧困と格差の問題は、2000年ごろから言われ始めました。そしてこのコロナ禍を経て、貧困はさらに顕著になり、格差は拡がって、もはや「分断」といえる状況になっていると、ノンフィクションの現場で仕事をしている者としては強く感じています。

 このことを実感できない日本人は少なからずいるでしょう。たしかにほんの一握りの富裕層が富の大半を占有する諸外国のような、極端な分断が起きているとは言えません。

 しかし今日の日本社会は、その一歩手前にいるように僕には見えます。だからこそ今、現実を直視し、理解し、行動しなくてはいけない。今を逃せば取り返しがつかないことになるかもしれない。そんな危機感から、日本社会が直面している「格差と分断」の現実について知ってもらうために、この本を書きました。

 特に若い人たちには、日本の現実をよく知ってもらいたいと思っています。なぜかというと、若い人たちの声は一昔前にくらべ格段に大きく、遠くまで響くようになってきたからです。#MeToo運動などが記憶に新しいですが、自分の声には社会を変える力があるということに気づいて、行動につなげてほしいと願っています。

おでんの食べ方がわからない子供

 格差社会における「分断」とは何か。あらためて考えてみましょう。

 僕は少年院の子供たちをよく取材しますが、彼らの現状と辿ってきた道は、普通の常識から見れば想像できないものです。たとえば彼らの多くは、おでんの食べ方がわからない。家庭環境に問題があり、親や兄弟と一緒に鍋を囲んだことがないからです。食事は、親からもらった100円で買ってきた菓子パンやお菓子。そんな環境で15歳ぐらいまで育ってきているから、まともな箸の使い方さえわからない。

 一方、恵まれた環境で育ってきた我々は、少年院の子供たちの境遇についてまったく知らない。おでんの食べ方を知らない、日本人の同世代の子供がいることなど、とても想像できないんです。

 もしかすると両者は、同じ地域で生まれ育ち、同じ小学校に通っていたかもしれません。ところが親の収入の多寡や家庭環境の違い、本人の資質などによって道が分かれていく。たとえば一方は私立の中高一貫校に通い、他方は公立校を不登校のあげく退学してしまうというように、ある時からお互いが全く違うレールの上を歩くようになる。

 問題は、裕福な親のもと、「努力すれば夢は叶う」環境で育つ子供と、親や周囲の人から理解を得られず、問題児・不良のように扱われる子供では、自己肯定感や学習意欲に大きな差が現れてくることです。

交差しない2つのレール

 「努力すれば夢が叶う」環境で育つ子は何事にも前向きに取り組め、安定した企業に就職できる子が多い。一方、問題児として扱われ、自己肯定感や学習意欲が低いまま成長する子供は、中学や高校の途中でドロップアウトしたり、仕事についても好きな仕事でもないのですぐやめてしまったりして、経済的に不安定な状態になってしまうことも多い。

 つまり、家庭の経済格差が学歴格差、職業格差へと連鎖して、その子の一生を支配してしまう。現在の日本は、実は経済的に低い階層に生まれるとそこから抜け出せないようになっているのです。

 しかし、多くの人はそのことに気づいていません。僕たちは自分が育ってきたレールの上からしか世の中を見ることができないので、ほかのレールにいる人の存在に気づけないからです。だからこそ、「そんな境遇に陥っているのは自分のせいだ」という「自己責任論」を採るようになる。

 そこには、「なぜ彼らがそうなっているのか」を理解しようとする意識と、格差を生む社会的な問題への視点が完全に欠けています。これが偏見や衝突を生むのです。

 「自己責任だ」と言われた側の劣等感や無力感はさらに強くなり、自尊心は引き裂かれます。ひいては社会から完全にドロップアウトしてしまうかもしれません。「自己責任論」が振りかざすほかの階層への偏見、無理解は、差別や分断を生む一例です。

国籍差別という分断

 所得格差や職業、性別、国籍など、分断の種はいたるところにあります。今大きな問題になっていることのひとつに、外国籍児童の不就学問題があります。

 労働力不足の日本では、外国人労働者が増え続けています。国は「外国人技能実習制度」等で受け入れを促進していますが、労働環境は厳しいまま改善されず、失踪者が増加するなど大きな問題を抱えています。

 そして、外国人労働者の子供たちのうち、15.8%が小中学校に通っていないのです。
不就学は不登校と違い、そもそも学校に籍を置いていないということです。外国籍児童は義務教育制度の範疇外のため、いったん入学しても学校に行かなくなれば「やめる」ということになります。

 外国人労働者の親子を取り巻く現実には厳しいものがあります。親は安い賃金で重労働させられるため、なかなか子供にかまってあげられず、家庭の中も荒んでいきます。子供は学校に行ってもまともに日本語を教えてもらえないから、授業についていくのも難しい。そのうえ「ガイジン」と同級生から差別されれば、就学意欲をなくしても無理はありません。

 彼らが大人になるとどうなるか。ギャングになる例が非常に多いのです。ただでさえハンディのある外国籍の子供が不就学では、一般社会で生きていくのは難しくなります。そんな環境で生きていくためには、同じような境遇の者が集まる外国人コミュニティの中で、時にドラッグの密売などの犯罪に手を染めながら稼ぐしかない。時折ニュースになる外国人がらみの事件は、その氷山の一角です。

 外国人による犯罪がニュースになると、「外国人はこわい。母国に返せばいい」という人がいますが、彼らは日本で生まれたか、少なくとも物心がつく前に母国を離れているため、つながりも愛着もない。日本にしか居場所がないんです。

 さらに言えば、決して彼らだけが悪いのではない。彼らを取り巻く劣悪な環境をつくったのは日本の社会です。必要なのは外国人労働者を社会から分断することではなく、彼らとその子供たちが置かれている境遇を正しく知って、どうすれば共生できるのかを社会全体で考え、取り組んでいくことです。

人とのつながりこそ重要

 ここまで、日本にあるさまざまな格差や差別、それが引き起こす分断についてお話ししてきました。僕は、国や自治体による福祉制度はよく整備されてきていると思っています。民間による支援も充実している。経済的な問題を抱えていても、まっとうに生きていけるしくみは整っているはずなんです。

 問題は、そうした社会的支援にたどり着けない人たちがたくさんいるということです。何らかの事情によって地域社会から孤立してしまっている人たちがいる。まずは、そういう人たちに積極的に声をかけてみることから始めてはどうでしょうか。決して難しいことではありません。

 冒頭でお話しした、周囲の理解が得られずに自己肯定感が下がる子供たち。彼らの前に、その境遇を理解してくれる先生や一緒に遊ぶ友達がいれば、自己否定の感情ばかりがふくらむことはなく、結果はまったく違ってくるはずです。彼らに必要なのは公的な支援だけでなく、「大丈夫?」「何か手伝おうか?」という身近な人のちょっとした気遣いです。

 彼らが自尊心を回復し、社会的支援にアクセスできるようにするためには、「人とのつながり」が欠かせません。制度や税金だけではなく、周囲の人たちや地域社会とのつながりによるサポートこそが必要だと、僕は思います。

ページトップに戻る

じんぶん堂は、「人文書」の魅力を伝える
出版社と朝日新聞社の共同プロジェクトです。
「じんぶん堂」とは 加盟社一覧へ