コロナ禍で広がる生活困窮者への支援と、「公助」の提言。『貧困パンデミック』
記事:明石書店
記事:明石書店
本書は、2020年春から一年余りの間に私がウェブ媒体で発表した記事を中心に構成されている。生活困窮者支援の現場で起こっていることを追体験していただくため、各記事は基本的に発表時のまま収録し、状況の変化があった事柄については各記事の「追記」で補足の説明をしている。
中国の保健衛生当局が、湖北省武漢市で原因不明のウイルス性肺炎の発症が相次いでいるという報告をWHO(世界保健機関)に行ったのは、2019年12月31日のことである。このニュースは日本でも報道されたが、年末だったこともあり、その時点で大きな注目を集めることはなかった。
同じ日、私は東京・新宿の貸しスペースで開催された「年越し大人食堂」で、「今夜から泊まるところがない」という若者の相談にのっていた。
2019年の大みそかと2020年の1月4日に開催された「年越し大人食堂」には、2日間で延べ112人が来場。料理研究家の枝元なほみさんが作った料理が提供されたほか、生活・労働相談や緊急宿泊費の支援も行われた。
東京で「大人食堂」という名称の生活困窮者向けの相談会が開催されたのは、この年末年始が初めてである。この一年後、この何倍もの規模の「年越し大人食堂」を開催することになるとは、この時は思いもよらなかった。
東京で生活困窮者支援に関わる私たちが「大人食堂」の取り組みを始めた目的の一つは、「見えない貧困」を可視化することであった。
私は1994年から路上生活者支援の活動に関わり、2000年代に入ってからはネットカフェに寝泊まりをするワーキングプアの若者など、幅広い生活困窮者の相談支援に取り組んできた。
2003年以降、官民の支援策が整ってきた影響で、全国の路上や公園、河川敷など屋外で寝泊まりをする人々(狭い意味での「ホームレス」状態にある人々)の数は減少を続け、現在はピーク時の6分の1程度にまで減ってきている。
しかし、その一方で、ネットカフェや24時間営業のファストフード店に寝泊まりをしている人たち、知人宅に居候をしている人たちなど、広い意味での「ホームレス」状態にある人たちは逆に増加していると見られている。こうした「路上一歩手前」の状態にある人たちの多くは若年層だが、この層に対する行政の調査はほとんど実施されておらず、私たち民間の支援団体もアプローチできていない、という問題意識を私は持っていた。
路上生活者への支援活動では、夜の街を歩き、野宿をしている人たちに声をかけていく「夜回り(アウトリーチ)」や、公園などで食事を配食する「炊き出し(食料支援)」が一般的に行われている。どちらも生活に困窮している当事者と出会い、生活保護の申請や住宅支援などの具体的な相談支援につなぐための「入口」として重要な役割を果たしている活動である。
だが、ネットカフェ等に暮らす人たちへのアウトリーチは容易ではない。また、中高年の男性が多く集まる「炊き出し」には行きづらいと話す若者や女性は少なくない。
そこで、「大人食堂」という敷居の低い「入口」を設けることで、従来はなかなかアプローチできていなかった若者や女性にアプローチしたいと考えたのである。
「東京アンブレラ基金」は、私が代表理事を務める一般社団法人つくろい東京ファンドがさまざまな団体に呼びかけて、2019年春に設立した緊急宿泊費支援のための基金である。
近年、子ども、若者、女性、外国人、LGBTなど、さまざまな分野で対人援助に取り組むNPOの活動が広がってきている。私が教員を務めている立教大学の社会人向け大学院の授業でも、これらの団体で活動をしている方々にゲストスピーチをしていただく機会があるのだが、活動をされている方々の話を聞くと、各団体の支援現場において「今夜、行き場がない」という状態の人に対して、実質的に支援をしているケースが意外と多いことがわかってきた。
そこで、さまざまな団体と協力をして「東京アンブレラ基金」という「共通の財布」を作り、各団体が実施する緊急宿泊費の支援に助成する仕組み(1人1泊あたり3000円を補助。連続4泊まで。後に1人1泊6000円×最大7泊まで拡充)を創設した。「アンブレラ」には「今夜、雨露をしのぐ場」という意味を込めている。
「年越し大人食堂」も、「東京アンブレラ基金」も、女性や若者、外国人など、従来の路上生活者支援の現場ではあまり出会えなかった人たちと直接的、間接的につながっていく仕掛けである。
当時、私は、国内の貧困問題を可視化させたと言われた「年越し派遣村」(2008年年末~2009年年始)から10年が経ち、貧困問題が再び「不可視化」しているという危機感を持っていた。
「見えない貧困」を再び可視化させ、社会や行政に対して、改めて貧困対策の拡充を訴えたい。それが2019年から2020年の初頭にかけて私たちが考えていたことだった。
この時点では、2020年夏に開催される予定であった東京五輪も頭痛の種であった。
私は、五輪により貧困問題がさらに見えにくくなり、都内の生活困窮者の居場所が奪われるのではないか、という懸念を抱いていた。2013年に東京五輪の開催が決まってから、東京都内の路上や公園から路上生活者を排除する動きは徐々に強まっていたが、開催期間中はさらに監視が強化されて、都内で野宿できる場所がなくなる可能性があった。また、都内のネットカフェも、ホテルに入りきれない観光客の宿泊を見込んで利用料が高騰するのではないか、という憶測が飛んでいた。そのため、2020年の1月には、五輪の開催期間中に行き場のなくなった生活困窮者が緊急避難できる場所をどう作るのか、という議論を関係者の間で具体的に始めていたのである。
しかし、それから3ヶ月も経たないうちに、状況は一変した。コロナ禍が日本国内にも広がり、3月末には東京五輪の一年延期が決定された。
そして、感染症のパンデミック(世界的大流行)が日本に上陸したのと歩を合わせるように、それまで見えなかった国内の貧困が急に可視化され、拡大していった。コロナ禍は世界中の国々で貧困を深刻化させたが、日本でも「貧困パンデミック」とでも言うべき状況が生じたのである。
本書が対象としている時期に、政治の世界では第二次安倍政権が終わり、「自助、共助、公助、そして絆」を掲げる菅義偉政権が始まった。
菅首相の言葉を借りるなら、本書はコロナ禍における「共助」の記録であると同時に、「公助」がいかに機能しなかったのか、を伝える記録にもなっている。私たち民間の支援者は、各々の限界を越えながら「共助」の活動を続け、同時に「公助」に本来の役割を果たすように働きかけを続けてきた。その活動の成否は読者に委ねたい。