副大統領とその家族 アメリカの政治権力を理解するための新たな視座
記事:白水社
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冒頭から個人的な経験で恐縮だが、訳者のあるエピソードを紹介したい。
わたしは高校2年生だった1992年の夏から1年間、AFSという国際的な留学団体を通じてアメリカのワシントンDCに留学していたことがある。ホームステイ先に到着すると、ホストマザーがわたしが使うことになる部屋に案内してくれた。4畳にも満たないであろうスペースに、シングルベッドが1つと書棚が置かれているだけのシンプルな部屋だった。もともとは来客が宿泊するときのための部屋のようだ。ホストマザーがこう言った。
「このベッド、ジェリー・フォードが寝たことがあるのよ」
なに、と思った。ジェリーと言えば、ジェラルドの愛称。ということは、ジェラルド・フォード……まさか、副大統領から大統領に昇格した、あのフォード? そう訊くと、そのとおりだと言う。ホストマザーの父親はかつてニューヨーク州選出の共和党下院議員を務めた人物だった。さすがに副大統領や大統領になってからではなかったはずだが、その関係で下院共和党の重鎮だったフォードが来訪したことがあったようだ。そう思うと、こぢんまりとした部屋が急に特別な場所のように感じられたのを今でも覚えている。
これがわたしにとって、初めての「アメリカ副大統領」との「接点」だった。付け加えれば、1992年はちょうど大統領選挙の年で、民主党候補のビル・クリントンが同世代かつ同じ南部出身のアル・ゴアを副大統領候補に選んだことも印象的だった。当時からアメリカ政治に並々ならぬ関心を持つという少々変わった高校生だったわたしにとって、この年に先述のようなホストファミリーで留学生活を送ることができたのはとても幸運なことだった。
本書『アメリカ副大統領』では、そんなフォードやゴアを含め、アイゼンハワー政権以降に副大統領を務めた13人が取り上げられている(本書が刊行されたのはトランプ政権期だったため、バイデン政権のカマラ・ハリス副大統領は登場していない)。アメリカ大統領に焦点を当てた本は数え切れないほどあるし、個々の大統領をテーマとしたものも相当な数にのぼる。ところが「ナンバー2」のはずの副大統領となると、これまでは皆無に近い状況だった。そうしたなかで2018年にアメリカで出版されたのが本書である。
著者は複数の主要メディアに在籍してホワイトハウスを担当し、現在はジャーナリストとして旺盛な執筆活動を展開するケイト・アンダーセン・ブラウワー。ホワイトハウスの使用人の視点からアメリカの最高権力者の素顔を描いたThe Residence(邦題『使用人たちが見たホワイトハウス』)や、ファーストレディーに焦点を当てたFirst Womenは、いずれもアメリカでベストセラーとなった。そのブラウワーが次にテーマとして設定したのが副大統領だったのだ。
First in Lineという本書の原題は、「継承順位第1位」という意味だ。大統領に万一の事態が起きたときに誰がその職務を引き継ぐかは、憲法と大統領継承法で順位が定められている。そのなかで第1位が副大統領なのである。4年に1度行われる選挙を別にすれば、大統領の座にもっとも近い存在が副大統領だと言える。実際、本書で取り上げられている13人の副大統領のうち、任期中に昇格したケースが2回ある(ケネディ暗殺によるジョンソン昇格とニクソン辞任によるフォード昇格)。また、レーガンとジョージ・W・ブッシュがそれぞれ病気の治療や検査で職務を遂行できない状況にある際には、1967年に制定された憲法修正第25条に基づき、副大統領が大統領代行を務めた。とはいえ、そういう事態がいつ起こるかが最初から決まっているわけではないし、そのときまでは副大統領は副大統領のままである。上院議長という副大統領の重要な役目についても、本書で紹介されているように「それがないとほかにやることがなくなるから」という、皮肉めいたジョークがついて回るほどだ。選挙のときこそ副大統領候補は「ランニングメイト(伴走者)」として、大統領候補の不足を補ったりバランスをとったりしてくれる不可欠の存在だが、ひとたび当選を果たせば仕事は大幅に減ってしまうのである。
【著者による講演動画:First in Line: Presidents, Vice Presidents, and the Pursuit of Power】
しかし、過去数十年で副大統領の役割は大きく変わったと著者ブラウワーは言う。分水嶺になったのが1977年から81年にかけて正副大統領を務めたカーターとモンデールだ。カーター政権は内政・外交ともに迷走し、80年の選挙で共和党のレーガンに負けたことにより1期限りで終わってしまったというネガティブな印象が強かったが、こと正副大統領の関係ついては現在まで続く、重要な変化をもたらしたというのが著者の指摘だ。カーターとモンデールのあいだでは就任前に副大統領の役割に関する覚書が結ばれ、カーターは「副大統領からの指示は自分[大統領]からの指示と同じものとして受け止めてほしい」と自身のスタッフに話したといったエピソードが本書でも紹介されている。実際、それ以降の副大統領はホワイトハウスの政策決定に関与したり、特定の政策課題を担当したりというように、名実ともに「ナンバー2」の存在になってきている。
とはいうものの、いつの時代でも正副大統領は人間である。しかも、強烈な野心を持った政治家ときている。オバマとバイデンのあいだに築かれた友情はむしろ例外的なケースで、対立や反目、すれ違い、打算といった側面があちこちで噴出するのが両者の関係でもある。クリントンとゴアのように、当初は固い信頼関係で結ばれていたコンビが2期8年のなかで次第に疎遠になっていったケースもある。本書は副大統領をテーマにしたものだが、そこでは大統領との関係が必ずと言ってよいほどついて回る。その意味では、歴代の副大統領本人の人となりや経歴について記されているだけでなく、彼らの視点から見た大統領論、あるいはアメリカ政治論であるとも言える。
さらに本書の魅力を高めているのは、「セカンドレディー」、すなわち副大統領夫人についても1章を割き、彼女たちが担ってきた役割やファーストレディーとの関係──正副大統領と同様にこれまた容易ならざるもの──について紹介していることだ。また、海軍天文台を取り上げた章では、ホワイトハウスに比べて知名度という点では劣る副大統領公邸が、いかに興味深い場所であるかが記されている。こうした側面も含め、本書を読めばアメリカ副大統領という、これまであまり知られてこなかった存在の役割や重要性が手に取るようにわかるはずだ。
本書の訳出作業をするなかで、副大統領をめぐって注目すべき展開が生じた。2020年の大統領選で、民主党のバイデン候補が副大統領候補にカマラ・ハリス上院議員を選んだのである。女性で黒人(母はインド出身なのでアジア系でもある)が副大統領候補になるのは彼女が初めてとあって、ハリスの起用は大きな注目を集めた(白人女性としては、1984年の大統領選で民主党のモンデール候補がジェラルディン・フェラーロを副大統領候補にしたケースがあるが、レーガンの前に敗北を喫した)。そして、バイデン勝利に伴いハリスは副大統領に就任した。わたしは2021年1月20日の就任式のライブ中継をテレビで見ていたが、彼女が就任宣誓をする様子はまさにアメリカ政治に新たな歴史が記される瞬間だと感じたものだった。HBOのドラマ「Veep/ヴィープ」ではセリーナ・メイヤーという架空の白人女性副大統領が主人公として登場するが、現実はさらにその先を行ったのである。
バイデン大統領は就任時点で78歳と、史上最高齢のアメリカ大統領になった。精力的な活動からは年齢を感じさせないが、1期目の任期が終わる2025年1月には82歳になる。このため大統領選の頃から、当選したとしても彼は一期だけで勇退するのではないか、という観測が根強くあった。仮にそうなれば、これまでのパターンでいけばもっとも有力な後継候補になるのは副大統領、つまりハリスだ。一方の共和党では、トランプ前大統領が政治活動を再開しているが、もう1人見逃してはならない存在がいる。ペンス前副大統領である。ともすれば地味な存在として見られがちなペンスだが、本書を一読すれば、彼に対する見方は大きく変わるはずだ。トランプ政権末期にバイデン当選を認めるかどうかをめぐり大統領から距離をとったことは、彼の「常識人」としての判断であると同時に、将来への布石だったのかもしれない。トランプ前大統領の動向次第とはいえ、2024年の大統領選が民主・共和の副大統領同士の争いになってもおかしくない。その意味でも、副大統領は今後、いっそう重要な存在になることだろう。
笠井亮平
【ケイト・アンダーセン・ブラウワー『アメリカ副大統領 権力への階段』(白水社)所収「訳者あとがき」より】