『権威主義の誘惑』日本語版に特別寄稿 アン・アプルボームさん(ピュリツァー賞受賞ジャーナリスト・歴史家)
記事:白水社
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アメリカ大統領選挙の投票日、2020年11月2日からジョー・バイデンが就任する2021年1月20日までの異例の空白期に、大統領ドナルド・トランプは近年の歴史には例を見ないやり方で、アメリカの民主政治に対する攻撃に手をつけた。だが、彼のそれまでの履歴に注目してきただれから見ても、これは驚きではなかった。
トランプはオバマ大統領がアメリカ合衆国生まれではないという陰謀論、「バーセリズム」を足掛かりとして政治の世界に入った。登録された共和党員の72パーセントを含むアメリカ人のほぼ3人に1人がこの論を信じ、それゆえに、オバマは違法な大統領であると信じた。当時は過小評価されていたのだが、これは重大な変化だった。
すなわちそれは、ホワイトハウスと連邦議会、連邦裁判所、そして連邦捜査局(FBI)を含め、アメリカの既成の政治・司法・メディアの総体が、国民を欺き偽物の軍最高司令官を受け入れさせるための壮大な陰謀の共犯だと、多くのアメリカ人が信じたことを意味したのである。
アメリカ人の3人に1人が、アメリカの民主政治をそんなにも信じていなかった、言い換えれば、彼らはオバマの大統領の地位そのものが詐欺だと考えることをためらわなかったのである。
この3人に1人のアメリカ人が次に、トランプの支持基盤になった。トランプが何をしようと彼らは4年間にわたって彼に声援を送り続けた。それは必ずしも彼の言うことをすべて信じたからではなく、往々にして何事も信じないからであった。
【著者インタビュー動画:Anne Applebaum, Author of "Twilight of Democracy"】
すべてがいんちきなら、大統領が常習的うそつきであってもだれがかまうだろうか? アメリカの政治家がそろって腐敗しているなら、大統領もそうだからといって、それがどうしたというのか? だれもがつねにルールを破ってきたのなら、どうして彼もそうしてはいけないのか?
トランプのホワイトハウスが議会の召喚を拒んで罰されなくても、あるいはトランプが個人的復讐を追求するために司法省を利用しても、あるいはまた彼が機密アクセスにかかわる倫理的指針とルールを無視しても、あるいは官庁の内部監視官・監察官を解任しても、彼らが反対しないのは不思議ではなかった。トランプが中央情報局(CIA)と国務省を「影の国家」としてその名誉を傷つけたり、ジャーナリストたちを「国民の敵」と呼んであざ笑ったりしても、彼に拍手し続けるのは不思議ではなかった。
誤解のないように言えば、これは戦略だったのであり、トランプが長年使ってきた戦略なのである。
トランプは統治は不得手だったけれども、いかに不信を醸成するか、その不信をいかに自らの利になるよう使うかを、年季の入った詐欺師の直観によって久しく理解していた。
ジャーナリストのレスリー・スタールが言っているが、トランプはかつて彼女に、自分がメディアを攻撃するのは「諸君がわたしについて否定的な記事を書いてもだれも信じないように、きみたち全員の信用を失わせ、卑しめる」ためだと語っている。
官吏たちがトランプの振る舞いについて正直に証言しても、だれも彼らの言うことも信じないように、トランプは官吏たちの信用を失わせ、卑しめたのである。
もちろん、彼はすでに存在した不信に依拠して物事を進めていた。
最近のある調査によれば、アメリカ人の半数が今の政治制度に不満をもっている。5人に1人が軍事政権のもとで生活できればハッピーだろうと回答している。
トランプはホワイトハウスを手に入れるために、民主政治のこの欠損につけ込み、在任中にその欠損を押し広げたのである。
【アン・アプルボーム『権威主義の誘惑 ──民主政治の黄昏』(白水社)「日本語版への序文」より抜粋】