1. じんぶん堂TOP
  2. 自然・科学
  3. 古くからの縁起物 ーアワビとその採集の歴史をひもとく

古くからの縁起物 ーアワビとその採集の歴史をひもとく

記事:朝倉書店

身近な海辺の生態系を利用する漁業のなかでも「アワビ」は、私たち日本人の文化や伝統に根深くかかわってきた。
身近な海辺の生態系を利用する漁業のなかでも「アワビ」は、私たち日本人の文化や伝統に根深くかかわってきた。

 私たち日本人の文化や伝統に根深くかかわってきたアワビ

 身近な海辺の生態系を利用する漁業、すなわち沿岸漁業の歴史において、私たち日本人の文化や伝統に根深くかかわってきた漁獲生物としては、第一にアワビがあげられるであろう、アワビ類はミミガイ科に分類される巻貝の総称で、世界中に70種程度が分布している。その生殖方法は体外受精であり、オスとメスが卵と精子を海水中に放出して行われる。うまく受精した受精卵は約1日でふ化して浮遊幼生となり、数日から約1週間で海底の岩場に着底する。アワビ幼生はロをもっておらず、浮遊幼生の期間は親から得た卵黄のみで成長・変態する。着底後は着底した岩場を生息場所として底生生活を行うため、離散的な空間構造を有する局所個体群からなる集団を形成する(『人と生態系のダイナミクス 4. 海の歴史と未来』第2章参照)。また、成熟して産卵ができる体のサイズは種によって異なるが、日本で漁獲される主要3種のクロアワビ・メガイアワビ・マダカアワビでは少なくとも殻長10cm以上といわれており、成熟サイズに成長するまで3年以上かかる(山崎ほか2018)。

 遺跡などから見つかる木簡から、当時の都における海産物の利用や流通を知ることができる(『海の歴史と未来』第1章参照)。中でも潜水漁業者であるアマによる、アワビをはじめとした海産物の漁獲については、田辺らの一連の研究が詳しい(田辺1998)。そこでは中世から近代までの歴史がひとつらなりのものとしてまとめられているので、本文で主に時代別に記載した海の利用とは独立して、コラムとして近代までを含めた歴史を取り上げたい。

加工しやすく、乾燥して保存食品としても使うことができ、重量が軽く運搬に便利だった

 アワビは古くから縁起物とされており、現在でも伊勢神宮などで、神事に用いられるために奉納されている。先史時代から特産とする場所があったと考えられ、例えば当時の政治の中心であった近畿地方から離れた、千葉県勝浦市のこうもり穴洞穴遺跡で3世紀頃の地層から占いに使われた動物の骨とアワビの殻が多数出土している(大場2004、館山市立博物館2010)。また、中華食材としても古くから高級珍味として珍重されている。加工しやすく、乾燥して保存食品としても使うことができ、重量が軽く運搬に便利であったことなどもあって商品や贈答品としての価値が高かった。

奈良時代初期には「のしアワビ」がすでに用いられていた

 奈良時代初期に編纂された『肥前国風土記』には、当時すでにアワビを薄くスライスした「のしアワビ」として神饌に用いられていたことが記載されている。現在も贈答品に水引とともに熨斗をつけるが、これはのしアワビを贈り物につけたことに由来し、文化的な生態系サービスとして現代につながっている。

 当時の荷札に使われた木簡からは、8世紀初頭に大和朝廷に対して、各地域から天皇への献上品としてアワビを含めた海産物があり、前述の千葉県の館山市周辺(安房)や、東海地方から送られていたことがわかっている。特に10世紀の初めには租庸調の一部として魚介類のほかにアワビなどを提供している国が各地に見られており、主要な磯がある地域にアワビの利用が広がっていた。

現在も贈答品に水引とともに熨斗をつけるが、これはのしアワビを贈り物につけたことに由来し、文化的にも現代につながっている。
現在も贈答品に水引とともに熨斗をつけるが、これはのしアワビを贈り物につけたことに由来し、文化的にも現代につながっている。

九州北部〜関東地方まで、早い時期からアマが活躍していた

 このことから、『魏志倭人伝』などに記載があった九州北部だけではなく、関東地方まで、早い時期からアマが活躍していたと考えられる。一方、東北地方には少なくとも平安時代には、まだ朝廷もしくはアマを行う漁業者らの勢力はあまり及んでいなかったようである。実際に潜水をしてアワビをとった記録は鎌倉幕府の正式な記録である『吾妻鏡』にあるこの資料から、当時は裸体潜水が主だったと考えられている。一方で、船から棒を使って採集する方法の起源は定かでない。また、1500年頃には神奈川県三浦半島三崎の城主であった北条氏が大阪に行くための贈答品として急いでアワビを加工するため、真鶴から20人ほどの熟練者が集まったという記載もあり、人数的には各海岸に数十人以上がかかわって潜っていたと考えられる。こうしたアワビの潜水漁業は、江戸時代になると(図)、俵物(たわらもの)とよばれる清(中国)向けの輸出が盛んになり、ナマコやフカヒレとともに、日本から大量に輸出された、南房総では伊豆国加茂郡(静岡県)からアマを雇ったという記録もある。(これらについては『海の歴史と未来』の3.3節で取り上げられている。)

図 歌川国貞作 勢州鰒取ノ図
歴史の情報蔵(三重県環境生活部文化振興課県史編さん班)ウェブサイトより引用
https://www.bunka.pref.mie.lg.jp/rekishi/kenshi/asp/shijyo/detail.asp?record=600
図 歌川国貞作 勢州鰒取ノ図 歴史の情報蔵(三重県環境生活部文化振興課県史編さん班)ウェブサイトより引用 https://www.bunka.pref.mie.lg.jp/rekishi/kenshi/asp/shijyo/detail.asp?record=600

新たな技術の導入により、とれすぎてしまうことから、漁法を制限する地域も

 明治時代以降には、潜水技術が大きく変化した。眼鏡は江戸時代中期にはあったようだが、水中眼鏡が1884年頃に沖縄糸満の漁師によって作製され始めた。また開国後にガラス板が輸入され、流通した。それらを活用して、素潜りをするアマは水中眼鏡をつけて海産物を採取するようになり、船の上からの棒を使った採集には箱眼鏡を使うようになった。1872年頃にはヘルメット式の潜水器の導入が国内で始まった。1898年に岩手県に、貨物船引き上げのために千葉県の潜水士らが、ヘルメット付きの潜水服を着て空気を船から送る技術を導入すると、その技術により同年、「北限の海女」とともに有名な「南部もぐり」が誕生している。また、1960年代に耐寒性と機動性に優れたウエットスーツが普及を始めて以降、現在では多くのアマがウエットスーツを着用している。

 水中眼鏡が出現するまでは、水面にクジラや魚のワタ、米糠などから出る油を撒いて、水中を少しでもよく見えるようにして船から棒でつくなどして採集するか、裸眼で目を腫らしながら冷たい海水中を素潜りしていた。また潜水服やウエットスーツを活用する以前は腰巻と手ぬぐいのみで南の地域でも寒さで長時間潜れなかった。そのため、効率が悪く、とりこぼしも多く、潜水できる時間も限られていた。一方で新たな技術の導入により、とれすぎてしまうことから、こうした漁法を制限する地域も現れている。

明治時代以降には、潜水技術が大きく変化した。素潜りをするアマは水中眼鏡をつけて海産物を採取するようになり、船の上からの棒を使った採集には箱眼鏡を使うようになった。
明治時代以降には、潜水技術が大きく変化した。素潜りをするアマは水中眼鏡をつけて海産物を採取するようになり、船の上からの棒を使った採集には箱眼鏡を使うようになった。

少しの技術革新が資源へ大きな影響を与えうる

 明治期以降には漁獲能力自体が上がったほかに、よい漁場を見つける能力も上がった、青森県津軽郡、深浦町の沖合およそ37kmの久六島がその典型例として取り上げられる(田辺2014)。この島は江戸時代から明治の初期までは北前船が入港する際の目印にしかなっていなかったが、明治15年頃にアワビやサザエのよい漁場であることがわかり、その後帰属をめぐって隣村どうしが争っている。

 漁業が近代化された現在であっても、大きな設備や機械を使用せずに、小型の船や潜水によってアワビは採集される。今でも小規模な経営体や家族単位での職業で漁労の範疇といえるかもしれない。その程度の産業であっても、少しの技術革新が資源へ大きな影響を与えうるということが、近年の状況からいえる。三浦半島周辺を例にとってみると、近年のアワビの資源動態と遺伝的な解析の結果、100%に近い割合で、天然のアワビではなく種苗放流されたアワビによってアワビ資源が成り立っていたことが発表された。漁獲圧だけではなく、海流や磯の状態による定着量やアワビ自体の幼生の生産量なども関係するが、都に献上した古くからの歴史をもつ天然のアワビを、このまま絶やして養殖場のようにしてしまっていいのだろうか。

山北剛久(海洋研究開発機構)・堀 正和(水産研究・教育機構 水産資源研究所)

【参考文献】
大場俊雄(2004)ベルソーブックス 002:あわび文化と日本人. 成山堂書店.
館山市博物館(2010)特別展図録/館山湾の洞窟遺跡. 館山市博物館.
田辺 悟(1998)近世日本蜑人伝統の研究. 慶友社.
田辺 悟(2014)ものと人間の文化史 164:磯. 法政大学出版局.
山崎誠,鴨志田正晃(編)水産増養殖関係研究推進会議養殖産業部会アワビ研究会(監修)(2018)アワビ類の生態に基づく資源管理・増殖.国立研究開発法人 水産研究・教育機構 増養殖研究所.

ページトップに戻る

じんぶん堂は、「人文書」の魅力を伝える
出版社と朝日新聞社の共同プロジェクトです。
「じんぶん堂」とは 加盟社一覧へ