恋愛摩擦に苦しんだ漱石の「人間であること」を描ききる眼とは?――『哲学する漱石』(下)
記事:春秋社
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周知のように、漱石文学における倫理的葛藤の発生局面としては、金銭問題に加えて恋愛をめぐる問題が最も大きいものであった。
『心』に代表される三角関係は、漱石大学院時代の小屋(大塚)保治、大塚楠緒子との微妙な関係を経験した経緯が反映されている。『心』の「先生」が回想している小石川下宿での学生時代とその終わりは、漱石自身でいえば明治27年、「失恋」や神経衰弱の悪化によって煩悶憂苦いちじるしい時節に相当しているのである。その年の夏頃に、畏敬する学友で寄宿舎同室だった小屋と、一時期は漱石自身が婿取り候補となっていたという大塚との結婚がおそらく決定的なものとなり、九月には子規宛に、「理性と感情の戦争益(ますます)劇(はげ)しく恰(あたか)も虚空につるし上げられたる人間の如くにて、天上に登るか奈落(ならく)に沈むか運命の定まるまでは安心立命到底無覚束(おぼつかなく)候」と書いている。そして翌月には寄宿舎を出て、小石川の法蔵院に下宿するのである。
漱石は苦悩の日々を送り、言動に「狂気」をも漂わせてゆく。それは、『心』のなかにKの「ただ野蛮人の如くにわめく」様子としても回顧されているし、子規宛にも、湘南の海で「心平(たいら)かならぬ時は(...)直ちに狂瀾の中に没して瞬時快哉を呼」んだことが告白されている。それはその年の暮れに試みた鎌倉円覚寺での坐禅・公案によってはいかんともなしえなかったものであり、のちに「回想」というかたちで書くことによってしか向きあえなかった「心」であった。
そこで見つめられた「心」の内実は、「平生はみんな善人」でありながら「いざという間際に、急に悪人に変る」という人間心理の綾であり、「罪悪」である。三角関係という摩擦を免れえない動的な場に置かれた自己は、「自己本位」から容易に、また気がつかぬうちに「利己本位」に成り変わり、彼我の関係が「我対彼」の「互殺」の関係に緊張し、「孤立支離の弊」に陥ってゆく。漱石文学の後期作品は、そうした人間世界を繰りかえし描いている。
その漱石が没して間もない頃に、漱石門下の中心的人物たちのあいだで、三角関係による「互殺」が再現されたことは、いかにも痛ましい現実だろう。漱石長女筆子をめぐって門下生・松岡譲と久米正雄は長く絶縁の関係となって、互いに牽制・批判しあった。また、同じく漱石門下の和辻哲郎と和辻が敬愛した阿部次郎との関係は、和辻が渡独中に阿部と和辻の妻照とのあいだに起きた不義の「事件」によって絶交状態となった(竹内洋『教養派知識人の運命阿部次郎とその時代』)。妻の「告白」によって事態を理解した和辻は、阿部の裏切りを難詰し、そのエゴイズムを糾弾した。
阿部は漱石に哲学者として資格を認められていた門人であったし、和辻は漱石という文学者の「求道」的な人格を目の当たりにしたことによって、のちの和辻倫理学の指標を得た。その二人の哲学者、倫理学者が、いざ三角関係に窮まったとき、急に「互殺」の間柄となってしまったのである(ただし阿部の方は和辻の批判や周囲の讒謗にも弁解してまわることをあえて控えつづけたし、和辻も後年阿部の死に際して、妻の証言のみを容れて妻を不問に付したこと、一方的に阿部を非難したことを悔やんだという)。
漱石はこうした「人間であること」の宿命的な業を描き、自己の内心に目を光らせた。『心』は、人間の否応ない宿業のすがたを見つめ、その裁かれた魂としての自己(「先生」)を描ききろうとした文学であり、まさにそこに漱石の倫理的な気高さがあった。その文学的照射が成功しているとすれば、その所以は漱石が自己のエゴイズムを見透すにあたって、もう一人の自己としての他者のまなざしをもち込んだところにある。エゴイズムの籠絡から遁れることはいかにして可能か? 「自己」はいかにして「天に則して私を去る」ことを成就しうるのか——。こうした課題に少なくとも漱石は小説のなかで解決を得ようと苦闘しつづけてきた。
「先生」の「告白」は、それを相対化するもうひとつの語りの視野につつまれている。すなわち「先生」のエゴイズムの自白を聴き受け、畏敬する「先生」を批評性をもって回想する「私」の視点である。「私」は「先生」の「時々昔の同級生で今著名になっている誰彼を捉えて、ひどく無遠慮な批評を加える事があ」るという自我意識を見逃さない。また、「先生」について「よそよそしい頭文字などはとても使う気にならない」とした「私」の宣言は、「先生」が同じく畏敬していたKのことを「私はその友達の名をここにKと呼んでおきます」と記号化した処置に対する異議申し立てでもある。「私」という回想主体は、「先生」が叔父から受けた「利己本位」も、「先生」自身のKに対する「利己本位」も、共に見透す存在なのである。ここから、漱石文学の視点は個の単数性を脱して複数性へとひらかれてゆく。
それは、たとえば世阿弥の能芸論に説かれた「離見の見」のような視点と重ねて理解できるかもしれない。すなわち、能役者は「我見(主観)」を離れて観客の視点と一致する「離見(客観)」に立つようもとめられるのだが、「離見の見」とは、単なる「離見」なのではなく、「我見」という一人称主観のなかにヴィジョンとして想念された客観視点(離見)に反射されたところの、いわば主客超越視点なのである。「一人称単眼」によって描かれてきた漱石作品は、後期作品をつうじて「一人称複眼」をもって人間模様を展望する語りへと展開してゆくのである。
本書では、「則天去私」の内実について、「反近代」としての「則天去私」、書く行為における「清明心」としての「則天去私」、「守破離」の「離」としての「則天去私」、「自然法爾」としての「則天去私」など、さまざまに捉え出しているが、以上は、「離見の見」としての「則天去私」と言えるだろう。