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「死」が身近になった時代を生きるために 紀伊國屋書店員さんおすすめの本

記事:じんぶん堂企画室

「死」が加速していく時代に

 ある日、妻からこんなボヤキが飛んできました。「(コロナウイルスが流行している)このご時世で子どもを産んだら、『計画性がない』『コロナが落ち着いてからでも良かったのでは?』『生まれてくる子どもがかわいそう』と思われそうで怖い」と。

 SNSやインターネットをチェックしてみると、妊娠や出産に対するこうした意見がある事は確かなようです。私たちには今のところ子どもはおらず、「できたらいいなあ」なんてのんびり考えていたのですが、そんなマイペースは社会情勢が許してはくれないようです。

 2020年にコロナウイルス感染症が流行してから、私たちは「死」に対する意識を日増しに強くしてきたように思います。「自身が感染して重症化したら?」「自分が無症状でも感染させ、他人を死なせてしまったら?」等々。著名な芸能人が亡くなるニュースが毎週・毎月のように続いたのも、こうした意識に拍車をかけました。

 また、2018年には北海道胆振地方や大阪北部で大型の地震が発生、熊本県や西日本を中心とした豪雨被害もあり、台風は毎年のように日本各地にその爪痕を残しています。もはや私たちが理想とする「平和な日常」などというものはなく、この世界は「死」に満ち溢れた、救いのないものではないのだろうかと思ってしまうのも無理はありません。

「今」子どもを産む事は悪か?

 冒頭の問いに戻り、このような「死」に満ち溢れた世界に生を受ける/受けた事を、私たちはどのように考えれば良いのでしょうか。そんな問いに一つの道筋を与えてくれるのが、森岡正博『生まれてこないほうが良かったのか? 生命の哲学へ!』(筑摩書房)です。

 本書は、古代ギリシアの戯曲「オイディプス王」に始まり、ショーペンハウアー、ニーチェ、ウパニシャッド、ブッダなどを経由しながら、タイトルにもなっている「反出生主義」をめぐる思考を読み解いていき、「生命の哲学」を基礎付けるという意欲作。

 いずれの議論も興味深いのですが、本稿の流れに即して触れるならば、後半で紹介されるリヴカ・ワインバーグによる「出産許容性原理」は特に目を引きます。これはジョン・ロールズ流の「無知のヴェール」を出産/出生に適用した場合、①出産は子どもを育て、愛し、伸ばしていきたいという願望によって動機付けられていなければならないとする「モチベーション制限」の原理と、②自分が生まれてくる子どもだと仮定した際に、出産のリスクは自身が合理的に受忍可能な範囲であるべきだとする「出産バランス」の原理が発生するというものです。

 この原理に則って冒頭の問いを引き受けるならば、自分自身がコロナ禍にあって生まれてくることを受け入れる事ができるのか? 別の視点を取るならば、気候変動が加速していき、自身の生活や安全が脅かされる可能性が高まりつつある、この地球に生まれ落ちることを受けいれられるのか? といった事を、出産に際しては考える必要があるのかもしれません。

 なお、著者はこの原理に「応答責任原理」を加えて拡張させるべきであると主張しているのですが、その内容は本書を読んで確かめてみて下さい。また、本書の「はじめに」はこのじんぶん堂で公開されておりますので、興味を持たれた方はぜひご一読を。

>生まれてこないほうが良かったのか? 哲学者・森岡正博さんと「反出生主義」を考える

「死」の輪郭を捉える

 さて、生まれ落ちる事――「生」を問うことは、「死」を問うことと表裏一体です。私たちが「死」をどのように捉えてきたのかは、マイケル・ケリガン/廣幡晴菜『図説「死」の文化史』(原書房)が参考になります。

 人の「死」をどの時点で判定するのか、どのように弔うのかといった事に関しては、時代や地域によって様々です。例えば「インドネシアの離島のなかには、二回目の葬儀を行って、肉がはがれて白骨化した遺体をもう一度適切に埋葬する習慣が残っているところ」があるといい、これは「生と死のあいだに何らかの中間状態が存在するという思想の表れ」だと著者は考えます。他にも、日本では火葬、西洋では土葬という一般的なイメージがありますが、チベットでは遺体の肉を鳥に啄ませる鳥葬が今でも行われているようです。

 かように多様な「死」にまつわる文化を紹介しながら、著者は「古代の文化では、死は理解しがたい力」であったし、科学技術が発達した今でもなお、私たちは「死を前にするとかつてと変わらず無力」な存在でしかないと説きます。確かに、死者を弔う方法は時代や地域で変遷しますが、死者への悼み、悲しみ、そして死に対する恐怖は、常に私たちを絶望へと追いやります。

「死」が浮かび上がらせるもの

 「死」の絶望を乗り越える特効薬はありませんが、サプリメントになりそうなものの一つは、文学ではないでしょうか。内藤理恵子『正しい答えのない世界を生きるための「死」の文学入門』(日本実業出版社)は、夏目漱石やプルースト、村上春樹、ベン・H・ウィンタースなど、文学史を縦横無尽に駆け巡りながら、作品の中の「死」にまつわるテーマを取り上げていく文学入門書です。

 本書の後半ではアーサー・C・クラークの『幼年期の終わり』を取り上げながら、病や死から解放された世界のディストピアでは、音楽などの芸術活動が無くなってしまったことを隠喩的に示唆しています。そして、本書のイメージキャラクターであるメフィストフェレスは、高らかに宣言します。「そう、文学は、そもそも哲学では描けない愛と死を描く装置なのだ」。

 現場に立つ書店員の実感として言えるのは、普段担当している芸術書の売場で「今、アツい」ジャンルといえばデザイン、作曲、イラスト技法、映画脚本術など、いずれも「自ら制作する」分野ばかりだという事です。ソク・ジョンヒョン『ソッカの美術解剖学ノート』(オーム社)は、一冊当たり税込7,370円という決してお手頃とは言えない値段設定ですが、度々SNSで話題になっては、若い方を中心に爆発的に売れています。

 また、ひとたびスマートフォンを手に取れば、若きクリエイターたちによる音楽・イラスト・小説作品が洪水のようにネットから溢れ出てくるのを見るでしょう。デジタル技術の発達により、手軽に制作活動が行えるようになった事が人々の創造性を刺激しているのだとすれば、それらの作品は図らずも「死」の時代の反射光として、光り輝いているように見えないでしょうか。

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