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日本人はどんなふうに〈病〉を治してきたのか? 身近で切実な問題を問い直す『医療民俗学序説』

記事:春秋社

コロナ禍に一世を風靡した「アマビエ」
コロナ禍に一世を風靡した「アマビエ」

 私たち日本人は、疫病(流行病)との闘いに際し、さまざまな祓いや呪(まじな)いによって、その災難から逃れようとしてきました。科学が進歩し、合理的な思考が浸透した21世紀に起こったコロナ禍においても、アマビエのイメージは、菓子(饅頭・どら焼き・ドーナツ・クッキー等)、日本酒やビール、ワインなどのアルコール飲料や清涼飲料のキャラクター、キーホルダーやストラップ、風鈴や張り子、南部鉄器、またマスクなどさまざまな商品に汎用されていきました。

 なかにはアマビエをお守り(護符)として頒布する神社仏閣もあったようですが、そもそもアマビエは江戸時代の瓦版に記されているだけで、出現したとされる地域でも伝承されていないのです。このような民間信仰の対象にもなっていなかった“妖怪”、あるいは“予言獣”を、既成の宗教が取り入れ、あたかも「悪疫退散」のご利益があるかのように宣伝したということになります。

 私たちは近代的・科学的な西洋医学の恩恵を受けるまでの長いあいだ、こうした民俗的な治療で病気に対処し、なにかしらの治癒を経験してきたのです。こうした経験の「記憶」と「技術」を検証するには、「医療の民俗学」と呼ぶべき領域があってしかるべきでしょう。それでは実際に医療の民俗学はこれまでに開拓され、蓄積されてきたのでしょうか。

 「医療民俗学」に対して「医療人類学」という学問領域は確立しています。国内の研究者では『医療人類学入門』(1994年)を世に送り出してきた波平恵美子がこの領域の開拓者で、いまでは多くの大学に医療人類学の講座が開かれています。なお「医療人類学」という日本語は、池田光穂によると、1970年代に英語の「medical anthropology」の訳語として、日本の医学界に登場したのだそうです(『医療と神々―医療人類学のすすめ』)。

民俗にとって「医療行為」とは?

呼吸器系の病に信仰を集める「咳の爺婆尊」(東京都墨田区・弘福寺)
呼吸器系の病に信仰を集める「咳の爺婆尊」(東京都墨田区・弘福寺)

 一方、「医療民俗学」は、北関東をフィールドにする民俗学者・国文学者の根岸謙之助(1925 -1995)が『医の民俗』(1988年)、『医療民俗学論』(1991年)などで、対象領域、目的、方法などを詳細に検討し、定義していますが、民俗学の一領域として定着しているとは言えないようです。

 根岸によると、医療人類学も医療民俗学も文化としての医療を研究対象としていますが、前者は他国の、あるいは異文化としての医療を、後者は自国の医療を対象とする点が根本的な相違点だと言います。また根岸は、「これまでの日本民俗学では、病気平癒のための神仏祈願や呪術的行為を、民間信仰の名のもとに、宗教の一部とみなす傾向があり、日本の社会における医療制度の一部として考察するということがなかった」と述べています(『医療民俗学』)。

 柳田国男の民俗学でも、「医療」は妖怪・幽霊・兆・占・禁・呪などともに「心意現象」の部門に入れられ、医療民俗の「心意」を追求することに主眼がおかれています。また、「医療が医者より古い」という考え方もあります。こうした見解を踏まえて、根岸は「(常民=普通の人びとが)彼等自身の考えに基づいて、病気に対して如何なる観念をもっているか、また経験に基づいて如何なる治療の方法を修得したか」を考えるのが、従来の医学研究の立場だったと指摘していました。

民俗医療の“担い手”と“受け手”

大和国吉野山で生まれた「陀羅尼助」は修験者が広めた
大和国吉野山で生まれた「陀羅尼助」は修験者が広めた

 根岸はまた、民俗学で使用されてきた「民間医療」という用語の替わりに、民俗知識にもとづく医療という意味から、「民俗医療」という言葉を用いています。そして「民間医療」と「民俗医療」の違いについて、「民間医療」には修験などの職業的宗教者(宗教的職業人)による医療や、盲人などの医療職人による医療行為が含まれ、彼らは医療技術を身につけた職業人だから、常民が行う医療行為と明確に区別されるべきだと言います。

 以上のような理由から、根岸は民俗医療の担い手を常民に限定するのですが、民俗医療の担い手をここまで限定してしまうと、「どんな方法で病を治癒してきたか?」という疑問に答えることが難しくなります。そこで私は、「民俗医療」という言葉を用いつつも、病に侵されたり、病を予防したりする、「医療」行為を受容した側からも考察することにしました。

 柳田国男の民俗学で、「俗信」のカテゴリーのなかで扱われてきた「呪術による治療行為」や、「民間信仰」で扱われてきた「神仏祈願による病気平癒の行動」などを含めて、これらを医療というカテゴリーの中で、あらためて検討するのが医療民俗学の立場です。そして、医療行為の担い手だけではなく、受け手の反応を考慮する必要があることは言うまでもありません。

 医療民俗学の目的は、常民の医療行為における西洋的な「科学的医療」と、非西洋的な「呪術的医療」という二重構造を解明することでもあります。こうした視点は極めて今日的であり、現在のような未知の感染症への対処に苦慮しているなかで、示唆的な知見や情報が含まれていることでしょう。

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