「災厄」の歴史から「厄災」の感情史への道を開く『医療民俗学序説』
記事:春秋社
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民俗学で扱う民間信仰は、人々が見舞われる困難を取り除くために行われ、小さな神や仏への祈願を対象にしてきました。個人に降りかかる災難を「厄」とみなし、これを避けるために祈ることは、宗教以前の素朴な信仰と言えるでしょう。「厄」には、天変地異や疫病がもたらす悩みや苦しみ、あるいは不慮の事故などを思い浮かべることができます。
ほとんどの人は安らかな死を望む前に、可能なかぎり現世での解決を切実に願うことでしょう。また、病気や事故に見舞われることを予め防ぐため、「厄除け」の風習が広く浸透してきました。伝統社会や民俗社会、そして現代社会をつうじて、こうした「厄」を「災厄」という呼び方で表現し、災厄の影響を減じるため、さまざまな手段が講じられてきたのです。
病気の予防や治療、また自然災害に対しては防災・減災の工夫をしてきました。しかし「災厄」という言葉の響きには、どこか外発的で、偶発的なニュアンスがこもってはいないでしょうか。この「災厄」を「厄災」と言い換えてみたとき、個人個人の苦悩が「共同性」や「公共性」を帯びたものとなり、「共助」や「公助」による解決をめざすべきものとして認識されるようになるのではないか、というのが本書『医療民俗学序説』をまとめるにあたり私が思いついたことです。
現在進行形のコロナ禍は、自然災害や不慮の事故といった「災厄」以上に、「共同的」、「公共的」な対処が必要とされているのではないでしょうか。また一方で、災難に陥った人々の孤独もあらわにしているように感じられます。「厄災」という言葉には、「共同性」、「公共性」が求められているにもかかわらず、孤絶感の深みが否応にも増す現状を意識して本書では用いるようにしました。
本書に収録した各章について、「1 医療民俗学序説」は、普遍性・歴史性・構造性を帯びてみえる医療人類学に対し、ある意味素朴な「医療民俗学」というアプローチの方が、今回のような「厄災」に対して可能性があるのではないかという思いつきから書き下ろしたものです。「2 ケガレとウイルス」は昨年の春以来、進行形の事態としてこの厄災について考えた時事的な原稿を集めました。
「3 二一世紀の「まじない」」は、自然災害と疫病を含めた「厄災」に、これまでの私たちがどのように対応し、祭りを行い、呪(まじな)ってきたのかを跡づけた原稿が中心です。「4 災害伝承への旅」は、標題のとおり、ある種の「ダークツーリズム」というべき紀行文集、最後の「5 「残酷」の時代」は、人災による「厄災」がどんなふうに人々を翻弄し、どのような感情を抱かせてきたかについて思いをめぐらせた文章を収めました。
本書には民俗的なさまざまなエピソードを盛り込んでいますが、私がとくに気に入っているのは、太平洋戦争のさなかの多摩丘陵で柳田国男が出合ったこんな光景です。
二階建ての農家の戸の上に、子どもの手形を墨で捺した白い紙が二枚貼り付けてある。「あんまりいたいけないので立ち止ってよく観ると、母の筆かとおぼしくその一枚に、/コノ手ノ子ドモハルス/もう一つの小さい方には、/コノ手ノコドモモルス/と片仮名字で書いてある。」(「王禅寺」)
柳田は、このあたりにジフテリアが流行りかけていることから、こんな呪いをしているのだろうと想像しました。しかし、柳田が見た偶然見た素朴な呪いは、「この家にはジフテリアがうつるような子どもがいない」ことを示すつもりのはずなのに、わざわざ手形を掲げて「子どもが留守」だと書き添えているので、子どもの不在よりも在宅を明かしてしまっているのです。
この手形について柳田は、「呪文のききめというものはすでに言語の常の作用を超えて、単にこうしておけば必ずのがれるという信仰、もしくは世間では皆そうして免れたからという、一種の社会的背景に拠っているので、それを千金にも替えられぬわが子のためにするという切なる念願が、幾分か無思慮にこの昔風な手の型を、公表させることになったものかと思う」という解釈もしています。
「ウィズ・コロナ」などと言われ始めている昨今ですが、感染症からの不安に対して、私たちはまだしばらくのあいだ、こうした呪いを続けていくしかないのかもしれません。『医療民俗学序説』に通底している私の関心は、呪いや祓いによって苦難を乗り越えようとしてきた、「厄災」をめぐる感情史というべきものです。「厄災」は喜怒哀楽ではわりきれない、多様で複雑な感情を、個人にも、公共にも生んできました。そして、その道筋と未来を見てみたいというのが本書の一番の狙いなのです。