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「なりきりアカウント」から国内最強の災害速報システムへ――防災アプリ「特務機関NERV」の進化を追う

記事:平凡社

災害情報アプリ&ツイッターアカウント「特務機関NERV」の「中の人」。開発者、ゲヒルン株式会社代表の石森大貴(左)と、石森を長年支える同社取締役の糠谷崇志。(撮影/永易量行)
災害情報アプリ&ツイッターアカウント「特務機関NERV」の「中の人」。開発者、ゲヒルン株式会社代表の石森大貴(左)と、石森を長年支える同社取締役の糠谷崇志。(撮影/永易量行)

2022年2月26日(土)発売『防災アプリ 特務機関NERV』(著/川口穣)カバーより
2022年2月26日(土)発売『防災アプリ 特務機関NERV』(著/川口穣)カバーより

最速の防災アカウント

 一日の最後に、ベッドに寝転がって文庫本に目を通しているときだった。2021年2月13日23時過ぎ。枕元のスマートフォンが突如、うなるように鳴り始めた。耳の奥で響くような、危機感を掻き立てる音。緊急地震速報を知らせる防災アプリの通知だった。

 画面を開くと、福島県沖でマグニチュード6.4、最大震度5弱程度(第一報時の予測)の強い地震が発生、東京にはあと三十数秒で主要動(地震の中盤に来る大きな揺れ)が到達することが示されている。

 私はその通知を見て飛び起きた。テレビをつけ窓を開け放ったあと、子どもが寝ている部屋に飛び込んだ。東京の自宅が揺れ始めたのは、それからさらに15秒ほどしてからだった。

 この日、スマートフォン用アプリ「特務機関NERVネルフ防災アプリ」が気象庁発の緊急地震速報を受信するまでにかかった時間は約0.1秒。その0.159秒後に受信内容の解析を終え、さらに0.048秒後には揺れが予想される地域のフィルタリングを完了して端末へ通知を送り始めている。実際にスマホ上に警報が表示されるタイミングは端末側の設定や通信環境にも影響されるが、早いケースでは緊急地震速報発表の1秒以内に端末に通知が表示されたと見られる。東京の場合、先出のように主要動到達までに30秒以上の猶予があった。ツイッターアカウント「特務機関NERV」ではさらに早く、気象庁の発表から0.2秒程度で情報がツイートされている。

 第一報時にマグニチュード6.4とされたこの地震は、実際はマグニチュード7.3、宮城県と福島県で最大震度6強を観測した。東日本大震災の余震とされ、宮城・福島で震度6弱以上を観測するのは2011年4月以来のことだった。特務機関NERVでは、各地の詳細な震度も気象庁発表とほぼ同時に震度分布図付きで配信・投稿している。

 数値情報だけではない。ツイッターには、落ち着いた行動を呼びかける投稿、エレベーターの使用を控えるようアドバイスする投稿、ガスメーターの復帰方法のような実用的な投稿なども次々にツイートされる。

2021年2月13日、福島県沖地震の情報を伝える特務機関NERV防災アプリの画面
2021年2月13日、福島県沖地震の情報を伝える特務機関NERV防災アプリの画面

 東日本大震災から10年を迎える直前での大型地震。その緊急時に速さと正確性を遺憾なく発揮した特務機関NERVには、多くの称賛が集まった。

〈テレビの速報より、10秒以上早かった〉
〈NERVを見て逃げた〉
〈こんなときの情報源〉

 「特務機関NERV」とはもともと、アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』に登場する国連直属の非公開組織の名だ。作中では、敵「使徒」のせん滅を主要任務とする超法規的組織として描かれる。そんな組織名を冠したツイッターアカウントを運用し、アプリを開発するのはITセキュリティ会社、ゲヒルン。社長の石森大貴(31)が2010年、ツイッター上でNERVを名乗るアカウントを立ち上げたのが始まりだった。ちなみに「ゲヒルン」も、特務機関NERVの前身として作中に登場する組織名である。

 冒頭の福島県沖地震からさかのぼること2年半、2018年7月に、私は週刊誌『AERA』の記者としてこの特務機関NERVを取材した。彼らがメディア取材に応じるのは初めてのことだった。当時スマホアプリはまだリリースされていなかったが、ツイッターではすでに50万人近いフォロワーを抱えており、災害支援に当たるNPO・NGO関係者のなかにもそのアカウントをフォローしているものは多かった。地震速報や災害警報の速さでは右に出るアカウントはない。一方で、その正体は「謎」だった。石森自身は特務機関NERVの「中の人」であることを周囲に隠してはいなかったし、エヴァンゲリオンの版権元も名称の使用を認めていたが、積極的に露出することはなく、活動を宣伝することもしていなかった。

 誰が、何を目的にやっているのかわからない。気象庁関係者の裏アカウントではないかというものもいれば、情報の出どころがわからず、怪しいと断ずるものもいた。実態がわからないアカウントが信頼を集めつつある様子を見て、「いずれデマを投稿して大混乱を引き起こすのが狙いでは」と言い出すものまでいた。

 私自身、強烈に興味を掻き立てられた。企画書に書いたタイトルは、「謎の災害速報アカウント『特務機関NERV』とは何者か」。それは、そのままオンライン限定で配信した記事のタイトルにもなった。

 詳細は本編に譲るが、実際に取材してみると、ツイッターアカウント「特務機関NERV」の陰には想像を超える技術の結集があった。怪しいアカウントではなく、石森の熱意とスキルが生んだ「本物」の防災アカウントだったのだ。

 ただ、実はそれは2010年のツイッターアカウント開設時に目指していた姿ではない。NERVアカウントはもともと、石森が始めた単なる「遊び」だった。

 特務機関NERVはアニメの作中で、使徒の襲来を警報する。現実の台風や地震を使徒になぞらえ、警報が出た際にツイートしたらおもしろいのではないか──。大のエヴァンゲリオン好きだった石森ならではの発想だろう。

 ツイッターアカウント特務機関NERVが最初に発した「警報」は10年2月27日。

〈沖縄県本島で震度5弱の地震が発生。津波警報・注意報が発令されています。一般市民及びD級勤務者は速やかに海岸より退避してください。〉

 アニメの口調に似せて津波警報の発令を知らせる内容だった。当初はツイートも手動。7月になって、気象庁のサイトを巡回し自動で投稿するプログラムを組んだが、気象警報の発表と解除を数分遅れで延々とつぶやく、ありがちなボット(一定のタスクを自動で行うプログラム)アカウントだった。初年度フォロワーの約300人は、多くがエヴァンゲリオンファンによるなりきりアカウント同士の相互フォローだったという。

 変えたのは、東日本大震災だ。なりきりアカウントだった特務機関NERVは震災を機に防災・災害速報ツールへと進化し、今やツイッターフォロワー数140万人、スマホアプリのダウンロード数は206万回(2022年1月)にのぼる。

 2019年9月1日、防災の日、それまでツイッターアカウント中心の運用だった特務機関NERVがスマホアプリをリリースする際、気象庁はこんなコメントを出した。

〈気象庁は、国民のみなさまの生命・財産を守るべく、防災気象情報を提供しております。
今回、気象庁も協力させていただき、ゲヒルン株式会社さまから、その使命を共にする頼もしいアプリを世に送り出せることになりました。
(中略)
 災害をもたらす現象は、使徒と同じように、いつも違った形で突然やってきます。このアプリは、そんな緊急時に、みなさまの避難の判断をしっかりと支援してくれるアプリです。〉

 そして『エヴァンゲリオン』シリーズの制作を担う株式会社カラーもまた、コメントを寄せている。

〈アプリ名称やアイコンなど、一部に弊社作品『エヴァンゲリオン』の象徴的なデザインを取り入れていただいておりますが、ご利用者の皆様に、アプリの存在を少しでも身近に感じていただけるお手伝いができましたら幸いです。
 前触れのない災害に対して準備すること自体が日常的になりますよう、アプリの頒布を応援させていただきます。〉

 行政機関が「使命を共にする」といい、「元ネタ」がその存在を後押しする。ひとりの大学生の「遊び」が、文字通り社会インフラになった瞬間だった。

 かつてNERVを怪しいと断じた防災関係者も、いまははっきりとこう言う。

 特務機関NERVは、日本最強の防災アカウント──。

 特務機関NERVはどのように社会インフラへと育っていったのか。情報と防災にかけた10年を追った。

(本書序章より転載)

『防災アプリ 特務機関NERV――最強の災害情報インフラをつくったホワイトハッカーの10年』目次

序 章:最速の防災アカウント
第一章:3月11日
第二章:熱意と技術
第三章:Lアラートと作画システム
第四章:起業と経営
第五章:防災アカウントとして
第六章:災害と、新たな挑戦
第七章:「情報では命を救えない」
第八章:哲学と実装
第九章:特務機関NERV防災アプリ
終 章:反省とは、未来を考えること
[寄稿] 『防災アプリ 特務機関NERV』刊行によせて/石森大貴
[年表] 特務機関NERVの歩み

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