幸田文の言葉から学ぶ「老いの身じたく」
記事:平凡社
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今回、『老いの身じたく』というタイトルでまとめた一冊には、幸田文が自身の老いを身近に感じ、周囲からもそんな話を見聞きするようになった日々のことが綴られています。少しの病気はするけれど、まずまず息災という段階の話です。
思い返せば、祖母は私が小さいころからしょっちゅう「もう長くない。もう死ぬ」というようなことをくり返し口にしていました。自分の葬儀のときの支度をととのえておいたとか、長く寝ついたとき、寝巻きは病人が身につける唯一の色なのだから、歳を重ねた自分が着て似合って、少し明るさもあるものがほしいとか、孫としてはあまり聞きたくないようなことを母に向かってよく話していました。けれど、そんな話にも慣れがありますし、第一、目の前の祖母はちっとも死にそうではありませんでした。そのころに書かれたものが「その日その日の老い」や「くぼみ」「いいおばあさん」「老後のしあわせ」と、数多く収められています。
個々の作品の末尾に、初出掲載年とそのときの祖母の満年齢が書き添えられているのはこのシリーズに共通していることですが、今回は特にこの末尾の一行に目がとまります。
例えば、「老女」ということばに皆様はどのような語感をお持ちでしょう。「老女ひとり住み」という小品がありますが、このとき祖母は六十七歳です。昨今、あまり耳にしなくなったことばですし、今の六十代は気力体力充実して、老女という響きはふさわしくありません。
「長生きをしたいと思う」では、祖母は工事現場の誘導員に「そこのオバアサン! ソレソレ、早く通った通った」と𠮟られますが、このときはまだ五十七歳です。オバアサン扱いされては困ります。もちろん、健康、体力、病気といったことは百人いれば百通り、個人差があります。それを承知で申し上げるのですが、五十年から七十年前の老いの感覚は、今より十五年か二十年早く訪れているようです。
もしかしたら祖母は胸を張って、しゃんと一本筋の通った老女でありたいと願ったのかもしれません。家族には「もう長くない」などと弱みを見せつつ、七十代に入ってからも好きな樹木に会いに、あるいは山奥の崩壊地へと取材に出かけて、それなりに行動的かつ意欲的な日々を送りました。そのせいでしょうか、この本の雰囲気は「老い」をテーマとしていても、決して暗さはありません。それどころか、持ち前の明るさ、潔さに満ちています。
こんな一節があります。
「老いの自覚があったら、ともあれ、体力能力気力、その他一切の持物の、現在高を確認すること、その上で何なりと選ぶ道をきめることです。終りよきものすべてよし、です」(「現在高」)
この「終りよきものすべてよし」は祖母がよく口にしていた言い回しです。生まれつきのもの、つまり先天的な出発点は変えようがないけれど、そのあとは努力次第で可変であり、終わりがよければ出発点の不遇を補って余りある、というのです。常に頭をあげて、一生きょろきょろしていたいと言っていた祖母らしい生き方です。
また、こんな箇所も素直に心に響きます。
「老後の仕合わせとは、小さい仕合わせを次々と新しく積みかさねていくことではないか、と私は思う。仕合わせには、永代続くものなどはない、と思うのである」(「老後のしあわせ」)
自分自身で陽気な性格と言っていた祖母は、日常の生活の中で楽しみを見つけるのも上手でした。おもしろがりは天性のものとも、培ったものとも言えます。
文/青木奈緖(本書「あとがき」より抜粋)