「老いる」ことでヒトは何を経験しているのか? 『こころの熟成──老いの精神分析』
記事:白水社
記事:白水社
私たちは、人類史上いまだかつてないほど老いが身近にある社会を生きている。
昨今の人口動態統計の報告によると、日本における65歳以上の高齢者は、すでに全体の3割近くに上っており、今後もますます増加の一途を辿ると見込まれている。少子高齢化社会においては、労働人口の減少に伴う経済成長の停滞や、医療費・介護費をはじめとする社会保障制度の崩壊など、懸念される社会的課題は山積されている。
問題は、客観的な割合や制度のそれに尽きない。たとえば、平均寿命の伸長という事実から読み取らねばならないのは、かつてはリタイア後に5年、10年でけりがついた人生が、いまや数十年にも及ぶこともある余生を伴うようになったという点である。それは、もはや「余生」と呼ぶことがはばかられるほどに、私たちの人生の大きな部分を構成している。
そして、そこにはたくさんの苦痛と困難がある。老いの時期には、それまで築き上げてきた社会的役割や対人関係、身体機能や認知機能が失われ、手放すことを余儀なくされる。当たり前のようにあったものがなくなり、ふつうにできたことができなくなる。あまりに痛ましく、悲しい、そして避けようのない事実である。そのため、老いは忌避され、ネガティブなイメージが付きまとう。醜悪、あるいは崩壊と言う人さえいる。
しかし、こうした見方は、一人の人を子ども、思春期、成人、という直線的かつ一方向的な流れで捉える老人像である。喪失を経験することで初めて得られる人生観があるかもしれないし、幼年期から現在に至るさまざまな経験を異なる形で位置づけることで見えてくる全体像があるかもしれない。老いには、創造的な側面もあるのだ。
本書は、老いた人々のこころに生じるさまざまな問題群に光を当てることを試みた一般書である。その特徴は、何よりも精神分析の視座が一貫して用いられている点にある。精神分析は一見、老いとは縁遠い立場のようにも思われるが、それによって、老いという現象の難しさと豊かさを同時に照らし出している。
また、高齢者を対象とした臨床の知見、とりわけ精神分析や心理療法的な知見が少ない現状において、数々の文学作品を病跡学的に参照しているのも特筆する点である。老いのテーマを介することによって、ジュリアン・グリーン(第1章)、ユルスナール(第1章、3章)、イヨネスコ(第1章)、モーリヤック(第2章、4章)、ユゴー(第4章)、トルストイ(第4章)など、世界的な文豪たちが、少し違ったふうに再発見されるかもしれない。彼ら彼女らの主要作からすると意外に思われる場合もあるが、それらも紛れもなくそれぞれの文豪の一部なのである。
ヴィクトリア朝のウィーンで産声をあげた精神分析は、当初、ヒステリーなど神経症の治療にもっぱら主眼が置かれていたが、100年を超える歴史のなかで、その対象を大きく拡張していった。たとえば、子ども、精神病、ボーダーライン、自閉症などである。ただ、高齢者に関しては、精神分析の対象にはなり難いと考えられていた。そもそも、フロイトは50歳以上の患者には精神分析は不適切であると明言していたし、今日でも高齢者に対する支援の選択肢として精神分析治療が第一に挙げられることは皆無と言って良いだろう。
たしかに、寝椅子に横になって自由連想をし、無意識に関する解釈が背後から伝えられるような形の精神分析が貢献するものはなかなか想像できない。しかしそれは、老いた人のこころに豊かな内面がないことにも、ましてや、それを軽視して良いことにもならない。著者ヴェルドンは、この超高齢化社会において、老いに伴うさまざまな変化や困難に目を奪われるあまり、個々のこころの私的で複雑な側面が見失われることを危惧している。もちろん、身体機能の低下、認知機能の低下、社会的な立場・家族との関係の変化などが当人にとってより大きな問題になることが往々にしてあるだろう。しかし、著者も言うように、老いとは、至極プライベートな内的体験でもある。子どもの発達心理学が提示するような包括的な一般化は難しく、その主体固有の事情を決して度外視できない。その内実は、多かれ少なかれ喪失に彩られたものだろうが、老いを経てひとつの生が完結することに鑑みれば、その人固有の歴史やこころのダイナミクスに関心を払うことは少なからず意義がある。
その点においては、精神分析の理論体系は寄与するところが大きい。もともとフロイトが構想したこころのモデルは、固定的な一枚岩でできているものではなく、複数の要素がそれぞれ影響しあっているものであった。それらはぶつかり合ったり、妥協したり、隠されたり、あるいは、別の形に加工されたり、圧縮されたりする。つまり、人のこころは静的(スタティック)なものではなく、動的な「ダイナミック」なものである。
老いを通じて活性化する、喪失経験や無力感・無能感、セクシュアリティや依存などは、精神分析がこれまで集中的に探究してきたテーマである。また、こころに関する諸概念だけでなく、精神分析の実践的技法も高齢者の理解に寄与できるものが少なくない。転移や逆転移を通じて、あるいは、陰性治療反応などの現象を通じてはじめて、老いた主体のこころのダイナミクスが現れる場合がありうるからである。
老いのこころを理解し、高齢者を支援するためには、学際的な視座は欠かせない。認知機能を評価し、身体機能や生活水準を把握するだけでなく、その人の人生史やこころのダイナミクスに注目する際、精神分析の視座が大きな力を発揮するだろう。
【『こころの熟成──老いの精神分析』(白水社)所収「解題」より】
【著者ブノワ・ヴェルドンらによる解説:(双方または一方が)退職した場合のカップルの生活は? ひとり暮らしの老後とは?】