そう、私はこういう先生に英語を習いたかったんだ 『バッチリ身につく 英語の学び方』
記事:筑摩書房
記事:筑摩書房
英語が話せるようになりたいと願った友人のお父さん(50代)は少年のような心を持っており、基本的に他人を疑わないのですね。
数年前「仕事で必要だ、昔から憧れていた」などの理由で、彼は本格的な英語学習を始めることを決意します。右も左もわからない彼の目に留まったのが、「誰でも簡単、聞くだけ3ヶ月でペラペラに」的な謳い文句の教本でした。彼は純粋で「そんな方法があるのか……!」と感激したそう。教材一式をすぐに注文し、毎朝1時間、出勤前に教材を聞き流しました。3ヶ月が経ち、まだペラペラになっていなかったことに疑問を抱きつつも、50代となり衰えた自分の脳みそ・体力の責任だと感じて学習を継続。ついに1年が経ちましたが、〝聞き流すだけ〟で英語が話せるようになることはなかった。自分はこの1年間何をしていたんだろうと途方に暮れた。この話を聞かせてくれた彼の寂しい顔を私は見ていられなかった。
本を読む時に思う。その本が、本当に読者の未来のために書かれた作品なのか、著者の利益のために書かれたツールなのかを、私たちはまず判断しなければいけないんだということを。さまざまなものが「ビジネス」になった今、仕方がないのかもしれませんが、本もそうなのかという事実は少し寂しくもあります。もちろん、せっかく多大な時間を使って書くんだから、著者にちゃんとお金が還元される仕組みは絶対に必要だと思いますし、全ての本を「for 読者」、「for著者」の2つに分類できるわけではなくて、絶妙なグラデーションで成り立つ本(こういうのは良い本だと思う)もあると思います。
ただ、誰かが利益を得るために、お父さんのような純粋な人を悲しませちゃだめなんです。こんなに素敵な人の貴重な時間と努力を奪わないで欲しいから、真っ当な本だけで埋め尽くされた世界がいいのですが、それも難しいから、私たちにできることは、素晴らしい本を見つけた時に「これは本当に素晴らしいですよ」と周りに伝えていくことなんでしょうね。ここをサボると、私が大好きな本の未来をより暗くすることにも繋がってしまう気がするから、この一票で何かが変わるのだろうかと疑いながらも希望を捨てきれず選挙へ行く若者のように粘り強くいかないといけませんね。
倉林秀男先生の『バッチリ身につく 英語の学び方』は冒頭から信頼できる文体で、そう、私はこういう先生に英語を習いたかったんだと強く思いました。
「最初に申し上げます。残念ながら、英語の学習は「地味」で「地道」な努力を「長期間」続けていかなければなりません」
「壁にぶつかったときに、その壁を乗り越える唯一の方法は「続ける」ことだけなのです」
甘くないところが信頼できます。同時に、
「大変だと思うかもしれませんが、実はそんなに難しいことではありません。それは、毎日の学校の勉強をおろそかにしなければ達成できることなのです。授業で使っている教科書に書かれたことをすべて理解し、頭に入っている状態になっていれば、相当な英語力は身についているはずです」
こういう言葉もかけてくれるんですね。大人になってから英語学習に真剣に向き合うと、中高時代の「文法特化勉強法」を批判したくもなりますが、たしかにあの助走期間があったからこそ、私たちは今飛ぶことができるかもしれないんです。
あと文中で、倉林先生がこれはいいと思った他著者の参考図書をいくつも載せていることがまたグッと来ます。基本的に、他人の良いところを次の人へ積極的に紹介できる気前の良い人は信頼できますよね。
読み終えて感じましたが、このくらい正直で嘘をついていない本が、日本の英語学習界にはもっと必要なんだと思います。
英語が上手いけど売り上げ部数のために誇張的な表現を多用する人が書いた本と、自分がこれまでやってきた勉強の苦悩を赤裸々に伝えてくれる人が書いた本だったら、私は後者の本が好きですし、学べることも実はこちらの方が多い気がします。人間的に信頼できる人がその文章を書いているという事実は、その人が持つ英語力以上に大事なのかもしれません。