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「英語日記BOY」新井リオさんインタビュー 英語は「優しい武器」、習得の先に個人的ストーリーを

文:岩本恵美、写真:斉藤順子

英語学習はダイエットに似ている

――「英語が話せる」という定義を自分なりに決めて目標を具体化したうえで、何がいまの自分に足りなくて必要なことなのか、徹底的に分析して勉強や練習をされていたのが印象的でした。使用言語を英語に限定する時間を毎日最低3時間、英語で書いた日記を1日100回読み上げるなど、勉強方法はかなりストイックですよね。

 「誰でもできる」「聞き流すだけ」と謳う英語学習法もありますけど、英語はダイエットと同じで、やっぱり地道にちょっとずつ時間をかけて効果が出てくるものなんですよね。日本人の英語学習を本当に救いたいなら、英語学習はそれなりに時間をかけてやるものなんだっていうことを大きな声で言う人が必要だと思います。英語学習がビジネスになりすぎちゃっているなとも感じていて……。

 英語が話せるようになりたくても、まだ第一選択肢が留学、第二選択肢が英会話スクールという状況なのではないかと考えていて、第三選択肢として僕がやってきたような英語日記を提示することができたら、救われる人がたくさんいるんじゃないかなと思ったんです。英語日記はお金がほとんどかからないですから。オンライン英会話をやったとしても月6000円程度と、高校生のバイトでもできます。

 「英語が話せるようになりたい」という感情って、希望に満ち溢れた感情。絵に描くとしたら、きらきらした描写をつけたいくらいの感情です。でも、それが「お金がないと勉強の環境さえ整えられない」ってちょっとずつ落ち込んでいき、勉強ができていない自分に対して「なんて自分はダメなんだ」って、次第にダークな色になってしまう。本来、何かを学びたいという感情はきらきらしたいい感情だったはずなのに。

 英語日記は、経済格差を乗り越えた勉強法だと思っています。「語学を習得したい」「勉強したい」という希望の感情を抱いた人たちが、希望を持ったままでいてほしいんです。

どんな表現も“原液”に近い状態で届けたい

――実は書店で購入したのがサイン本でした。表紙を開いて「勉強はいつでもできる青春だと思う」という言葉にまずやられ、本を読みながら新井さんが本に込めた熱量に再びやられました。書店回りも積極的に全国各地を訪問されています。この熱量はいったいどこからきているんでしょう?

 僕は本を出すのは初めてなんですけど、音楽にしろイラストにしろ、どんな作品をつくるときも「カルピスの原理」でやっていて、表現者は“原液”を作るべきだと思っているんです。例えば、この本が北海道に届いてそれだけ遠くに離れた場所でも僕の思いが伝わるには、そもそも僕がめちゃくちゃに美味しくて濃い原液を作っていないといけない。多少薄まっても美味しいくらいのものを作っておかないと、いい表現ではないと思うんです。

――この本は2年かけて書き上げたそうですが、途中で大幅に書き直したそうですね。

 1年半かけて書いてきた原稿だったんですが、去年の7月に書き直そうと決めました。理由は、端的に言うと、自分が書いた文章を自分で面白いと思えなくて……。これまで音楽やイラストをやってきた中で、世に出して反応があったり出してよかったと思えたりするものって、自分自身がその作品を生み出したことに感動しているんですよ。そういう感覚が生涯で初めて出す本に対して感じられなくて、勢いや若さだけで書いたような感じだったんです。

 音楽、イラスト、文章と3つの表現をやってきて思うのは、音楽やイラストは未熟さが魅力になる可能性があるなということです。でも、文章は「未熟さ=読みにくさ」。いい文章を書けるようになりたくて、いままで読者として読んでいた本を書き手目線で読むようにもなりました。

――『英語日記BOY』というタイトルが英語学習本っぽくないところもグッときました。

 書き直す前は、英語学習のアイデア集のような感じでした。でも、僕がやってきたことの中で最もキャッチーでわかりやすいことってなんだろうって考えたら、やっぱり「英語日記」につながったんですよね。それで英語日記にフォーカスした内容に書き直したので、タイトルには絶対に「英語日記」というワードは入れたかった。でも、『〇〇勉強法』みたいなタイトルにはしたくなくて、書店で語学の棚に置かれているのにストーリーが始まりそうな雰囲気や余白を持たせたかったんです。

 『英語日記BOY』なら英語の本の可能性もあるし、小説の可能性もある。この本は自伝的学習本だと思っていて、そういう意味でも本の内容にマッチしたタイトルになったと思っています。

 実際、英語をただの「勉強科目」だとは、僕はもう思っていません。英語を身につけたら生活が具体的に変わっていくんです。例えば大阪生まれで大学進学を考えている人は、東京に行くのと同じ感覚でロンドンの大学に行くことを考えられる。

 このひとつの選択が、人生を変えるかもしれません。「英語を身につけた先の個人的ストーリー」にこそ価値があるんです。

 英語を「優しい武器」のように使う、というのはテーマとしてずっとあるかもしれません。

「常識」を自分で構築する

――「英語は、なにかと掛け算して『使う』ことで初めて、その魅力が生きる」と書かれているように、いまは「英語×デザイン」の道で活動されていますが、そこに至ったのは?

 正直なところ、最初から英語とデザインを掛け合わせてやっていこうとは思っていなくて、成り行きではあるんですよね。でも、共通しているのは、いま好きなことをやっているということ。

 カナダに行くまではバンドマンとして活動していて、誰にも言わずに英語日記をつけて英語の勉強をしていたんです。バンド休止後に、英語学習法のブログを始めたんですけど、最初はなんだか恥ずかしかった。同じバンド仲間からどう思われるんだろうって。でも、カナダに行って物理的距離をとれたのがよかったんです。

 日本にいると、自分で判断基準を作ろうとしても物理的にも精神的にも日本との距離が近すぎる気がします。僕自身、何も気にせずに自分の人生を突き進んでいけるほど強くないのかもしれません。

 でも、住む国を変えると必然的に「常識」を自分で作らないといけない。いきなり現地の常識でいけるわけじゃないし、かといって僕の中に根付いている日本の常識とのバランスみたいなものを誰かが提示してくれるわけでもない。これは心地いいと思うから自分の中の「常識」にしよう、これはまわりの人はやっていても僕は心地いいと思わないから自分の「常識」にはしないという具合に、自分で「常識」を構築する作業が始まるのが海外生活かなと思っています。

――そうした経験が、本書にも記されている「海外とは、『努力がしやすい場所』だったのだ」という言葉につながっていったんですね。

 やりたいことを見つけてやる。日本でもそういう単純作業でいいはずなんです。だけど、例えばやりたいことがこの5年間でやってきたことと違うことだった場合、これまでやってきたことを見ていた人たちはどう思うだろうかなどと考えてしまう。目指したい何かがあって、そのために勉強したり練習したりするっていう、これほどきれいな直線はないはずなのに、ノイズがありすぎちゃうんです。日本で長年生きてきたから。

 でも、海外では誰も僕のことを知らないから、今日、いま自分がやっていることを評価してくれる。僕は大学の同級生たちが就活を始めるタイミングでカナダに行ったんですけど、その時も物理的距離に救われたと思っています。

――働くことについてはどう考えていたんでしょうか?

 高校生のころ、ファーストフード店でバイトしていたんですけど、些細なミスが多くてうまくいかなかったんですよ。店長から「お前は仕事ができない」って、目をつけられてしまうくらい。思春期のセンシティブなころに、初めて一緒に働く大人に「お前は仕事ができない」って言われて、完全に自信喪失しちゃいました。

 だけど、高3で「閃光ライオット」という10代限定のバンド甲子園に出場したら、バイトでは毎週怒られているのに自分で作った曲が評価されている。それがすごくうれしくて、仕事になるかはわからないけど、何かを創る方に適正があるのかもしれないと、わりと早い段階で社会のエリートとして生きることを諦めていたんです。だから、自分の力で生きたい、経済的にも精神的にも自立したいという思いが強くありました。

 日本だと毎日朝から晩まで働いていても雇用形態が違うだけで「フリーター」というネガティブなイメージで呼ばれることもありますよね。でも、英語には「フリーター」という言葉がなくて、“part-time job”か“full-time job”なんですよ。どっちも“job”。カナダで正社員ではないけどカフェで働いている友達に、「仕事は何をしているの?」と聞いたら、「カフェでバリスタをやっている」と言われました。日本だったら「バイトなんだけどね」みたいな謙遜のようなものがついてきがちですけど、雇用形態に関係なく、その人はカフェでバリスタをやっている人間なんですよね。この感覚ってすごく本質的だなと思って、ずっと自分が考えていた自己常識と完全一致した感じがしました。

 「自己常識構築」のような作業をやらないと生きにくいと感じてしまうから、常にそれができる場所を探しています。いま日本で探した結果、家を“自分の国”だと考えて、世間体やしがらみなどいろんなものから離れられる場所にしています。好きなものしか置かないし、仮想海外のような感じで過ごしていますが、基本的には国を越えたいですね。

人間はいろいろやってみたい生き物

――おそらく多くの人の悩みの一つでもあると思うんですが、新井さんは英語勉強の間が空いてしまったり、嫌になってしまったりすることはないですか?

 もちろん、ありますよ。でも、自分を責めない。英語学習って食事にも似ていると思っていて、お腹が空いた人がごはんを食べるように、知識を取り入れたい人が勉強すると思うんです。僕はハンバーグが好物なんですけど、さすがに毎日三食ハンバーグの1カ月はきつい。それと同じで、英語も好きだけど、飽きるときはあるよねという感じです。例えばハンバーグを一週間食べなかったとしても、「ああ自分はハンバーグを食べない人間になってしまった」なんて思わないじゃないですか。好きだったらまた戻ってこれる。だから、そういう時は英語に飽きているんだろうなってくらいに考えています。そんな時、僕はイラストをやるんです。

――そう考えると、好きなことがたくさんあるといいですね。

 そう思います。大人になると、突き詰めるものが一つじゃないといけない感じがありますよね。いろいろやっていると、「また違うことに手を出して」みたいに思われる。でも、子どもの時って習い事にしてもいろいろやっている方が褒められたんですよね。人間って、いろいろやってみたい生き物だと思うんですよ。子どものころは、これをやるとマイナスになるとか、ネガティブにあまり考えない。そういう意味でも、子どもの時にやっていることってとても本質的な気がします。

 僕、村上春樹さんが大好きで、『職業としての小説家』(新潮文庫)にものすごく影響を受けています。こことか何度も読み返しています。

 これも自分自身の経験から言いますと、すごく単純な話ですが、「それをしているとき、あなたは楽しい気持ちになれますか?」というのがひとつの基準になるだろうと思います。もしあなたが何か自分にとって重要だと思える行為に従事していて、もしそこに自然発生的な楽しさや喜びを見出すことができなければ、それをやりながら胸がわくわくしてこなければ、そこには何か間違ったもの、不調和なものがあるということになりそうです。
――『職業としての小説家』(新潮文庫)より

まさに、これを生活に取り入れて生きていますね。

目標は日々の暮らしに艶を与えてくれる

――「英語が話せるようになりたい」って、わりと漠然とした目標になりがちです。でも本書は学習方法のハウツー的な部分だけでなく、英語を使って何がしたいか、英語を習得した先の生活に目を向けて、目標の立て方まで言及しているのがユニークです。しかも、これって英語以外のさまざまなことにも応用できますね。

 目標を決めると何がいいかって、プロセスが楽しくなるんですよ。目標があると自分で自分をわくわくさせることができるんです。人から笑われるくらいの目標でも、自分だけが信じている。目標は叶わなくてもいいんです。そのことを考えながら生きている毎日が楽しいし、日々の生活にも艶が出てきます。目標が叶わなくても、それを目指してがむしゃらにもがいた日々がある人生でよかったなって思いながら死ぬことに意味がある。

 自分で自分をわくわくさせている人間が身近にいるといい影響もあると思います。おこがましいかもしれないけど、もし近場にそういう人がいなかったら、ぜひこの本を読んで僕みたいな人間がいて、こうやってわくわくしながら生きているんだって知ってほしい。

 本を読むことは実体験とは違うけど、概念を知ることができて、実行に移すことができる近道だと思います。トーナメント戦でいうとシードみたいなもの。僕も村上春樹さんや又吉直樹さんの本を読んでたくさんのシードをつくってもらいました。

 この本をきっかけに、取り入れるところは取り入れて、もっと工夫できるところは工夫して、自分なりの勉強法をつくってもらえたらうれしいです。