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複雑化する世界で求められる「リスクコミュニケーション」

記事:平凡社

外出を控えるように「お願い」をする「説得コミュニケーション」によって日本での新型コロナ感染者数はある程度抑制されていた。写真=まちゃー/ PIXTA(ピクスタ)
外出を控えるように「お願い」をする「説得コミュニケーション」によって日本での新型コロナ感染者数はある程度抑制されていた。写真=まちゃー/ PIXTA(ピクスタ)

平凡社新書『リスクコミュニケーション 多様化する危機を乗り越える』(福田充著)
平凡社新書『リスクコミュニケーション 多様化する危機を乗り越える』(福田充著)

日常生活で役立つ「リスクコミュニケーション」

——「リスクコミュニケーション」という言葉は、企業などの広報担当者にとっては馴染みのある言葉ですが、社会ではあまり浸透してないように感じます。ただ、技術革新に伴って「リスク」の度合いが高まっている現在、「リスクコミュニケーション」は広報の場面だけでなく、われわれの生活の中でも活用できるものだと思い、この分野を研究されている福田先生に一般読者向けに本をまとめていただきたいということで本書の企画がスタートしました。

 ちょうど新型コロナウイルスの感染拡大が始まり、「リスク」という言葉が新聞やテレビを賑わせていた時期でしたね。「リスクコミュニケーション」という言葉も見聞きする機会が増えたように感じました。私はこの分野の研究を始めて27年になるのですが、その当時と現在では社会、政治、経済などあらゆるものが大きく様変わりしました。なかでも技術が進歩した分、これまでにない「リスク」が生まれています。そういうことからも、変化を取り入れ、これからの時代に向けた「リスクコミュニケーション」を一人でも多くの人に知っていただきたいと考えていました。

 おっしゃるように、「リスクコミュニケーション」は企業や政府の広報などの場面だけではなく、われわれの生活でも役立つものであり、いや、むしろ日常生活の場で実践していただきたいコミュニケーションの過程なんです。ただ平常時だと「リスク」を意識しづらい上、人間は面倒なことを後回しにしがちです。そういうところに大地震や感染症のパンデミックが起きて初めて危機管理やリスクコミュニケーションの大切さを実感するということを日本社会は繰り返してきました。ですから今回の書籍には、読者のみなさんに、リスクコミュニケーションを「自分事(じぶんごと)」と意識していただこうということで、基礎的な部分からわかりやすく解説するように努めました。

 今回の新型コロナ対策を考えてみると、2009年に新型インフルエンザが発生したときに「リスク」ときちんと向き合い、対策を講じ、メディアなどを通じて人々に「リスク」を認知してもらうことが十分にできていれば、医療機関の病床確保やワクチン供給体制の準備をしておこうという合意形成がきちんとなされていたかもしれません。今後、「リスクコミュニケーション」を社会に浸透させていくためには、本書でも触れているように、「説得コミュニケーション」は有効な手段の一つだと思います。これは相手に対して「お願いをする」という方向性で意識や態度、行動を変容させるというコミュニケーションです。新型コロナの専門家会議が人々に手洗いうがいの徹底、「三密」の防止、ソーシャル・ディスタンスの推奨を繰り返し訴えましたが、これこそ説得コミュニケーションで、諸外国に比べて死亡者数や感染者数を抑える効果がありましたので、罰則を伴わない「要請」という形でも日本の説得コミュニケーションはある程度はうまく機能していたと感じています。

理論的に、科学的に説明をするということ

——本書では、リスクコミュニケーションの難しさを物語る事例の一つとして、SNSがもたらすデマやインフォデミックの危険性についても言及されています。その事例として、1973年に起きたオイルショックによるトイレットペーパー買い占めや豊川信用金庫取り付け騒動も取り上げていますね。この2つの事件が実は同じ年、石油危機が起きた年に発生していたとは思いませんでした。それだけ時代背景と噂は相互に関係し合っているのだと感じました。当時は人と人との会話で噂が広まっていくというのが主流だったと思いますが、今はSNSがコミュニケーションツールとなり、噂やデマはすぐに広まり、世界中に広まることもあります。

 噂やデマと言えば、2020年の春にスーパーやコンビニエンスストアの棚から日用品が無くなったということが記憶に新しいと思います。新型コロナが影響しておりましたので、マスクや消毒液が店から無くなるのは理解できますが、なぜトイレットペーパーまでも店先から姿を消したのか、冷静になって考えれば不可解なものでした。これは、社会が不安定になるとデマが発生しやすく、社会全体に波及しやすいという傾向があることによるものです。噂やデマはリスクコミュニケーションをする上で非常に厄介なものです。無くそうとしてもなかなかこれが難しい。なぜなら、噂やデマは人と人との会話、コミュニケーションから生じるため、こうした現象を抑止することもコミュニケーションでなされなくてはならないからです。ですから、国や自治体、メディアが噂やデマの広がりを抑える確かな情報を提供することが大変重要になってくるのです。

社会が不安定になると根拠のない噂が広がってトイレットペーパーを買い占めるなどの事態が発生してしまう
社会が不安定になると根拠のない噂が広がってトイレットペーパーを買い占めるなどの事態が発生してしまう

——さらに、いまの時代はインターネットやSNSを通じて玉石混交の情報が溢れ、何を信じてよいのかますますわからなくなっています。新型コロナの報道でも、専門家と政府が主張する内容が異なったり、メディアや番組によっても意見が少し違っていたり、非常に混乱しました。

 新型コロナは「未知の危機」であること、「高度な科学的知識」が必要となるため、市民が判断するのは難しく、心理的に不安になっていることもあって、デマやフェイクニュースが広がりやすくなります。ただ、市民の中からいろんな意見が出てくるというのは自由な議論に基づいた合意形成につながりますし、民主主義社会を実現する上でも望ましい状態です。ただ、デマやフェイクニュースが入り混じった状態を放置するのではなく、専門家による情報分析、検証が必要なのです。今回の新型コロナを経て、専門家によるきちんとした調査を経て市民にわかりやすく説明し、市民が納得したうえで行動につなげる「科学コミュニケーション」が非常に求められているとより一層痛感しました。

 そして専門家が判断した正しい情報、知識を一人でも多くの市民にわかりやすく伝えるというということで、ここでも新聞やテレビなどのメディアが果たす役割は非常に大きいのです。「リスクコミュニケーション」を円滑に回していくには、社会に関わるあらゆる立場にある人の力が必要です。社会全体の人々が巻き込まれる感染症のような問題こそ、より多くの市民がリスクコミュニケーションに参加することが、社会全体の合意形成や利益につながると思います。

SNSから得る情報は玉石混交。正しい情報を得る方法の一つとして「科学コミュニケーション」のあり方が問われている
SNSから得る情報は玉石混交。正しい情報を得る方法の一つとして「科学コミュニケーション」のあり方が問われている

感染症、災害、メディアの専門家との対談から

——今回、岡部信彦氏(川崎市健康安全研究所)、廣井悠氏(東京大学教授)、津田大介氏(ジャーナリスト)と各分野の専門家との対談も収録しました。現場で今起きていることに精通されている方々の話を聞き、まとめることで、リスクコミュニケーションを「自分事」と読者のみなさんに感じていただきたいという想いから実現した対談でした。

 読者の関心が高そうなテーマ、かつ新しい「リスク」の発生が懸念されている分野(領域)がよいのではということで、「感染症」「自然災害」「メディア・SNS」を選び、それぞれ、感染症は岡部さん、自然災害は廣井さん、メディア関係は津田さんに「リスクコミュニケーション」をテーマにそれぞれのお立場で考えておられることをお話していただきました。みなさん、最前線で活躍されている方々ですので、リアルな経験や感想を耳にすることができましたし、コロナ禍という状況ならではの意見も聞くことができました。

——岡部先生がお話されていたなかで特に印象的だったのは、ご自身のことを「竈(かまど)の飯炊きのような存在」とおっしゃっていたことでした。

 そうですね。新型コロナのような新興感染症は未知なところが多いので、情報をどのようにして出すべきかその塩梅が非常に難しいという点が、竈でご飯を炊く難しさと似ているということですね。竈でご飯を炊くとき、火が強すぎると焦げてしまいますし、逆に火が弱すぎると生煮えになってしまいますからね。岡部先生のこの言葉は、「リスクコミュニケーション」の難しさをうまく表現していて、感染症の危険性ばかりを強調すると人を余計に怖がらせてしまいますし、逆に危険性を抑え過ぎてしまうと感染拡大につながる。どのように「リスク」を人々に「コミュニケーション」するか、このことを常に念頭に置かれながら新型コロナと向き合っている岡部先生の真摯な姿勢が伝わってきました。そして岡部先生のような専門家がこうした「リスクコミュニケーション」の感覚を持っておられるということは、われわれもしっかりとした情報を得ることにつながるので、非常に心強いと感じました。

——廣井先生も災害対策の場面で「リスク」を「正しく」伝えることの難しさを指摘されていました。

 廣井先生は東日本大震災で起きた「津波火災」を事例の一つとしてリスクに対する正しいイメージを伝える難しさをお話されていました。大震災で人が亡くなる原因となるのは、地震による建物の崩壊や、津波による被害、火災の延焼によるものなど、本来は多様なのですが、災害報道におけるテレビや新聞の画像がもたらす固定化したイメージが人々の意識を型にはめてしまい、柔軟な避難行動につながらないという弊害について語ってくれました。実際にメディア報道で映像が与えるインパクトは凄まじいものがあります。災害の怖さを伝えることには災害対策につながる恐怖説得コミュニケーションの役割を果たしますが、恐怖が強すぎると適切な対応ができなくなるというマイナス要素があることも社会心理学の分野では明らかになっています。

——津田さんとの対談では、インターネットやSNSがもたらす弊害、リスクについて、が主なテーマでした。意外に思ったのは、「Twitter(ツイッター)は本来、炎上しにくかった」とお話されていたことでした。

 津田さんはもともとインターネットやSNSの専門家であり、ジャーナリストですが、印象的だったのは、そこで発生する問題やトラブルの原因はネットやSNSではなく、人間だということです。結局は、人間同士のコミュニケーションの問題を解決する必要があると。これはリスクコミュニケーションの本質だと思っています。

 今回、岡部さん、廣井さん、津田さんの話を直にお聞きすることで、私自身、新しい発見がありました。みなさん、そして私はそれぞれ専門とする領域は異なりますが、異なるからこそ聞いて、得る情報はかなり大きな財産になるなと改めて思いました。そういう意味で、立場を超えて意見を交わすこと自体が「リスクコミュニケーション」であり、その重要性をひしひしと感じました。

さまざまな意見を取り入れ、社会をよくするベターな方法を考えていくことが「リスクコミュニケーション」のカギ。イラスト=chepilev/PIXTA(ピクスタ)
さまざまな意見を取り入れ、社会をよくするベターな方法を考えていくことが「リスクコミュニケーション」のカギ。イラスト=chepilev/PIXTA(ピクスタ)

民主主義社会に欠かせない「リスクコミュニケーション」

——現在の岸田政権は、「聞く力」を重視しており、あらゆる場面で「リスクコミュニケーション」を政治の現場で実践され、過去の政権とは違ったアプローチで政治運営をなされるのではという期待をしています。

 民主主義における危機管理とリスクコミュニケーションとは、国民への協力の呼びかけであり、合意形成であり、説明責任です。しかし、ここ数年続いた政権では国民に対してきちんと説明する姿勢を示しておらず、リスクコミュニケーションには後ろ向きであったと思います。岸田文雄首相は、「国民と向き合う政治」を打ち出しました。これこそ、民主主義社会の政治において重要な態度です。岸田首相が目指す政治の実現の可否、国民からの指示を得られるかどうかは岸田首相のリスクコミュニケーションの実践にかかっています。

 リスクコミュニケーションの問題は世界のどんな場所でも、どんな時代にも求められる普遍的な問題で、終わることのない永遠の課題です。そしてわれわれが直面しているリスクも新型コロナウイルスだけではなく、首都直下地震や南海トラフ巨大地震、原発問題、続いている無差別殺傷事件やテロリズム、ミサイルや台湾有事など、数え切れないほどのリスクがあります。混迷を極め、不安な気持ちになる時代だからこそ、リスクにきちんと向き合い、議論をし、合意形成をしていくというリスクコミュニケーションが大切になってくるのです。まずは1人でも多くの方にリスクコミュニケーションということを知っていただき、日常生活の中で意識してもらえたら研究者としては嬉しい限りです。そして今回の本がより多くの方に読んでいただくこと自体がまさにリスクコミュニケーションそのものであると思っています。

[文=平凡社編集部・平井瑛子]

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