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伝説的歌手ビリー・ホリデイを追い詰めたアメリカ「麻薬戦争」の真実とは何か? 話題の映画の原作本を読む

記事:作品社

『麻薬と人間 100年の物語 薬物への認識を変える衝撃の真実』(作品社)
『麻薬と人間 100年の物語 薬物への認識を変える衝撃の真実』(作品社)

巨大な詐欺行為だった「麻薬戦争」

 ヨハン・ハリ『麻薬と人間 100年の物語』(福井昌子訳/作品社)で明かされる薬物との闘いの真実は衝撃だ。著者の親類や元恋人、そして彼自身のドラッグの体験が発端となって書き上げられた本書は、麻薬撲滅の戦いの真実と薬物への認識を改める一冊として『ニューヨーク・タイムズ』『サンデー・タイムズ』などでベストセラーとなり、世界18か国で翻訳された。

 麻薬戦争とは、アメリカが麻薬の撲滅を誓い、禁止された薬物の製造と流通を取り仕切るギャングから末端の密売人、そして薬物の使用者たちまでを巻き込んだ混沌とした戦争状態のことで、およそ100年ものあいだ続いている。

  その麻薬戦争を始めたのはある一人の男だった。1930年に設立された連邦麻薬局(後のDEA・麻薬取締局)初代局長、ハリー・アンスリンガーは代の大統領下で32年ものあいだ麻薬局に君臨し、アメリカで始まった麻薬戦争を世界にまで波及させた。しかしその取り締まりには大きな問題があったことを本書は明らかにする。 

 彼は麻薬を憎み、麻薬に溺れる人間を憎んだ。その憎しみは貧しきものや人種にまで及び、黒人とメキシコ移民は白人よりも多くの麻薬を使っていて、麻薬に溺れた彼らは自分たちの置かれた立場を忘れて白人を脅迫していると信じた。アンスリンガーが麻薬戦争を始められたのは、当時のアメリカ人が感じていた人種への恐怖に対応したからなのだ。そこでアンスリンガーが目を付けたのが、ジャズシンガーのビリー・ホリデイだった。

南部の木に奇妙な果実がなっている

木の葉に血が落ち

根元にも血がしたたっている

「奇妙な果実」より

 ビリー・ホリデイの十八番である「奇妙な果実」は、南部で白人のリンチによって殺された黒人が木につるされている姿を描いた歌である。1939年、ニューヨークのナイトクラブ〈カフェ・ソサエティ〉でビリー・ホリデイは「奇妙な果実」を歌った。歌い終わるとクラブの中は静まり返り、ひとりのぎこちない拍手から突然全員の拍手が鳴り響いたという。この歌は人々の心をかき乱し、南部の黒人たちの現実に目を向けさせた。「奇妙な果実」はアメリカの音楽史を変え、公民権運動のはじまりと呼ばれた。

  そしてビリー・ホリデイはアルコールとヘロインに溺れていた。アンスリンガーは、アメリカにとって、白人にとって都合の悪いこの「奇妙な果実」を彼女が歌うことを禁じた。ホリデイは歌うことで抵抗したが、薬物の使用で逮捕される。この麻薬局と彼女の戦いは「合衆国vsビリー・ホリデイ」と呼ばれ、ここからアメリカの麻薬戦争は始まった。

  このアンスリンガーとビリー・ホリデイの関わりを原作とした映画『ザ・ユナイテッド・ステイツ vs. ビリー・ホリデイ』は、国家による個人への執拗ないやがらせに焦点を当て、ホリデイのパーソナルな部分をアクチュアルな視点を踏まえて描いている。

薬物に対する新たな認識へ

  本書はそのほかにも、麻薬戦争の最前線であるメキシコの麻薬カルテル〈セタス〉の殺し屋のおぞましい現実や、薬物の依存症患者について、強制や恐怖を植えつけて患者から薬物を遠ざけるのではなく、どうしたら孤独や恐怖を抱いたりせずにすむ社会、健全な関係を持てる社会にできるかという、より大きな問いかけを提示する。また巻末には「日本の『麻薬戦争』と麻薬神話」として日本における薬物の現状と歴史的な経緯が日本語版補章として追加されている。

 とくに、国家や政府が薬物を禁止することは違法な薬物の取引を始めよという命令と同等であり、薬物を取り締まることは密輸業者を誕生させることと同等であるという言葉は深く心にのこる。薬物に対する認識に新たな視点から問いを投げかける一冊。

映画『ザ・ユナイテッド・ステイツ vs. ビリー・ホリデイ』2022年2月11日(金)全国公開
映画『ザ・ユナイテッド・ステイツ vs. ビリー・ホリデイ』2022年2月11日(金)全国公開

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