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グローバル化が進む世界で、日本農業が目指すべき道とは? 一人の国際派官僚から学ぶ

記事:作品社

東後畑棚田の農業 (© うえのゆり クリエイティブ・コモンズ・ライセンス(表示4.0 国際))を改変して作成 https://creativecommons.org/licenses/by/4.0/
東後畑棚田の農業 (© うえのゆり クリエイティブ・コモンズ・ライセンス(表示4.0 国際))を改変して作成 https://creativecommons.org/licenses/by/4.0/

国際派農林官僚、荷見安(はすみ・やすし)

 本書は、明治末期から終戦後にかけての日本の農村の貧困を伝えるところから始まります。この時代の農業界きっての国際派だった荷見安(はすみ・やすし 1891-1964)は、自叙伝で瑞穂の国日本でも米のとれない地域では昔から親捨て、子殺し、人身売買が行われていたと記しています。荷見は、農村の貧困を緩和するため、農林官僚として農協振興に傾注しました。その頃、国際連盟は第一次世界大戦後の経済を立て直すため、ジュネーブで民間人を対象とした国際経済会議を開き、協同組合間の国境を越えた直接取引を議論しました。随員として会議に加わった荷見は、この議論に生涯強い影響を受けました。

荷見安像(著者撮影)
荷見安像(著者撮影)

 1951(昭和26)年、サンフランシスコ講和条約で主権を回復した日本は、アメリカの支援を得ながら国際社会に復帰しました。しかし、アメリカは日本の庇護を長く続けず、経済的な独り立ちを求めました。ヨーロッパではEEC(欧州経済共同体)が発足し、アメリカに対抗し得る食料生産力の基礎ができ、やがて先進国は生産過剰の時代に入りました。荷見は、発展途上にあるアジア諸国の農業は、わが国を含めアジア全体で底上げしない限り欧米の農業に圧し潰されると考え、アジアの農業関係者の紐帯を強化する仕組みづくりに汗をかきました。そこには、貿易自由化はあくまで「世界人類の幸福」のためのものという信念がありました。

「新自由主義」と日本農業

 1980年代に入ると、小さな政府のスローガンのもと民営化と規制緩和を進める新自由主義の政策が世界中を席捲していきました。戦後発足したGATT(関税と貿易に関する一般協定)は、1995(平成7)年にWTO(世界貿易機関)に引き継がれた結果、貿易問題は一般協定から格上げされた国際機関で取り扱われることになりました。日本では、バブルが弾け、大企業の不祥事などもあって、国全体が急勾配の坂を転げ落ちるような感覚を誰もが抱いた時期でした。

 また、この頃は、少数の大国がそれ以外の国々の生殺与奪の権を握る時代が過ぎ去ろうとし、小国や市民でも声を上げられる時代を迎えました。WTOが初めて取り組んだドーハ・ラウンド交渉は、GATTウルグアイ・ラウンド合意に不満を持つ途上国や、農業の多面的機能に配慮を求める国とこれを否定する国との対立によって、交渉立ち上げ前から波乱含みの展開となりました。そうしたなか、中川昭一は農林水産大臣や経済産業大臣として多国間の交渉をリードし、最貧国の農業者が土地、種子、水、技術、資金を利用し、バリューチェーンに参加できるよう支援するスキームを交渉で示しました。途上国の草の根の人々もウィンウィンの枠組みに入って機会を享受できるよう知恵を絞ったのです。

 現在、新型コロナウイルスの世界的感染拡大やロシアのウクライナ侵攻によって食料価格は世界的に高騰しています。同じような状況は2010(平成22)年前後にも起こり、輸出国による輸出制限・禁止措置の発動、アフリカでの農地争奪が問題視されました。世界食料安全保障の確立には、1970年代後半から30年間にわたって日本とブラジルが二国間協力で行ったセラード開発が大きく貢献しています。本書では、見渡す限りの広大な農地で活躍するブラジル日系農業者の悲喜交々にもフォーカスを当てています。

「世界を結ぼう農民の手で」

 時代はすでに、グローバル化の進展に受け身で対応するのでは不十分になってきました。疲れ切った地球の健康を回復させるという視座を持ちながら、自らが主体的に地球に働き掛け、地球の未来をつくっていく時代に入りました。

「整備は良いか!!」(小林厚[北海道旭川市在住]撮影)長い冬が終わり田植えシーズンに入る5月中下旬の北海道。
「整備は良いか!!」(小林厚[北海道旭川市在住]撮影)長い冬が終わり田植えシーズンに入る5月中下旬の北海道。

 地球システムが限界に達しつつあることは、客観的なデータを見れば誰にも理解可能ですが、気候変動対策は、国の経済成長や人々の快適な生活にブレーキを掛けかねないだけに、これまでの温室効果ガス削減をめぐる国際的議論は難航を重ねてきました。先進国の経済成長が現在の地球温暖化を招いたのであり、途上国がその対策に付き合わされるのは納得いかないという途上国の反応は、貿易交渉における先進国・途上国間の対立と重なり合います。

 すでに世界の企業経営者の間では、持続可能な開発のための対話の枠組みが構築され、多くの成果をあげています。農業団体も、各国の農村現場で多様な取り組みを行っており、また、種苗・肥料業界等の関連産業、シンクタンク、NGOなどとネットワークをつくって課題解決していくプロジェクトも始まりました。そうした民間の取り組み事例も見ながら、食と農の未来像を考えました。

 本書の締め括りでは、同じ土の香りがする海外の農業者に自らの立場を率直に語って理解を求め、同時に海外の農業者の成功や失敗の体験から様々な学びを得ることが重要だとし、「日本人の意見も聞いておきたい」という海外の声に応えていくことが日本の国際貢献の第一歩だとしています。荷見安が晩年に遺した「世界を結ぼう農民の手で」という言葉は、グローバル化の進展のなかで再認識すべき金言です。

 

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