ことばが「ことわざ」になるまで ~渋沢栄一はことわざもつくった?
記事:朝倉書店
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ことわざの世界を大勢の役者たちの演じる舞台に見立てるとすれば、本書はさながら〈ことわざ劇場〉が上演されている現場といえるかもしれない。この舞台に立つことわざたちは明治生まれから戦後生まれまで若い新顔などが登場し、いろいろな役を演じている。(中略)
本書の内容はことわざをキーワードとした世相史・社会文化史といえるものであり、(中略)300人余がさまざまに演じ織りなす壮大なる舞台の趣を呈している。
書名について少し触れておきたい。本書が項目として取り上げた語句は、新聞・書籍・テレビなどで実際に使われているものを対象にしている。戦後にでたものを主に明治期以降に発刊された資料から、①既存のことわざ辞典にない語句ではあるが、当該資料にことわざと記されているもの、②中国の古典を除いた外国のことわざ、③ことわざと見なされてはいないもののことわざとしての要素をもつもの、④辞典にはあるものの初出が明治期以降のものに限定した。この四つの枠組みに当てはまるものに範囲をしぼり、そのうえでよりことわざらしさが感じられるものを選別した。
特に③は筆者がはじめてコトワザとしたもので、カタカナにしたのは社会的にはまだ認知されておらず、筆者の主観の域を出てないものではあるが、将来的にはことわざと認知されるとの期待を込めたもので、筆者の造語で〈タマゴことわざ〉とするもの。いわばことわざの卵で、旨く孵えればことわざになるとの期待を込めたものだ。
(『ことわざのタマゴ 当世コトワザ読本』「序」より)
五十歳代や六十歳代は、まだまだ若造に過ぎないということ。メディアでこの言い回しを最初に見たのは2005年8月7日の朝日新聞で、父親を子供が語る「おやじのせなか」という連載エッセイ。その後は高齢の老政治家や書道家が口にしている。
元来は誰が言い出したのか、これについては二つの説があるようだ。安田財閥を築いた安田善次郎が「五十、六十はな垂れ小僧、男盛りは八、九十」と言ったとする見方が一つ。もう一つが財界の大御所・渋沢栄一が言ったとされる「四十、五十は洟垂れ小僧、六十、七十は働き盛り、九十になって迎えが来たら、百まで待てと追い返せ」というものだ。渋沢の方はユーモアがあってなかなか面白いが、何といっても、両方ともが経済界の大物であることが興味深いところだ。
(『ことわざのタマゴ 当世コトワザ読本』「二 人と神様」p. 39より)
さまざまな場面で現れる、つい口にしたくなるようなことわざたち。彼らがいつ、どうやってことわざになったのか、考えたことはあるでしょうか。
本書では、一 訓戒・道しるべ/二 人と神様/三 人と人/四 世の中/五 気象・地理など/六 衣食住・道具など/七 動植物/八 ことばの戯れ、といったテーマ別にことわざのタマゴを収録しています。ことわざのフレーズごとだけでなく、人物やトピックス・出来事の索引も充実。様々な角度からことわざのタマゴを眺めることができます。
田中角栄、小泉純一郎、安倍晋三、向田邦子、村上春樹、オバマ元大統領……。あなたの知っている人たちから生まれた言葉がことわざになる日も、遠くないのかもしれません。