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知的障害者に手を差し伸べたエドゥアール・セガンの足跡をたどる フランス・オーセール

記事:幻戯書房

19世紀パリ郊外のビセートルの男子養老院内の知的障害者のための学校と、拘束されている児童。セガンは、このように拘禁して活動力を奪う当時の施策に反対したばかりでなく、自立生活ができる諸能力を培うことに力を尽くした。
19世紀パリ郊外のビセートルの男子養老院内の知的障害者のための学校と、拘束されている児童。セガンは、このように拘禁して活動力を奪う当時の施策に反対したばかりでなく、自立生活ができる諸能力を培うことに力を尽くした。

セガン研究の目的

 オネジム・エドゥアール・セガン(1812〜1880)は「知的障害教育の開拓者」として知られる人である。フランスに生まれ、人生半ばにアメリカ合衆国に移住した。亡命説もあるが、それを証明する明確な史資料はない。史実としては彼の教育開発が受け入れられにくかった、ということからではなく、彼の人柄・個性が受け入れられにくくなったということから、判断されるのだろうが、「知的障害教育に新しい地を求めた」という彼の記述にとどめておくべきだろう。

 カトリック・ローマ法王が彼に「白痴(知的障害者)の使徒」との称号を贈ったことに現れているように、セガンは敬虔なカトリック系クリスチャンであり、知的障害を持つ子どもたちのために、その全身全霊を傾けて、ほとんど先例のない知的障害教育に携わった。「教育」と言っても学校教育ではなかった。この偉大な人の人生行路を追い求める、というのが私の「セガン研究」の主目的であった。

2012年に開催されたシンポジウム「『特殊教育の黎明期に……』エドゥアール・セガンの仕事」のプログラム表紙。肖像はセガン。
2012年に開催されたシンポジウム「『特殊教育の黎明期に……』エドゥアール・セガンの仕事」のプログラム表紙。肖像はセガン。

中世の学問都市・フランス、オーセール

 フィールドワークをもっぱらとしてきた。その舞台の一つ、フランス共和国のほぼ中央部にあるヨンヌ県オーセールでのことを綴ろう。オーセールは中世ヨーロッパ宗教社会の面影が今に残る、名刹の多い風光明媚な地方都市。「コミューン都市」の地政学的な好個な実例としても知られる。私の専門である教育学にひきつければ、中世の学問都市を代表する一つであり、貧乏古典教師と学問を訪ね歩く、つまり遊学する放浪学生たちが、寝食を共にしながら古典ギリシャ語・古典ラテン語などを紐解き真理を求めあった聖地(学問都市)のひとつでもある。

ヨンヌ川の川面に映るオーセール。寺院など17世紀の面影を残している。
ヨンヌ川の川面に映るオーセール。寺院など17世紀の面影を残している。

「祖母」は父方か、母方か、実証研究で明確にしたい

 その探求のきっかけとなったのは、セガンが「私は祖母の家に自室を持っていた」と綴っている一文であった。「祖母」というが祖母には最低2人いる、母方と父方と。先行するセガン研究者は、こともなげに、セガンの原文にはない「クラムシーの祖母の家」と断定口調で綴ってはいるが‥‥。果たしてどちらか?

 調査課題は、父方祖父母、母方祖父母の実存的資料を得ることである。とりあえず、オーセール古文書館で「戸籍調べ」を開始した。

 先行するセガン研究者は、父方? 母方? の祖父母の家が別宅としてクラムシーにあり、セガンは、そこに自室を持っていた、ということを、何の検証の跡もなく、綴っている。合点のいく説明ではない。祖父母―父方母方いずれかであっても―と父母とは、何らかのわけがあり、小さな田舎町で、居宅を別にしていたのか? 両祖父は地域の豪商、父は医学博士で公務としての医師-監獄医、地域医療医師―も務めている。ただし、両祖父は、セガンが誕生するより前に没しているのだけれど。

 パリにあるフランス国立古文書館、オーセールの県立古文書館などで、セガンの「祖母」についての公文書上の記録調べを手掛けた。決定打はオーセールの市役所戸籍係で得ることが出来た。幸運なことに、戸籍係の手配をいただき、地元の近代史を専門とする歴史学博士の文書解読のご協力をいただくことが出来た。なんせ、戸籍に綴られているフランス語筆記体ばかりでなく、「フランス革命暦」など言葉は知っていても実際の運用を知りもしない素人なのだから、こちらは。

 この調査によって、セガンの父方母方双方の「祖父母世代」にかかわる詳細を知ることが出来た。氏名、生没年、生没地、ある人は職業名などに渡る情報に接したのである。

半木骨建築様式の美しい街並みで当時の想像する

 その調査中、現地の戸籍等に係る専門家のご協力をいただき、母方祖母が人生の幕を閉じた居住の場が判明した。早速その「跡」の実地検証を手掛けた。届けられた死亡地には、この地の建築文化を代表する半木骨建築様式の美しい姿を見た。市街地の中心であり、商店街の賑わしさもあるが、歴史の伝統を感じさせてくれた。セガンの「祖母の家」も含め、その一帯は半木骨建築で構成されている。生活や商いのために現在活用されているが、国指定の文化財として保護されている。「半木骨建築」に関する書籍文献にも写真入りで紹介されている。

知的障害教育の開拓者オネジム・エドゥアール・セガンが幼少年期を過ごしたフランス共和国ヨンヌ県オーセールの祖母の家(右端の家屋)。半木骨建築群の景観。
知的障害教育の開拓者オネジム・エドゥアール・セガンが幼少年期を過ごしたフランス共和国ヨンヌ県オーセールの祖母の家(右端の家屋)。半木骨建築群の景観。

「セガンさん、そのおうちのどのへんで、自室を持っておられたのですか?」自問はするけれど、自答を導き出すことが出来ない、貴重な建築文化財を、しばしの間、目に収めていたのであった。

セガンの青年期とその時代

 セガンは19世紀半ば以前に青年期までを過ごしている。この時代の人は、義務教育制度が成立しているとはいえ、「日常必須の言語ならびに自身の氏名の読み書きができればいい。もちろん道徳的資質は養われること必須である。」という識字能力が実態であったし、学校教育もまた未整備であり、識字率も50パーセント程度であった。俗な言葉で言えば、財産保有が豊かであればあるほど社会的地位の上昇のための教育を受けることが出来る、ということである。セガン家は、地位も財産もある地方の名家となっており、セガンは、その恩恵を受けて育った。オーセールでの育ちはまさにその原点であった。

 オーセールに、男子リセ&コレージュ・ジャックアミヨという男子寄宿制中等教育学校がある。現在は男女共学の中等教育学校である。セガンはここに在籍の跡を残している。初等科から修学したと推測される。極めて優秀な成績を収めていた。とくに数学コースに秀でており、表彰もされている。中世から続く名門中の名門校であるが、国軍訓練の場でもあったことで明らかなように、思春期を過ごす男子にとっては、「監獄」そのものでもあったようだ。暗記を強いられ、体罰で叱咤激励される。セガン自身はどのように受け止めていたのだろうか。同時代諸記録はほとんどない。

 オーセールは、セガンがパリに遊学する前の地。もっともっと史資料の発掘が求められると感じる。それほどに魅力と謎に満ちた前期青年期までの地オーセールである。

 パリからオーセールまで国鉄特急でおよそ1時間。大都会パリを離れて窓外にはフランス農村光景が広がる。沿って走るヨンヌ川は、セガン生誕の地であるクラムシーに続く‥‥。

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