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近年再評価が進む「越北」作家、玄徳(ヒョン・ドク)による幼年童話集 1930年代のソウル、歓声を上げる子どもたち……

記事:作品社

『ノマと愉快な仲間たち』(作品社)
『ノマと愉快な仲間たち』(作品社)

復権と再評価が始まった作家たち

 本書のカバーには、1930年代のソウルの路地を駆け抜ける4人の子どもが描かれている。子どもたちが両手で頭の上に広げてかざすのはツルマギである。ツルマギとは日本で言えば羽織にあたる上着のこと。路地には民家の土塀だけでなく、井戸があり土管が横たわって雑然としているが、生活感があふれている。この絵からは、風の姿を思い描きながら疾走する子どもたちの歓声が聞こえてくるようだ。子どもたちはノマ、キドンイ、ヨンイ、トルトリ。それぞれの名前は、韓国人ならばすぐに意味がわかる愛称だという。

『ノマと愉快な仲間たち』目次 1/2
『ノマと愉快な仲間たち』目次 1/2

 カバーに使われた絵は童話「みんな、風の子」の挿画だった。この童話集は、この「みんな、風の子」など26話の童話と、短篇小説「ヒキガエルが呑んだお金」を収録する。作者は玄徳(ヒョン・ドク)。1909年にソウルに生まれ、『朝鮮日報』などに童話や小説を書いた。1945年の解放後は南朝鮮文学家同盟の機関誌の編集兼発行に関わった。朝鮮戦争最中の1950年に北朝鮮に渡って創作活動を続けたが、消息が途絶える。一方、装画と挿画を描いた画家は鄭玄雄(チョン・ヒョヌン)。1910年にソウルに生まれ、朝鮮日報社で雑誌の表紙絵や挿画を描いた。やはり1950年に北朝鮮に渡って、1976年に亡くなっている。

 2人は越北作家という人生を歩んだため、韓国ではその作品は禁書扱いになり、長らく忘れられていたが、20世紀末から復権と再評価が始まった。収録した26話の童話の底本を元鐘讃編『玄徳全集』(図書出版亦楽、2009年)にしたのも、そうした動きを受けている。初出を見ると、『少年朝鮮日報』をはじめとする新聞や雑誌であり、大半は1938年から39年にかけて集中的に発表されている。この童話集ではこうした初出に遡って挿画を捜し出して転載したので、人物の服装や背景の家並みから当時の暮らしをうかがうことができる。

「子どもの世界を描こうと志す作家たちの教科書」

 各童話はゆるやかな連作になっているので、読んでゆくと、次第に子どもたちの暮らし向きがわかってくる。ノマは父親が不在のため、生活は楽でない。傷んだコムシンを繕って履き、新しいコムシンが買えないほど貧しい。コムシンとはゴム製の靴のこと。それに比べれば、キドンイは水鉄砲を持ち、子犬を買ってもらうほど豊かである。そうした経済的な格差が見られるが、それでも子どもたちが分裂することはなく、知恵を出し合って仲良く遊んでいる。それは子どもの自治であり、子どもには子どもの世界がある。玄徳はそのことを一貫して書いたのである。

『ノマと愉快な仲間たち』目次 2/2
『ノマと愉快な仲間たち』目次 2/2

 さらに、この童話集からは、子どもの特徴が繰り返しにあることを教えられる。「いくらやってもきりがない」では、キドンイがノマの家に来て、「ノーマーや、あーそーぼ」と呼び、次にヨンイが来て、「ノーマーや、あーそーぼ」と呼び、さらにトルトリが来て、「ノーマーや、あーそーぼ」と呼ぶが、ノマは糸巻きに糸を巻かなければならないので、遊びに行けない。まことにたわいのない日常生活の一齣だが、飽くことを知らずに遊ぼうとする子どもたちが見事に書かれている。これを読んだ私たちは、自身にもかつてこのように生きた子ども時代があったことを懐かしく思い出す。韓国で玄徳の童話が「子どもの世界を描こうと志す作家たちの教科書になった」と評価されるのも、よく納得される。

歴史の中で童話を読む

 そもそも、訳者の新倉朗子さんは『完訳ペロー童話集』(岩波文庫、1982年)、『フランス民話集』(岩波文庫、1993年)などの翻訳で知られる。そうしたこともあって、私はこの童話集を受け取って、ひどく動揺した。あとがきを読んで、韓国語の学びが定年退職後に始まったことを知って、さらに驚くことになる。しかし、その結果、「いかけ屋のおじいさん」には昔話の「果てなし話」、「コムシン」には昔話の「腰の曲がったおばあさん」が引用されるという解説に、昔話研究からの知見が披瀝されている。玄徳は昔話によく親しんで童話の創作に生かしたことが明らかにされたのである。

 それにしても、こうした童話が日本の植民地支配の時代に書かれたことは考えておかねばならないことではないか。「ノマの勇気」で軍隊の教練が遊びになるのは時代の雰囲気であり、「黒い板塀の家の門を一度叩いてきた者が大将になる」という家は日本人の家屋を暗示する。しかし、玄徳は植民地支配に沈黙しつづけたと言っていい。それが明白に表れるのは、解放後に書かれた「大きな決意」になってからだった。そこでは日本の降伏による解放が語られ、これで父親が帰ってくるだろうと喜ぶノマの様子が見られる。玉音放送の受け止め方が一様でなかったのは、当然と言えば当然である。ここには、やはり玄徳が童話の創作に込めた抵抗の思いを見るべきだろう。こうして歴史の中で童話を読むという意味でも、本書はこの上なく貴重な翻訳であると言うことができる。

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