長く読み継がれたおかげで、私たちはこの本を前より新鮮に読めるのかもしれない──谷川嘉浩が考察した『思考の整理学』
記事:筑摩書房
記事:筑摩書房
『思考の整理学』の冒頭にある「グライダー」という文章は、いわばステートメント(宣言)である。著者によると、詰込み型教育は受動的で自力では飛べない「グライダー人間」を生み出すシステムだが、大切なのは自力で飛ぶことのできる「飛行機人間」になることだ。
これに、情報整理と発想のための心構えやノウハウについての文章が続く。発想はどこで生まれるのか、スクラップブックはどうやって作るのか、アイディアを整理したノートを整理したメタノートを作る必要性など、内容はかなり多岐にわたる。これらを実践すれば「飛行機人間」になれるのだということだ。40年以上前の本だが、アナログな提案が多い分、現在でも実践しやすい助言が多い。
著者としては、旧制高校の教養イメージを「学校批判」や「グライダー」に投影しているのかもしれない。だが、そういう意図とは無関係に、「飛行機」という不思議なメタファーを使って「独学者」のイメージを提示したことは、結果的に時代に適ったものだったと言える。
『思考の整理学』は、1983年に単行本、86年に文庫が発売、その後も増補改訂版が出された。現在から振り返るとこの時期というのは、以前から予告されていた「情報化社会」が実際に形になり、一般家庭にすら届いた時代だった。具体的には、野中郁次郎が1990年に「知識創造社会」を提唱し、アイディアや視点が社会の価値になることを経営学的に理論化する一歩手前であり、1995年頃から一般家庭にインターネットやパソコンが急速に普及する二歩手前のことだった。
言い換えると、情報化社会が実際に形になり、人が自らの個性や感性を生かして、情報整理や発想を生み出すことが重要であるという認識が一般化していた時代の入口に、『思考の整理学』という本は出版されたと言える。非常に時期に恵まれていたのだ。
なるほど、かつてはそうだとしても、なぜ今なおこの本が読まれているのだろうか。「東大・京大で一番読まれた本」という帯が宣伝として非常に効果を持ったことは当然のことながら、『思考の整理学』の最後の章で「コンピュータ」のことも扱われていたこと、そして、アナログな情報整理と発想法が提案されていることが大きいと思われる。
外山滋比古が執筆当時念頭に置いていたと思われる「コンピュータ」は、インターネット接続されたものや、機器同士が接続されたもの(IoT)ではないため、私たちがイメージする「コンピュータ」とは少し違っている。だが、「コンピュータ」について論じた章があることで、技術革新が起きている時代にも有効なメッセージが書かれた本だという印象が生まれている。
この印象は、生成AIが浸透した現代でも効力を維持している。「コンピュータ」が非常に便利だとしても、自分で創造的に考える能力を持つべきだ、知的探求の主導権は自分で持つべきだという独学者のステートメントは、生成AIが「思考のようなもの」を提示してくれるときにも素直に受け止めることができる教訓である。
また、その際の具体的なノウハウがアナログであることの意味も大きい。現代の情報整理術や発想法は、基本的に現代の情報環境を念頭に置いている。インターネット、スマートフォン、検索、AI、アプリその他を通して情報を集めたり整理したりすることを前提にしているところがある。しかし、そうした時代を鼻先に感じながらも、実際には到来していなかった時代の『思考の整理学』は、スクラップブックやノートの使い方、カード式の思考の整理など、接続しないで考える方法をあくまで提案している。
もちろん外山にそんな意図などない。しかし結果的に、彼のアナログなノウハウは、常時接続の世界で「思考」という孤独な作業を遂行する上で有効な指摘になっている。SNSを見て自分の思考を代弁するものを探すのではなく、ノートやカードに自分の思考を書きつけること。書き溜めたノートを写真に撮ってSNSで自慢するのではなく、ただ自分の思考のために、一段抽象化した「メタノート」を用意すること。そういうアナログで普通の助言は、以前よりも新鮮に聞こえるのではないだろうか。
情報が多くて整理できないんだよねと友人に言われたとき、誰がカードやノートで整理することを提案するだろうか。だが、外山の『思考の整理学』はそうしているのだ。かつてなら普通だった助言は、現在ならまったく普通のことではない。ベストセラー化したことで生まれた時間の隔たりは、この本をかつてより新鮮に読ませているのかもしれない。
本書に出会うより前に、別の「整理学」に出会っていたことを告白しておきたい。私が読んだのは、川喜田二郎の『発想法』(1967年)と梅棹忠夫の『知的生産の技術』(1969年)である。『発想法』は、フィールドワークの記録を発想に転換する方法(KJ法)を、『知的生産の技術』は、カード式の整理術や原稿の書き方を提案した本で、どちらも今なお読み返される情報整理の古典だ。
だが重要なのは、これら二冊の延長で出会った『整理学』(1963年)である。社会学者の加藤秀俊の著作だ。事務用品や情報機器の革新によって、事務仕事や情報のやりとりが増大し、情報整理が必要だと論じた内容で、当時の環境を歴史と技術の観点から位置づける手つきは、社会学者の面目躍如たるものがある。
そもそも「整理学」という言葉は、この本のために加藤が造語したものなのだが、本書の反響はとても大きかったようで、加藤は『家事整理学のすべて』(1970年、梅棹忠夫らとの共著)や『電子時代の整理学』(1985年)などの関連書を刊行している。そもそも、梅棹や川喜田も『整理学』を踏まえて議論をしている節がある。
このように、情報化社会の入口に立つ60年代の知識人たちは、情報整理の必要性を説くだけでなく、様々なノウハウを提示していた。これが、外山の『思考の整理学』の前史である。『思考の整理学』というベストセラーは、単独で成立したものではなく、60年代の情報整理や発想法から20年経った地点に立つ彼なりに、それ以前の「整理学」を総合し、展開したものだと言える(彼お得意の「ことわざ」や典籍の挿話を用いるなどのひねりも加わっている)。この本の豊饒さは、そういう前史との協働のうちに育まれているのだ。
Ⅰ
グライダー/不幸な逆説/朝飯前
Ⅱ
発酵/寝させる/カクテル/エディターシップ/触媒/アナロジー/セレンディピティ
Ⅲ
情報の“メタ"化/スクラップ/カード・ノート/つんどく法/手帖とノート/メタ・ノート
Ⅳ
整理/忘却のさまざま/時の試錬/すてる/とにかく書いてみる/テーマと題名/ホメテヤラネバ
Ⅴ
しゃべる/談笑の間/垣根を越えて/三上・三中/知恵/ことわざの世界
Ⅵ
第一次的表現/既知・未知/拡散と収斂/コンピューター
あとがき
「思われる」と「考える」 ――文庫本のあとがきにかえて
東大特別講義
新しい頭の使い方 ――『思考の整理学』を読んだみなさんへ伝えたいこと