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今だから楽しく聴けるSP時代の名演 『コルトー=ティボー=カザルス・トリオ――二十世紀の音楽遺産』[下]

記事:春秋社

ブラームス生誕100周年記念演奏会の告知
(左から)カザルス、コルトー、ティボー。パリのサル・プレイエルで開催。エドモンド・ジョワイエ撮影
ブラームス生誕100周年記念演奏会の告知 (左から)カザルス、コルトー、ティボー。パリのサル・プレイエルで開催。エドモンド・ジョワイエ撮影

[上]SPレコードが開く歴史の扉 はこちら

 コルトー、ティボー、カザルスによるSP盤『大公トリオ』を人前で初めて再生したのは2006年10月、東京・秋葉原で開催された第12回「真空管オーディオフェア」で、橋本電気製トランスのデモを行うために、自作の真空管アンプを鳴らしたときだった。

 フェア最終日の最後の時間帯で、どこのブースも自社製品を誰よりもアピールしようと、半ば絶叫的な大音量でロックやジャズを流していた。その中で5枚組10面のSP盤を通してかけるのは単に無謀と思われた。しかしコルトーが第1楽章の冒頭を奏でるや否や、そうした心配は杞憂に終わった。20世紀前半を代表する名手3人は、毅然として誇り高く、レコード史上に残る歴史的名演を聞かせた。

迷惑なチェロ弾き

 彼らの演奏の強靭さは一体どこから来るのだろうか? 例えばカザルスの有名なバッハ『無伴奏チェロ組曲』は、とても人一人とは思えない尋常ならざる気迫に圧倒される。その本人が目の前で弾いたならば……。

カザルス(チェロ)
バッハ『無伴奏チェロ組曲第3番』
米RCA Victor盤、1936年、ロンドン録音
カザルス(チェロ) バッハ『無伴奏チェロ組曲第3番』 米RCA Victor盤、1936年、ロンドン録音

 それを身をもって体験したのが、本書の訳者あとがきに登場した「音楽の殿様」こと徳川頼貞侯爵(1892-1954)である。頼貞候は1915年10月、激しさを増す欧州戦乱から逃れ、ロンドンから米国経由で帰国の途に就いた。渡米の船中では船酔いに襲われた上、隣の船室から始終聞こえてくるチェロの音に悩まされた。甲板で見かけたその迷惑なチェロ弾きは、頭の禿げた朴訥な田舎者風の男だった。

 ニューヨーク到着の2日前、船の事務長が頼貞候の船室を突然訪ねてきた。明晩の夕食後に無事の航海を祝って音楽会を催したいが、チェリストの伴奏者がいない、聞けば貴殿はケンブリッジ大学で音楽を勉強されたという、ならばチェロの伴奏をぜひ引き受けてくれまいかと懇願された。頼貞候は丁重に断ったが、今度は船長がチェロ弾き本人を連れて直談判しにやってきた。自分には荷が重いと固辞しても船長は引き下がりそうにない。そこで頼貞候は自分が代わりにピアニストを探すからと逆に船長を説得し、事務長と2人で船内を奔走した。幸いにもパリ音楽院を卒業した女性ピアニストが見つかり、伴奏者をめぐる騒動は一件落着した。

人は見かけによらぬもの

 当日を迎え、夕食会のテーブルにつくと、メニューと一緒に音楽会のプログラムが置いてあった。演目には歌やピアノと並んで、一度は自分に白羽の矢が立った「チェロとピアノ」があった。頼貞候の目は、チェロ演奏者の名前に釘付けになった。あの背の低い、風采の上がらない、船酔いの自分を終日チェロの音で悩ませたあの男は、世界に名だたるチェロの大家、パブロ・カザルスその人だった。スペインが生んだ偉大な芸術家の名声はロンドンでもたびたび耳にし、いつかその演奏を聴いてみたいと思っていた。曲目はベートーヴェンの『チェロとピアノのソナタ』作品69とあった。

 夕食後、サロンで音楽会が開かれた。いよいよカザルスに出番が回ってきた。無造作にチェロを抱えて椅子に腰掛けたその姿は、相変わらず音楽家らしい風采ではなかった。が、ひとたび彼の弓が弦に触れるや否や、まったくの別人に豹変した。

 カザルスはチェロから「この世のものとは思われない絶妙な音楽」を紡ぎ出し、力強い迫力で圧倒した最初のアレグロから、この上ない壮麗さで魅了した最後のアレグロヴィヴァーチェまで、「ベートーヴェンという偉大な天才の作品(…)の持つ本当の美」を見事に表出させた。頼貞候はカザルスの演奏に心の底から感嘆した(徳川頼貞著『薈庭楽話』より)。

素顔の『大公トリオ』

 今日を生きる我々は、もう彼らの実演に触れることはできない。しかし彼らがその発展に大きく貢献したレコードのおかげで、今も3人の名演を繰り返し聴くことができる。とはいえSP盤『大公トリオ』5枚10面を通してかけるのは一苦労だ。そこでコロナ禍のステイホーム中に、新たに組み上げたモノラル再生装置で全10面をDSD録音し、レコードと遜色ない音で最後まで一気に聴けるようにした。

 SP盤再生に必要な一連の所作から解放され、じっくりと耳を傾けると、それまで3人が互いに煽られて、丁々発止と掛け合っているように思われたのは、自分の勝手な思い込みであることに気づかされた。以前の再生装置ではそう聞こえたのかもしれないし、トリオにまつわる伝聞や風聞で、聴く前に無意識のバイアスがかかっていたのかもしれない。アンセルミニ、ジャコブ共著『コルトー=ティボー=カザルス・トリオ』を通して、3人の真の関係性を知ったおかげで、そうした思い込みから解放されたのも確かだ。

 気負うことなく日常的に聴けるようになったトリオの演奏は、とても自然体で、音楽への慈愛に満ちている。トリオが夏合宿を張った「シャトー・デ・ヴィヴ=ゾー」で、毎晩当たり前のように名手3人の演奏に接していた少女コレット・メイエールのことが、ふと思い出された。

コルトー、ティボー、カザルス ベートーヴェン『ピアノ三重奏曲第7番変ロ長調』作品97「大公」仏DG盤、1928年、ロンドン録音
コルトー、ティボー、カザルス ベートーヴェン『ピアノ三重奏曲第7番変ロ長調』作品97「大公」仏DG盤、1928年、ロンドン録音

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