自由の復権、ハイエク・ルネッサンス 後篇
記事:春秋社
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ハイエク思想が高く評価されてきた理由の一つには、自由を賞揚する彼の社会思想が、その経済思想と美しく整合していることにある。現実の経済においてどのように関係する情報が得られるのか、それをどのようにまとめて利用するのかについての視点が、現実を知らない当時のほとんどの学者たちとは大きく異なっていたのだ。そして興味深いことは、彼が指摘した通り、経済が高度化、複雑化するにつれて生産技術だけでなく、プロダクトの開発などについても、集団による熟慮を経た意思決定ではなく、個人のインスピレーションにもとづく起業家精神のほうが重要になってきたことである。
本書(『ハイエクといっしょに現代社会について考えよう』)でも自由の哲学について論じた後、こうした点について詳細に検討する。インターネットの登場以降の21世紀の経済では、個人による先見の明と、それを実現するための経済的な自由こそが重要になっているという現実があるのだ。
社会主義は19世紀に生まれ、20世紀に実現したが、19世紀の産業は現代ほどには複雑ではなかった。そのため政府、あるいは計画当局がすべての経済情報を集め、それに基づいた適切な生産の司令を下せると考えることができた。しかし、社会主義経済が失敗した後、現在では社会主義的に経済を計画することをあからさまに行う政府は存在しない。それでもなぜか我々は、政府による経済目標の作成や、あるいは政府による成長産業への支援が必要であり、可能だと信じ続けている。
こうした幻想、あるいは単なる誤謬に対して、ハイエクは「情報は実際に実行してみないと得られない」ことを指摘した。官僚や政治家、あるいは一般人の多くが社会主義や計画経済、あるいは経済の官僚統制の可能性をナイーブに信じるのは、彼らが実際に何かを生産したことがないからだ。生産技術というものはどこかに確立した知識として存在するのではなく、実際に工場で試してみないと上手くいくかどうかは分からない。また実際に試さなければ、どうやって改良すれば良いのかもはっきりしない。政府であれ、どこかの組織であれ、すべての知識を集めることはできないし、かつ知識を得るためには分権的に思考するための経済的な自由が不可欠なのである。
おそらく現代のほとんどの人々は、半導体産業、あるいはソフトウェア産業というものが、政府が統括できるほど単純なものだとは考えていないだろう。それでも方向性としての産業育成などは可能であると素朴に信じている。しかし、すでに20世紀にハイエクが主張したように、21世紀の複雑な世界では、ますます集団による意思決定は機能しなくなりつつある。
その証拠が、アメリカに集中する億万長者たちである。アマゾンのジェフ・ベゾスやテスラのイーロン・マスクなどは20年で世界一の富豪になった。マイクロソフト、グーグル、フェイスブック、オラクルの創業者の全員が、今では著名な大富豪である。彼らの全員が、個人としての先見性を持って企業を起こし、産業のあり方を変えてきた。もしかつてのIBMのような大企業の経営者たちによる集合的な意思決定が、こうした富豪たち個人の先見性よりも優れているのなら、IBMの一部門がこれらのソフトウェア産業になったはずだ。実際には、過去のアメリカの大企業は新産業とはまったくつながっていない。
ハイエクが主張したように、自由を最大化することでさまざまな試みが可能になり、結果的に社会は豊かになっていく。政府が大きければ大きいほどに個人の自由が窒息するだけでなく、社会の活力も低下して、経済も停滞する。日本経済ではソニーやパナソニック、トヨタなどが50年以上も代表的な大企業であり続け、社会も驚くほど変化していない。それは規制によって日本人の経済的自由が奪われている現実の裏返しだ。
以上、本書で考察したいくつかの主要なテーマについて順に書いてきた。最後に、順番としては戻ることになるが、私が現在もっとも重要だと考えている問題について説明しよう。それは福祉支出による政府の肥大化、それに伴う国民負担の急速な増大である。
2021年、高齢者への年金、医療、介護などの福祉支出は140兆円であり、現在の税と社会保障費による国民負担率は48%である。実際には国債の発行も考慮するなら、すでに58%にも達している。そして、20年以上にわたって労働者の実質賃金は低下し続けている。こうした支出は団塊世代の高齢化によって急速に増加し、2040年までには200兆円になる。政府は教育や公共施設の維持もするため、国民負担率は最低でも70%をこえるだろう。
労働者が生み出す価値の7割以上を政府が徴税し、再分配する近い将来の日本は、果たしてかつての軍部の独裁時代とそれほど違うのだろうか。政府が総生産の配分の7割を決定し、そのサービスの種類も価格もすべて政府が決定する。日本はたしかに民主主義であり続けるのだろうが、そうした経済のあり方は持続可能なのだろうか。私見では、この状況こそが、これからの日本人が世界でもっとも早く直面する福祉によるステルス全体主義との戦いになるだろうと考えている。
ハイエクの社会思想は抽象的でわかりにくい部分も多いが、今も日本の状況についての良い試金石となると考えている。もしハイエクの自由主義に少しでも興味があるなら、私と一緒に自由と保守、法の支配と人権、独創性と社会の進歩などのあれこれについて、ゆっくりと思索をめぐらせてもらいたい。