英国王室の女官が語る、驚くべきジェットコースター人生 『マーガレット王女とわたし』
記事:白水社
記事:白水社
2019年が明けてまもないある朝、ロンドンのフラットに電話がかかってきました。
「はい?」
「レディ・グレンコナーでいらっしゃいますか? ヘレナ・ボナム=カーターです」
【Still Watching Netflix:Best of Helena Bonham Carter as Princess Margaret | The Crown】
ハリウッドの映画スターから毎日のように電話がかかってくるわけではありませんが、この電話は心待ちにしていました。ネットフリックスの人気シリーズ「ザ・クラウン」のプロデューサーから連絡をもらい、第3シリーズでナンシー・キャロルがわたしの役を演じ、ヘレナ・ボナム=カーターがマーガレット王女役に決まったと聞いて、たいへん喜んでいたのです。お二方がわたしとマーガレット王女の友情についてよく理解できるように、会っていただけないかとプロデューサーに頼まれ、ふたつ返事で引き受けたのでした。
【著者動画:EA Festival 2022 - Anne Glenconner】
まずナンシー・キャロルがお茶にやってきて、居間の肘掛け椅子にすわって話しました。その会話がどことなく上の空だったのは、わたしがどんな人間かナンシーがじっくり観察しているにちがいないと思うと、自分がどう見えているのか気になってしかたなかったからです。
それから数日してヘレナから電話があり、やはりお茶にお招きしました。わたしはヘレナを俳優として尊敬していますが、そればかりではなく、彼女はたまたまわたしの亡き夫コリン・テナントの遠縁に当たり〔ヘレナ・ボナム=カーターの曾祖父アスキス元首相の再婚の妻がコリンの大叔母〕、うちの息子が1980年代にバイク事故を起こしたときは、お父さまにもお世話になりました。
ヘレナが玄関から入ってきたとき、彼女とマーガレット王女がよく似ていることに気がつきました。背丈も体つきもまさにぴったりで、青い瞳ではないものの、相手をひたと見すえるまなざしには、王女さまとよく似た茶目っ気と知性がきらめいていたのです。
居間にお通しして、お茶を入れました。ヘレナが手帳をさっと取り出すと、そこには王女さまの人となりを見きわめるための質問が山ほど書きとめてありました。「お役をきちんと演じたいので」とヘレナは説明しました。
質問の多くは身ぶりやしぐさに関するものでした。王女さまはどんなふうに煙草を吸われましたかと訊かれたので、お茶のお点前のようにやってみせました。バッグから細長いシガレット・ホルダーを取り出し、慎重に煙草を差しこんで、ご自分の優美なライターで火をつけます。よその人に火をつけてもらうのはお嫌いで、どなたであれ殿方がいそいそと火を差し出すと、控えめながらきっぱりした手のそぶりで、その意思を明確に伝えられました。
ふと気がつくと、ヘレナの手が小刻みに動いています。まるで無意識のうちに、わたしがいま説明したばかりのしぐさを試しているかのように。そのあと話題は、マーガレット王女のお人柄に移りました。わたしは王女さまの聡明さを──つねに物事の愉快な面を見て、くよくよ悩まず、前向きで、さっぱりした生き方を──なんとか言葉で表わそうとしました。そんな話をしているうちに、折々の情景が鮮やかによみがえり、まるでマーガレット王女がこの部屋で、わたしたちの隣にいらっしゃるように感じました。ヘレナはひと言も聞きもらすまいと注意深く耳を傾け、しきりにメモを取っています。3時間ほど歓談して、ヘレナが辞去するころには、彼女はマーガレット王女役にうってつけだと納得していました。
俳優さんたちはどちらも礼状を送ってくれました。ヘレナ・ボナム=カーターは、マーガレット王女が、わたしにとってそうだったように、自分にもよき友人になってくださいますように、とつづっていました。わたしはその言葉に深く胸を打たれ、王女さまとわたしがスクリーンで再会できる日が待ち遠しくなってきました。ノーフォークでともに過ごした子ども時代、女官としてお仕えした30年間の思い出がつぎつぎと頭をよぎります。わたしたちはそのあいだ何度となく、すさまじい感情の嵐にもみくちゃにされながら、どちらも山あり谷ありの人生を送ってきたのです。
わたしはもともと話し好きの性分とはいえ、おふたりの訪問であれこれの記憶が呼びさまされるまでは、本を書くなど思いもよらないことでした。考えすぎてはだめ、過去を振り返るのも詮索することも禁物、としつけられてきた世代ですので、90年におよぶわたしの人生が、いかに振り幅の大きい、波瀾に富んだものだったのか、いまさらながら気づいたのです。のっぴきならない状況に陥ったことは数知れず、それらは滑𥡴でもあり、悲惨でもあり、われながら信じられないようなことばかりです。それでも、わたしは自分のすばらしい家族とこれまで歩んできた人生に、いまは深い感謝の念しかありません。
【アン・グレンコナー『マーガレット王女とわたし イギリス王室のおそばで歩んだ女官の人生』所収「プロローグ」より】
1971年初旬のある日、マーガレット王女にメイの教母になっていただいて、双子の洗礼式が無事に執り行なわれたあと、王女さまがこう切り出されました。「もう子どもを産むつもりはないわよね」
わたしは、「まったくございません。息子が3人に双子の娘とくれば、さすがに充分ですから」とお答えしました。
「そういうことなら」王女さまはわたしの答えが見るからにお気に召したようで、こうおっしゃいました。「わたしの女官になってくださらない?」
【Princess Margaret's Lady in Waiting Reveals What Margaret Thought of Diana】
そのお誘いは、これ以上ない絶妙のタイミングでした。というのは、ちょうどコリンがとりわけ難しい時期にさしかかっていたころで、マーガレット王女はそのことをよくご存じでした。王女さまがコリンの所業に少しも動じられなかったのは、亡き国王陛下の癇癪に慣れていらっしゃったからで──侍従だったうちの父も、王さまが部屋のあちこちに蹴飛ばされたゴミ箱をしょっちゅう片づけていたものです。マーガレット王女は陛下をなだめるのがだれよりもお上手だったので、陛下のご気分を変えるためによく呼び出されておいででした。コリンが何をしようとそしらぬ顔で取り合われない王女さまは、わたしのよいお手本でした。
ときおりマーガレット王女もコリンの騒々しい茶番を目の当たりにされましたが、表沙汰になった一件では、英国航空の社長ジョン・キングから、生涯にわたって搭乗禁止の手紙を受け取るはめになりました。王女さまとわたしたち夫婦の3人でアメリカからの帰途、マーガレット王女とわたしはファーストクラスのチケットなのに、なぜかコリンだけちがっていたのです。飛行機に乗りこむと、夫は右手に、わたしたちは左手に案内されました。
王女さまとわたしは、手違いに気づかず、席に着きました。夫はいきり立ってわたしたちの近くの席を要求しましたが、応じてもらえないと、通路の真ん中に寝ころがり、わめき散らしました。コリンの泣き叫ぶ声がこちらまで聞こえてきて、夫のあまりの醜態に血の気が引きました。とっさに席を立って駆けつけようとしたところ、マーガレット王女がぴしゃりとおっしゃいました。「おすわりなさい、アン」
そのあと、保安要員がコリンを飛行機から引きずり出そうとして、さらにひと騒動ありました。夫が「助けてくれ、アン! アン! 助けて!」となおも叫びながら放り出されるのが、窓から見えました。
マーガレット王女は、「知らん顔をしているのよ」とおっしゃいます。
コリンは逮捕され、飛行機は夫を乗せずに飛び立ちました。うちの母ならきっとそうしたように、マーガレット王女もこの件は不問に付されましたが、わたしにもときには休息が必要なことを充分に察してくださったのです。コリンは3日後に現われましたが、お互いに何も言いませんでした。
【Olivia Colman SHOCKED By Lady Anne Glenconner’s Honeymoon Story | The Graham Norton Show】
公的な役割とそれに伴う責任を与えられたことは、気晴らしにとどまらず、夫からの精神的な自立も強めてくれました。コリンは王室、とりわけマーガレット王女にこのうえない崇敬の念を抱いていたので、わたしが公務につくことをとても誇りに思い、王女さまのご提案をお受けするよう強力に後押ししてくれました。夫は、わたしが女官になれば自分と王女さまの親交も深まり、これまで以上に夫婦でお供できる時間が増えるはず、つまり、わたしがお招きを受ける行事にはなんであれ自分も同行できると思いこんでいたようです。ところがそうはならず、コリンは大いにがっかりしましたが、王女さまとご一緒の時間はたしかに増えましたし、夫はその機会をいつも心待ちにしていました。いまにして思えば、王女さまとの友情は、世間をあっと言わせたいという夫の願望をさらにあおるものでした──マーガレット王女がマスティク島に滞在されていればパーティーを開くための願ってもない口実となり、パーティーは大がかりになる一方でした。それは裏返せば、夫が創意に富んだ天才だと──実際にそのとおりなのですが──世間に認めてもらうという意味もあったのです。
マーガレット王女はご聡明な方ですから、女官は友人のなかから慎重に選ばれました。王女さまの従姉のジーン・ウィルス、ジェイニー・スティーヴンズ、ダヴィナ・アレクサンダー、そしてマーガレット王女にトニー・アームストロング=ジョーンズを紹介したエリザベス・キャヴェンディッシュ、それに現在はエリザベス女王の女官を務めているアナベル・ホワイトヘッドといった面々です。
わたしはマーガレット王女が亡くなるまで30年間、女官兼友人としてお仕えしました。公務としてお側にいることもあれば、べつの女官が王女さまを補佐し、わたしは友人として付き添う場合もありました。
わたしの母は1953年から1973年まで女王陛下の女官でしたので、母娘で同じようなお役目を務めていた時期が2年ほど重なります。わたしたちのおもな役割は、王室のご公務および特別な機会に女王陛下やマーガレット王女に同行し、行事がつつがなく進行するように気を配ることでした。母は女王にお仕えし、わたしはわたしで、マーガレット王女がどこにおいででも、必要とあらば、気心の知れた信頼できる者が身近にいるとご安心いただくために、おそばに控えていたのです。
女官は王室に仕える人間のごく一部で、女王はマーガレット王女よりはるかに大勢のスタッフを抱えておられます。マーガレット王女には運転手、執事、料理人、洗い場メイドがひとりずつ、それに通いのメイドが2人いて、煙草を手放さない王女さまのために、灰皿の交換に多くの時間を費やしていました。ミセス・グリーンフィールドというお衣装係は、折々の衣装の組み合わせを考え、あらかじめ何着か用意しておいて、王女さまご自身がお召しになりたいものを選べるようにしていました。着付けのお手伝いのほか、毎晩お風呂の用意をするのもミセス・グリーンフィールドの役目でした。王女さま専用の美容師もいて、行事のまえに宮殿に参上することもあれば、王女さまが美容室に出向かれることもありました。ネイルの手入れはそこでしてもらいますが、お化粧はいつもご自分でなさっていました。護衛官は何人かいて、彼らを率いるジョン・ハーディングとは長年のうちに親しくなりましたが、何十年もその職についていました。以上が身のまわりのお世話をする職員で、そのほかに私設秘書のナイジェル・ネイピアが、4人の秘書と一緒に執務室に詰めていました。
マーガレット王女は職員への気配りぶりで評判がよく、お衣装係やメイドが同行すると、よい部屋をあてがわれているか、全員がきちんとした待遇を受けているか気にかけてくださいました。毎年、王女さまは女官を集めてクリスマスのお茶会を催されました。巨大なクリスマスツリーの下にプレゼントの包みがたくさん置いてあり、わたしたちに手渡してくださるのです。お心のこもったすばらしいプレゼントもあれば、実用品を頂戴する場合もありました。王女さまはキッチン用品に目がなく、あるときジーン・ウィルスはトイレ用ブラシをいただきました。「お宅に泊まりにいったとき、見当たらなかったから」と。じつは、ジーンは王女さまご来訪にそなえて、まえもって隠しておいたので、そのお心づかいに目を白黒させていました。王女さまが何度かお使いになった到来物のハンドバッグ、という場合もありました。そうかと思えば、気前のよいことに、お買い物のお供をしたときに、わたしがうっとりと眺めていたアンティークを頂戴することも。
【アン・グレンコナー『マーガレット王女とわたし イギリス王室のおそばで歩んだ女官の人生』所収「10 女官就任」より】