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「インクルーシブ教育」に、ほんとうに必要なこととは?

記事:明石書店

『イタリアのフルインクルーシブ教育―障害児の学校を無くした教育の歴史・課題・理念』(アントネッロ・ムーラ著、大内進監修、大内紀彦訳、明石書店)
『イタリアのフルインクルーシブ教育―障害児の学校を無くした教育の歴史・課題・理念』(アントネッロ・ムーラ著、大内進監修、大内紀彦訳、明石書店)

障害者の権利条約と日本のインクルーシブ教育

 国連の「障害者の権利に関する条約(略称:障害者権利条約)」をご存じだろうか。この条約は、2006年12月13日に国連総会において採択され、日本は2007年9月28日に署名、国内法の整備等を経て7年後の2014年1月20日に批准している。

 この条約の実施状況について、日本に対する初めての審査がこの8月に行われ、9月9日に総括所見・改善勧告が公表された。評価された点は多かったものの、厳しい所見もあった。「インクルーシブ教育システムの構築」(*1)についても厳しい改善勧告が示された。

 たしかに、日本の施策をみると、障害がある子どもの障害の程度に応じた多様な場を設けて対応することで「インクルーシブ教育」を乗り切ろうとしており、障害の有無や軽重といった縦軸での対策がメインになっているといえる。条約で求めているのは、通常の学級規模を小さくする、教員配置を見直す、他職種の導入を図るなどの水平面でのきめ細やかな対応である。

 諸外国の動向をみると、インクルーシブ教育の充実に向けて取り組んでいる国々は、通常の学校や学級の改革を進めている。その中でもとりわけ顕著な取り組みをしているのがイタリアである。

イタリアの取り組みを学ぶ

 イタリアでは、1970年代からフルインクルーシブ教育を開始し、混乱期を経て、その取り組みは、通常の学校の変革を促すことになった。半世紀をかけて、障害がある子どもと障害のない子どもがともに学ぶための制度改革や環境整備が進められてきた。現在では、幼稚園から大学まで学校教育全体に「インクルージョン」が浸透し、定着するに至っている。イタリアのフルインクルーシブ教育を理解するうえで大事なことは、現在の体制づくりが思いつきで始まったのではないということである。本書には、膨大な資料を基にして、イタリアの教育のありようが丁寧に記述されている。

インクルージョンの基礎を築いた先駆者たち

 本書は冒頭より、教育および人間の教育可能性という「アリアドネの糸」を通じて、あるいは目には見えにくい偏見や抵抗を通じて、「ぺダゴジア・スぺチャーレ」(*2)の「先駆者たち」の「読み直し」がなされている。具体的にはシャルル・ド・レぺー、ヴァランタン・アユイ、ジャン・マルク・イタール、エドゥアール・セガン、マリア・モンテッソーリといった人物が取り上げられている。かれらこそが、自身の研究と実践的な取り組みを通じて、障害がある人々の文化的・社会的インクルージョンのプロセスの基礎を築き、また「ぺダゴジア・スぺチャーレ」の誕生を可能にした理論的・実践的な原理を解明していったのである。

 日本の障害児教育のテキストでも取り上げられている人物も少なくないが、それらの多くは無器質で平板な紹介にとどまっている。本書では、豊かな知見に基づいてそれぞれの人物の人柄、キャリア、思想的、文化的、時代的背景、研究スタイルなど多方面から光が当てられており、先駆者の像が立体的に浮かびあがってくる。かれらがその置かれた時代、場所で、「ぺダゴジア・スぺチャーレ」の誕生を可能にした理論的・実践的な解明を果たした先駆者として、今日に至るインクルージョンへの流れの中で相互に連なっていることも再認識することになるだろう。

 かれらが行った活動のおかげで、「人類の発祥以来、無数の人々の実存状態につきまとってきた障害者に対する軽蔑、孤立、放棄・放置、社会的な周縁化が食い止められ、それに代わって、すべての人間の教育可能性と解放の原則のための余地が残されるようになった」のだとムーラ氏は主張する。

イタリアの小学校:オープンスペースの子どもたち
イタリアの小学校:オープンスペースの子どもたち

イタリアの学校におけるインクルージョンへのプロセス

 イタリアにおける障害がある子どもの教育の義務化は、他国と同様に障害のない子どもの教育とは異なった文脈で開始されたのであるが、後に障害がある無しにかかわらず共に同じ学級で学ぶフルインクルーシブ教育へと発展していった。ムーラ氏によれば、このプロセスを通して、「障害というものを共同体に“所属し”、共同体に“役立つ”資源である」と認識し、それを活用するための条件が整えられていったのである。イタリアでは、この考え方が生活のさまざまな文脈の中に徐々に広がってきているという。

 イタリアのインクルーシブ教育は、国際的な動向とも同期している。2001年に発表された『国際生活機能分類(ICF)』は、「障害があることは、損失があるということでは決してなく、この損失は、むしろ個人因子と環境因子の相互作用のあり方によって具体化される」ということを明確に示した。2006年の国連の「障害者の権利に関する条約」は、障害があっても「全ての人権及び基本的自由を差別なしに完全に享有すること」を明示した。イタリアでは、こうした動きが率直に受け止められ、障害者および障害との関わり方への改革が進み、インクルーシブ教育に反映されてきたことが読み取れる。

インクルージョンの推進に貢献した「ぺダゴジア・スぺチャーレ」

 この30年間のイタリアにおける「ぺダゴジア・スぺチャーレ」という学問と特別な教育法は、理論的・実践的な側面でインクルーシブ教育の推進と革新に大きな貢献をしてきた。「ぺダゴジア・スぺチャーレ」が、障害がある子どものためだけではなく、「人間の教育における普遍的な目的と理論的な研究、そして、インクルーシブな教育を含めて組織的な実践と教育の形態の密接な結びつきを明らかにしていくことに貢献してきた」ということである。障害がある子どもの教育と、いわゆる通常の教育の間の壁が除去されているとは言い難い日本の現状に警鐘を鳴らしているものと受け止めた。さらにムーラ氏は、「障害を抱えている人々は、どのような状態に置かれていても教育と権利に支えられていれば自己決定ができ」、「自分の特性と出会うことが、人類の文明の発展を押し広げその文明を特徴づけることに貢献できる」とも記している。

 そして、インクルーシブ教育の発展、充実に向けて、人間間の相互性と共同性の感情が、具体的な「生存のあり方」の生態学的-組織的な条件になるように、文化的、科学的、かつ倫理的に考え抜いた認識を実践に移すための課題を示し、それに対する指標をムーラ氏は提案している。

「共生社会」をめざして

 現在の日本の小中学校等の通常の学級には、特別なニーズがある子どもだけでなく、外国につながる子どもたちなど支援を必要とする多くの子どもたちも在籍している。そうした子どもたちが、通常の学級の中で生活しにくい、差別やいじめにあう、あるいは不当な扱いを受けるという実態がたびたび公にされている。「共生社会」の実現という観点から「インクルーシブ教育」を推進していくためには、国や教育行政の課題としてとらえるだけでなく、社会の構成者が自身の問題として省察し、見識を深めることも必要である。そのためには国内外のさまざまな取り組みを知ることが大切だ。本書はそうした導き手として有用な一冊だといえる。

※なお、11月23日には、著者のアントネッロ・ムーラ氏を招いたオンラインセミナー「イタリアのフルインクルーシブ教育の現状と課題」が開催される。


*1
 インクルーシブ教育システム(inclusive education system)とは、条約の第24条「教育」には、以下のように記されている。「人間の多様性の尊重等の強化、障害者が精神的及び身体的な能力等を可能な最大限度まで発達させ、自由な社会に効果的に参加することを可能とするとの目的の下、障害のある者と障害のない者が共に学ぶ仕組みであり、障害のある者が『general education system』から排除されないこと、自己の生活する地域において初等中等教育の機会が与えられること、個人に必要な『合理的配慮』が提供される等が必要である。」

*2
イタリア語で「pedagogia speciale」。英文では「special education」となる。これをそのまま日本語訳すると「特殊教育」となるが、この訳語には分離教育のニュアンスが含まれており、イタリア語の意味と異なって受け止められることが危惧されることから、本書では「ぺダゴジア・スぺチャーレ」としている。

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