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〝後戸〟から〝部屋〟へ――神秘の動態に迫る: 山本ひろ子『摩多羅神』の哄笑(前編)

記事:春秋社

鰐淵寺・蔵王宝窟(撮影:筆者)
鰐淵寺・蔵王宝窟(撮影:筆者)

『摩多羅神』本の出現

 本書を〝普通の本〟と侮るなかれ。私にはひどく危険な本と思われる。危険な動態を一瞬〝ブラストチラー〟で凍結したにすぎない。封印が解かれるのは時間、、の問題と、貴方次第、、、、だ。

 新奇なる神々の熱狂はどのように我々の前に現われるか――
 例えば、時代不穏なる幕末には、神札が天より降ってきた。
 あるいは異国の商船と共に、商人が寄港地に連れてきた。
 あるいは帰国の途にある留学僧の船中を狙い、当地に滑り込んできた。
 そして又、天竺から寄する波に乗って、運ばれてきた。
 本書は都の鬼門、神田明神のほど近くから、全国津々浦々へと運ばれた。

 時代のなかで永らく秘匿されてきた神が、かくも露わに、かくも数多、各地へ散らばっていったことがあっただろうか、否。

 表紙を飾る神像はご存知〝摩多羅神〟。それも中世、鎌倉時代の作である。制作年が知られる神像としては最古。しかも大雪で像を納めた堂と厨子とが崩壊したとき、この像は自ら〝飛び出して〟難を逃れたという奇瑞譚を身に纏う(第五章)。

 私がひそかにこの像を畏れるのは、初めてまじまじとお目にかかった二〇一〇年秋に遡る。その異貌と、空間を占める強烈な存在感に、あたかも透明な大波の崩れる直前の、緊張した一点の上に鎮座しているかのようで威圧されたから。明くる三月の東北を襲った地震と津波が、この神の所為だとしたら。秘匿された神が世に姿を顕すときは、災害時か危機的状況下ではないか――だから『摩多羅神』本の刊行を待望しつつ、一方ではその〝顕現〟を忌避してもいた。

 そして昨年八月、出現の刻を狙い定めたかのように本書は刊行された。主に天台系寺院の常行堂に祀られる摩多羅神にとって、八月は年頭の修正会に次ぐ活躍のとき。堂衆らが後戸で跳ね踊り、めちゃくちゃにお経を唱え、「ゲニヤサバナム(まことに障礙してほしい)」と摩多羅神を驚発する、大念仏会「天狗怖し」の行われる時節(山本ひろ子著『異神』第二章)。

 さて『摩多羅神』本自体、私には一種のまじもの、、、、、摩多羅神のひもろぎ、、、、に思える。加えて本書はまぎれもない生きもの、、、、である。ここに収められた時空は、はるか一九九九年から二〇二二年に及ぶ。

 著者の前著『異神――中世日本の秘教的世界』が平凡社から刊行されたのは、二〇〇〇年代幕開け目前の一九九八年。その一章を「摩多羅神」が占める(『異神』第二章「摩多羅神の姿態変換」)。同書は、質量ともに世間にインパクトを与え、一部オカルトマニア(!?)に熱狂的に歓迎された。〝摩多羅神〟は一躍、知る人ぞ知る尊となる。巻頭を飾る異国情緒あふれる掌編は、そんな一九九九年の摩多羅神ブームのなかで書かれた(第一章)。

 『摩多羅神』を手にとる人は『異神』の読者か、はたまた新しい読者か。未読の向きにはぜひ『異神』の一読をお勧めしたい。同書はちくま学芸文庫より二〇〇三年に上下二冊の文庫として再刊されたが、現在は入手困難。しかしうれしいことに、この夏に戎光祥出版より上下巻の単行本として復刊の予定。見えない〝異神〟たちの共振を感じざるをえない。

〝後戸〟を超えて――〝部屋〟のただなかへ

 『異神』で著者は、服部幸雄氏の有名な「摩多羅神は後戸の護法神である」というテーゼに正面から反論を加えた。摩多羅神と後戸を巡る議論は、一九八〇年代から九〇年代はじめにかけて、文学、藝能、建築の領野を横断して一世を風靡し、著者も一九七〇年代当時、服部氏の論考が掲載された『文学』(岩波書店)の刊行を心待ちにしていたという。

 『異神』において、摩多羅神が後戸に常祀されていない三つの事例――(1)常行堂背面の奥殿に常祀されている場合、(2)常行堂内の別所に常祀されている場合、(3)常行堂以外の場所に常祀され、修正会に臨み常行堂後戸に勧請される場合――を検証し、「摩多羅神は後戸の護法神にあらず」と決着をつける。その後、著者が新たに取り組んだのが〝部屋〟の問題であった(第四章、第八章)。

 師も無く、アカデミズムとも無縁とのたまう著者は、主宰する私塾「成城寺小屋講座」にて「大いなる部屋」のタイトルで報告を重ねる。それが本書の屋台骨だ。

 ところでこの〝部屋〟に関して私の記憶に鮮やかなのは、勉強会で『異神』第二章「摩多羅神の姿態変換」のレポートをしたときのこと。花祭の太夫が天上裏で祈祷をする「天(あま)の祭」について、「天」と呼ばれる天上裏は太夫が秘法を修するにふさわしい神秘の空間だ、と報告したところ、「天井裏という空間自体がアプリオリに聖性を持っているのではない」と一喝されたことだ。

 一連の「大いなる部屋」の考察は、服部幸雄氏の著作『大いなる小屋――都市の祝祭空間』(一九八六年)へのオマージュでもあるが(第四章)、著者の〝部屋〟へのアプローチはこの一喝に尽きる。

 いかに〝部屋〟は変容するのか。著者は、資料を丹念に読み、部屋への出入り、座次、空間内での所作などに光を当て、ドラマツルギーを開示する。それはあたかも魔法の秘密のヴェールを一枚一枚はがしてゆくかのようで、次第に、先人たちの構想力が、儀礼・芸能・祝宴の場を丁寧に創りあげていたことが明らかになる(第二章、第三章、第七章、第八章)。

 〝摩多羅神〟に関する本だと思い、読みすすめていった人が戸惑うのはこの〝部屋〟を巡る考察の箇所ではないだろうか。しかし思い出してほしい。摩多羅神は常行堂という、堂に集う人々の結社の神であったことを。摩多羅神が勧請された部屋での、神と堂衆らとの緊密な交わりを。神威発動の様態と〝部屋〟とは不可分の関係であることを(第七章)。

 私が縁あって通っている羽黒修験の峰入り儀礼では、修行の期間に行者たちが籠るお堂を、〝宿(しゅく)〟と呼ぶ。堂内はさまざまな象徴に彩られる。行がすすむと、行者たちは一の宿から二の宿へと移ってゆく。導師が行者らに対し、「一人も残らず、二の宿へ駈け入らっしゃい」と告げるのも、もしかしたら「部屋入り」「呼立て」と関連するのかもしれない。

(後編はこちら)〝狂乱の歌舞〟の予兆――鼓の音が聞こえたら

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