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〝狂乱の歌舞〟の予兆――鼓の音が聞こえたら:山本ひろ子『摩多羅神』の哄笑(後編)

記事:春秋社

清水寺境内(撮影:筆者)
清水寺境内(撮影:筆者)

(前編はこちら)〝後戸〟から〝部屋〟へ――神秘の動態に迫る

「大いなる部屋」へ――隠れた〝花祭論考〟

 横道へそれたが、ここで「大いなる部屋」(第八章)読みへの補助線を引いてみたい。

 「あとがき」でも述べているように、著者が摩多羅神の〝部屋〟を追いかけるなかで、再び現れたのが三河大神楽の〝部屋〟であった。成城寺小屋講座で活動する宮嶋隆輔による、民間の正月儀礼〝おこない〟の研究も考える素材となっただろう。

 著者は処女作として『変成譜――中世神仏習合の世界』(春秋社、一九九三年。二〇一八年に講談社学術文庫へ)を上梓している(奇しくも『変成譜』刊行時に入社した小林公二氏が、足掛け九年がかりの『摩多羅神』本編集の最後を担った。ちなみに『変成譜』刊行後、〝続編〟が社内でささやかれたが、実現したのは実に時経ること二九年! 嗚呼、なんたる編集者泣かせ!)。

 『変成譜』は、「中世熊野詣の宗教世界――浄土としての熊野へ」、「大神楽「浄土入り」――奥三河の霜月神楽をめぐって」、「龍女の成仏――『法華経』龍女成仏の中世的展開」、「異類と双身―中世王権をめぐる性のメタファー」の四章からなり、『摩多羅神』第八章「大いなる部屋」は、『変成譜』第二章「大神楽「浄土入り」」の展開版という位置付けとなる。

 ところで『変成譜』と『摩多羅神』の刊行の間に、著者は重要な論考を書いている。それが、「神楽の儀礼宇宙――大神楽から花祭へ」(岩波書店『思想』掲載。全五回、一九九五年~一九九七年)である。つまり正確には『摩多羅神』第八章は、『変成譜』に続く一連の〝花祭論考〟からの展開版なのである。

 『摩多羅神』本の持つパースペクティヴを余すところなく感受するためには、ぜひこの花祭論考を読んでいただきたい(ぜひとも、一冊の本に纏めましょう!)。

 祭がいかに変態を遂げて再構築されたか、祭の生命線ともいうべき呪術言語・物語の〝祭文〟に迫る著者の鮮やかな手さばきには、惚れ惚れと癖になるような魔術性が潜んでいる。

 実際、本書は第八章に至ってがらりと趣を変える。山村の〝神楽屋敷〟が招聘されたかと思うと、いっきに祭の核心部分へ。祭の次第書や、祭で読まれた祭文類の読み解きに取り掛かる。残されたわずかなフレーズを頼りに、資料を縦横に博捜し一つの像へと結実させるわざは、花祭論考でも披瀝されていた。

 魔術は虚空から何かを取り出すような非現実的なものではなく、いくつもの現実がしかるべき時と場所をわきまえて、ある特異な組み合わせをみたときに発現するものだと分かる。その断片となったピースを拾い集めて配置しなおすスリリングさ。

 『摩多羅神』本は、この書き下ろしの第八章を抱え込んだために、予想を裏切る書となり、未完の、開かれた書となった。〝祭文〟は、御伽草子や昔話、神話世界、地狂言や田遊び、村芝居、踏歌といった正月儀礼の現場へと我々を誘う。日本文化の地下水脈に触れる瞬間。

力と力の拮抗するテキスト

 思い返せば、どの章も机上の論ではなく、実際に現地や資料を踏破し、そこでの出会いに導かれて生成してきた。出雲の奥地、奇岩が聳える山中、波打ち寄せる岩窟、巨人の脛の骨が埋まる茶畑、スサノオの葬地、さらに神と仏が接近していた知られざる中世の大社の姿など。著者と共に読者は、思想的、空間的に異世界を旅する。そこでは見知った姿が引きはがされ、裏切られ、新たな貌を覗かせる(第五章、第六章、補章)。今、私たちが獲得すべきは、このような見慣れた景色へと注意深く分け入り、腑分けし、読み解いてゆく力ではないか。

 本書の恐ろしさ、、、、は、文章からも、行間からもその強烈な〝力〟がにじみ出ている点にある。そこでふと脳裏をよぎるのは、「原典講読」という著者の学の根幹だ。

 現代語訳でも意訳でもなく、原典そのもののもつ、手触りや語感とじかに格闘する中で磨かれた〝力〟。対象へ肉迫する筆者の探求の〝力〟と、謎の神・摩多羅神とが交錯したことで、本書は一層恐ろしさを増した。

 結社の秘神である摩多羅神が、我々の前に姿をさらしたこと――裏返せば、山本ひろ子が摩多羅神を引きずり出したともいえるが――それは手にした鼓によって、この今をまぜっかえして混沌におとしいれ、「狂乱の歌舞」を舞わさん、としたがゆえではないのか。

 本書を手にとられる御仁は、ゆめゆめご油断めされるな。
 不敵な笑みを浮かべる神があなたの前に顕われた理由をおもえ――
 鼓の響きが微かに聞こえたら、あなたの日常は一変するに違いない。

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