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あいまいな「反戦の美術」、その難しさと面白さ ――岡田温司著『反戦と西洋美術』書評(評者:山本浩貴)

記事:筑摩書房

アンリ・ルソー《戦争》
アンリ・ルソー《戦争》

過去につくられた「反戦の美術」の現代的可能性を探究する

 還暦を過ぎてなお驚くほど旺盛な著述・翻訳活動を展開する美術史家・岡田温司の新著『反戦と西洋美術』は、主に17世紀から現代までの西洋諸国で制作された絵画・版画・写真を中心に――それらのメディウムの違いにも留意しつつ――彼が「反戦の美術」と考える芸術について論じた書だ。言わずもがな2022年に開始されもうすぐ一年を迎えんとするロシアのウクライナ侵攻はじめ、人間同士の殺し合いを伴う争いは今も世界中で多発する。そのような現状で戦争の悲惨さを伝え、その廃絶を訴えた美術作品を再考する同書の意義に異を唱える者は少ないだろう。それは過去につくられた「反戦の美術」の現代的可能性を探究することに他ならないからだ。

ポール・ナッシュ《死の海》
ポール・ナッシュ《死の海》

 だが可能性と同時に、この本は「反戦の美術」を考えるうえで避けては通れない難しさも提示する。著者自身も自覚する通り、その難しさは芸術の「あいまいさ」に起因する。文章表現を中心とするルポルタージュ・小説・詩と異なり、視覚表現を中心とする芸術が多義性を帯びるのは必定だ。一般に言語による分節化に立脚する文章表現は、イメージによる具現化に立脚する視覚表現より明瞭に主張を伝達できる(言っていることと反対のメッセージを暗示する反語表現、あえて言わないことで本音を推察させる文章技術もあるが)。それゆえ「反戦の美術」は一義的ではありえず、その分析ツールとして白と黒の二元論は効果的でない。

芸術のあいまいさから目を背けるのでなく、積極的に光を当てる

「トラウマ的な描写が、ある種のあいまいさを帯びてくるのは避けられないかもしれない。つまり、戦争の悲惨さと残酷さをアピールするように見えて、場合によっては、むしろ敵対心を煽るという逆の効果を引き起こすことも考えられるのである」(8頁)。こうしたあいまいさから目を背けるのでなく、岡田はむしろ積極的に光を当てていく。『反戦と西洋美術』でもっとも面白く感じたのは、具体的作品に沿って「反戦の美術」がはらむあいまいさを示す、その手さばきであった。同書は戦争を題材にした芸術を論じた書物であり、それを「面白い」と形容するのは不謹慎か。だが、かつてあった「反戦の美術」の今日における可能性を抽出し、同時にそのあいまいさを知る楽しみを享受すること――それらは必ずしも矛盾するわけではないはずだ。現に、『反戦と西洋美術』はその困難な作業を見事に両立させている。

岡田温司『反戦と西洋美術』(ちくま新書)書影
岡田温司『反戦と西洋美術』(ちくま新書)書影

 美術史的な視座から眺めれば、本書はよく知られた芸術運動を拡張的に論じていると言える。すなわち、それは戦前・戦中のキュビズムやシュルレアリスムのあまり知られていない側面を開示し、戦後のアンフォルメルやアルテ・ポーヴェラの従来とは異なる見方を提供する。また、とりわけ「(主に1990年代以降の)現代アート」を専門とする私として、一冊の書物に今や現代アートの巨匠として知られるゲルハルト・リヒターやアンゼルム・キーファー――彼らの作品がホロコーストと深く関わること自体は、しばしば論じられてきた――がルーベンス、ゴヤ、ドーミエと一緒に登場するのは興味深かった。「反戦と西洋美術」という、これまでになかった軸を導入した本書の新奇性が光る。

ルーベンス《戦争の結果》
ルーベンス《戦争の結果》

 最後に、本書を岡田が2020年にちくまプリマー新書の一冊として上梓した『西洋美術とレイシズム』と併読することを勧める。同書で、彼はレイシズムとセクシズムが西洋美術のなかで相互に関連し強化し合う様を叙述する。一方「いつの時代であっても、男たちの戦いのなかでいちばん大きなつけを払わされてきたのは、女性と子供たちなのだ」(33頁)という事実は、『反戦と西洋美術』に一貫して流れるライトモチーフである。岡田によるこれら二つの著作は不可分に結びつきながら、異なる角度から西洋美術の諸相を立体的に描きだす。
(PR誌「ちくま」2023年3月号より転載)

アルビン・エッガー=リエンツ《戦下の女たち》
アルビン・エッガー=リエンツ《戦下の女たち》

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