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アスリートがよく見る「心配夢」 アルテミドロス『夢判断の書』を読む

記事:白水社

ギリシア・ローマの「夢」を現代に伝える! ピーター・トーネマン著『古代ローマ人は皇帝の夢を見たか アルテミドロス『夢判断の書』を読む』(白水社刊)は、類例のない貴重な記録を同時代の社会・文化・宗教に位置づけながら、当時の人々の希望と不安、その前提となった価値観を読み解く。
ギリシア・ローマの「夢」を現代に伝える! ピーター・トーネマン著『古代ローマ人は皇帝の夢を見たか アルテミドロス『夢判断の書』を読む』(白水社刊)は、類例のない貴重な記録を同時代の社会・文化・宗教に位置づけながら、当時の人々の希望と不安、その前提となった価値観を読み解く。

【著者動画:Why has the Hellenistic Age been neglected by historians?】

 

運動選手の身体

 アルテミドロスは言う。奴隷が主人から利益を得るように、平民は都市公職者から、兵士は皇帝から、そして運動選手はよく鍛えられた自分の身体から利益を得る、と(二・一二)。この類比には困惑させられる。前の三例は庇護と従属というわかりやすい関係だが、運動選手の場合は、人生での成功がかかっているのは、外的な存在ではなく、鍛え上げられた自身の肉体の完成ぶりエウエクシアなのである。

『古代ローマ人は皇帝の夢を見たか アルテミドロス『夢判断の書』を読む』(白水社刊)。全5巻からなる『夢判断の書』からの引用は(巻数・章)のかたちで表記。古代ローマで著述をした人物としては例外的に、アルテミドロスは高度な教養を備えた知識人ではなく、ギリシアの属州エリートの平均的な教養をもち、庶民や奴隷、上流階層出身の運動選手を顧客とした。
『古代ローマ人は皇帝の夢を見たか アルテミドロス『夢判断の書』を読む』(白水社刊)。全5巻からなる『夢判断の書』からの引用は(巻数・章)のかたちで表記。古代ローマで著述をした人物としては例外的に、アルテミドロスは高度な教養を備えた知識人ではなく、ギリシアの属州エリートの平均的な教養をもち、庶民や奴隷、上流階層出身の運動選手を顧客とした。

 予想がつくように、運動選手は競技での成功にとりわけ重要な自身の身体部位に注目した心配夢をよく見たようである。レスリングとパンクラティオンの双方でオリュンピア競技祭に参加しようとしていた格闘技の選手が、両手が黄金に変わる夢を見た。彼はいずれの種目でも敗退した。自分の手が「黄金のように動きを止めて、働かなくな」ってしまったからである(五・四八)。別のパンクラティオン選手、マグネシアのメニッポスは、ローマのカピトリア競技祭(夜に開催)直前に不吉な夢を見た。その結果、彼は現実に手にけがをして棄権せざるを得なくなった(四・四二)。走者にとって、四肢のうち最も重要なのは足である。しごく当然の理由から、短距離走者にとって足が燃えている夢は吉兆である(一・四八)。すでに言及した、ひとつ目の競技で勝利した少年走者は、ふたつ目の競技の直前にひとつ目の勝利の冠で足を洗う夢を見て、競技に負けた(五・五五)。走者が四頭立ての戦車を操る夢を見るのは凶兆となる。アルテミドロスによれば「自分の足を使うだけでは十分でないことをこの夢は告げるから」である(一・五六)。 

Pankratiasts fighting. Greek bronze, 2nd century BC. Staatliche Antikensammlungen in Munich.[original photo: MatthiasKabel – CC BY-SA 3.0]
Pankratiasts fighting. Greek bronze, 2nd century BC. Staatliche Antikensammlungen in Munich.[original photo: MatthiasKabel – CC BY-SA 3.0]

 運動選手の成功と、強さと男性性との結びつきは、運動選手が見る身体の夢で、通常より弱いとされている身体に変身する場合が多いことを意味した。運動選手が授乳する夢を見るのは病気を予言する。「乳を出すのは、か弱い性のする仕事だから」である(一・一六)。同様に、あるパンクラティオン選手──あらゆる競技で最も「男性的な」競技の参加者──が自分が産んだ子供に授乳する夢を見て、試合に負けて引退した。「男ではなく女のする仕事に携わる夢を見たから」である(五・四五、第章も参照)。赤ん坊になる夢は運動選手にとっては凶兆である。「赤ん坊は歩くことも走ることもできないのだし、歩くこともできないのに人を負かすことなどとてもできないから」である(一・一三)。成人男性が少年とレスリングをして負ける夢を見たら、嘲笑と病気の憂き目にあう。「嘲笑の理由は、それが敗戦の当然の結果だからであり、病気の理由は、自分より柔弱な身体に負けたからである」(一・六〇)。

ピーター・トーネマン『古代ローマ人は皇帝の夢を見たか アルテミドロス『夢判断の書』を読む』(白水社)目次
ピーター・トーネマン『古代ローマ人は皇帝の夢を見たか アルテミドロス『夢判断の書』を読む』(白水社)目次

 『夢判断の書』第五巻のふたつの夢は、運動選手が成功するにはどのように身体を作り上げるのが最適と考えられるか、より具体的に述べている。ひとつ目は、ほぼ説明の必要がないだろう(五・七九)。

ある競走選手は、神聖競技大会に出場を予定していたとき、こんな夢を見た。水路が汚物と泥でふさがっていたので、ほうきを手に取って掃除し、さらに大量の水で洗い流した。おかげで水路はよく流れ、きれいになった、という夢だった。翌日、試合を目前に控えていたけれども、浣腸器を当てがって腹から糞便を引き出すと、足は快調、体も軽くなって、優勝を勝ち取った。

ふたつ目は、禁欲と身体の強健に対する、高度に文化依存的な信念を反映していることから、いささか興味深さが増す(五・九五)。

ある運動選手は、ペニスを切り取りしかも頭に髪飾りを付けて、優勝を勝ち取る夢を見た。彼は神聖競技大会に優勝し、大きな名声を得た。そして身を純潔に保っていたあいだは、競技で目ざましい活躍をして名を上げたけれども、愛欲の喜びを覚えたとき、屈辱のなかで競技から引退した。

精液は身体の強健のおもな源泉とみなされていたことから、古代の運動選手は性行為を控えるよう求められた(ピロストラトス『ギュムナスティコス』五二)。アルテミドロスより年長の同時代人ガレノスが、オリュンピア競技祭の選手たちは活力を失なわずに去勢できると考えるのならそうするだろうと示唆しているが、ガレノスの言うことを文字通りに受けとる必要はない。これは、運動選手たちが禁欲の必要性をどれだけ真剣にとらえていたかを示すための、一種の強調である(『精液について』一・八)。

 『夢判断の書』に登場する運動選手の去勢の夢は、この考え方にぴったり当てはまっている。

 

*『夢判断の書』からの引用は、城江良和訳(国文社刊、1994年)を使用した。ただし原書の説明に合わせて、一部表記の変更ならびに追加をさせていただいた。なお、原書では引用典拠は(巻数・章・節)で表記されているが、本書では城江訳に従い(巻数・章)表記とした。

 

【ピーター・トーネマン『古代ローマ人は皇帝の夢を見たか アルテミドロス『夢判断の書』を読む』(白水社)所収「第10章 祭礼と見世物」より】

 

【著者動画:Peter Thonemann, “An eternal memorial of goodwill towards their kinsmen”: Abdera and Teos after the Third Macedonian War】

 

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