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「ニセの自分」と向き合うこと――『「ニセの自分」で生きています――心理学から考える虚栄心』

記事:明石書店

自分は一体何者なのだろうか。他者のことが気になり、ウソをつき見栄を張る外面的な仮面を外して、自分の内面と向き合うとき、自分を否定せず、生き続けるにはどうしたらいいだろうか。
自分は一体何者なのだろうか。他者のことが気になり、ウソをつき見栄を張る外面的な仮面を外して、自分の内面と向き合うとき、自分を否定せず、生き続けるにはどうしたらいいだろうか。

「カッコつける」のは自分をダマすため?

 朝、小学4年生の子どもの寝ぐせを直すために、妻が寝ぐせ直しを吹きかけながら言います。

「ほら。もうちょっと、カッコよくしてた方がいいんだって」
「寝ぐせは直した方がいいけど、別にカッコよくなくていいよ。カッコよくしてたとして、それを好きになってくれた人がいたら、その人は、オレがカッコよくなくなったら、好きじゃなくなっちゃうじゃん。だから、いつものままでいい」

 私は子どもの発言に衝撃を受けました。そのとおりだったからです。子どもの発言は人生哲学を語ったものではありません。しかし、いつもの自分ではない自分を何らかの形で装うのであれば、それは「他者に対して何か印象を残そうとするため」ということになります。寝ぐせを直すことは礼節です。しかし礼節を超えて「カッコつける」となると、それは「いつもの自分」ではない過剰なものになります。「カッコつける」ことは、極端に言えば、他者をダマすためです。

 私は自分の「キメ顔」の写真を見ることは恥ずかしくありません。不意に撮影された自分の写真を見るほうが恥ずかしくなります。しかし他人の写真を見る場合には、むしろ「キメ顔」をしている写真を見るほうが恥ずかしくなるのです。これは一体何なのでしょう?

 SNSでは、記す文章も、動画も、いわば「キメ顔」的になることが多くなるかもしれません。「他者からこう思われたい」という自分像を示すことが多くなるのですから。「最近あったうれしかったこと」は記すけれど、「恥をかいたこと」は記さない。「反省して前を向いて進む」様子は記すけれど、「ズルをしたこと」は記さない。そのようなことは無意識的に行われることも多いのでしょう。

 文章を記している際にはある程度気がついているかもしれません。しかし、5年前の自分の記事や写真を見て、細かな気持ちの動きをどこまで思い出せるでしょうか。記事一覧を見た他者は「ああ、この人は日常生活が充実しているのだな」という印象を持つかもしれませんが、自分自身だって、そのように思ってしまうことがあるのではないでしょうか。

 過剰なものをまとって「カッコつける」、あるいは「キメ顔」を作るのは、他者をダマすためだけなのでしょうか。アメリカの精神科医、H・S・サリヴァンは以下のように記します。

私には、〈人々は必ず自ら誇るに足りないものを誇りにしているものだ〉という気がずっとしてきた。言い換えれば、自尊とは、〈手の込んだ自己欺瞞の外に向いた面〉であるようだ。
(サリヴァン『精神医学の臨床研究』みすず書房 p.128)

 これは「自尊心が表にあらわれているときには、実は、当人が自分自身をダマしている」ということなのでしょう。心の中の、ある範囲に地雷原のようなものがあり、それに触れないように「手の込んだ自己欺瞞」をしている。その地雷原こそが、その人自身の「コア」になる部分であったとしても、です。

悪口・陰口を言うのはどうして?

 ほかにも、他者を先制攻撃すれば自らを防御できるというかのように、他者の悪口・陰口を言うことも、ある種の自己欺瞞かもしれません。

Aの性格についてのB、C、Dなどのそれぞれの見方は、Aについてよりも、見る方のB、C、Dについて多くを語るのである。人を金で動かす気のない者にとっては、人間に関して、金で動くとか動かないとかの性格特性は存在しない(存在しているけれども見えないというのではなく、存在しないのである)。したがって、世間の人びとはみんな金に汚ない奴ばかりだと嘆いている者がいるとすれば、それは、当人自身が人を金で動かそうとする汚ない根性の持ち主なのである。
(岸田秀『続 ものぐさ精神分析』中公文庫 p.258)

 岸田秀の指摘を拡大して解釈すれば、「誰かに対する悪口・陰口」は、自分自身が劣等感をおぼえているものについて言及することが多い、ということにもなるのでしょう。しかし、自覚はできない。その理由は、そもそも劣等感を「自分自身に対して隠すために」他者を強く攻撃しているからです。たとえば、コミュニケーションのとり方に劣等感をおぼえている人は、他者の付き合いの悪さについてよく気がつき、その人の陰口を言うかもしれません。そして、当人の意識の上では「自分は対人関係が得意である」ということになっている。あるいは他者から慕われていない人ほど、他者に優しく接しない人に対して強い調子で非難をするかもしれません。やはり、当人の意識の上では「自分は他者に優しい」ということになっている。自分が誰とも真にコミュニケーションを取れていないということ、あるいは誰からも慕われていないという痛烈な事実から目を逸らすために。

「ニセの自分」と向き合うために

 カッコつけること、キメ顔、自尊心、悪口、陰口。それらは、「自分で自分をダマそうとしている」ことのあらわれかもしれません。それも、自分が一番見たくないところを隠すために。しかし、だからこそ、そういった気持ちの動きがあったとき、自分自身をチェックする最大のチャンスだともいえます。「ニセの自分」と向き合うチャンスかもしれないのです。

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