1. じんぶん堂TOP
  2. 哲学・思想
  3. 悪い言葉って何だ? 哲学・言語学の観点から解き明かす『悪い言語哲学入門』

悪い言葉って何だ? 哲学・言語学の観点から解き明かす『悪い言語哲学入門』

記事:筑摩書房

よくない言葉ってなんだ? これまでにはない言語哲学の本
よくない言葉ってなんだ? これまでにはない言語哲学の本

私たちは言語のエキスパートではない

 みなさんの貴重な時間を割いてまで、言語哲学を学びたくなる理由はあるでしょうか。

 ひとつの理由として、思ったより私たちは言語についてよく知らない、という事実があげられます。

日本語には「悪い」ことばがない?

 認知科学者のベンジャミン・バーガンは、罵詈雑言についての本の中で、英語の卑語における大事な特徴が日本語には欠けていると書いています。バーガンによると、英語圏でおなじみの“fuck”といった語には「ことばそれ自体に、何か私たちが悪いとみなすものがある」そうです(Bergen 2016, p. 26)。単に無礼だからとか、性的だからというだけで、そうした語が避けられているわけではないのだとバーガンは考えます。

 そして、バーガンによるとこの特徴は普遍的なものではなく、日本語には見られないそうです。日本語にももちろん、性的なことばも汚い言い回しもあるが、これはもう冒瀆的だから絶対だめ、これはもうどう考えても「悪い」から規制しないといけない、といった社会の総意がある語句がないようだ、というわけです。

 バーガンはこれを示すひとつの例として、野球選手イチローへのインタビューを取りあげます。英語・日本語どころかスペイン語も達者な人物として紹介されるイチローによると、日本語には罵りのことばが基本的にはなく、自身は罵りたかったら代わりに英語やスペイン語を使うそうです。

 バーガンがあげる、イチロー以外の日本語についての具体例が、映画『007は二度死ぬ』(一九六七年)に出てくるタイガー田中の台詞しかないことはさておくとしても、読者のみなさんのうち、バーガンの述べていることに、まったくそうだそうだと感心して、日本語には「悪い」ことばが一切なくてああよかった、と考える人は少ないでしょう。

 バーガンはどうも、日本語話者は礼儀正しく、あまり口汚く罵り合ったりしないので、日本語にはそれほど「悪い」ことばがなさそうだと考えているように見受けられます。まずは、そんなわけがない、とだけ言っておきましょう(あるいは本当にそうだったら良かったのにと)。どの口が、私たち日本語話者は口汚く罵り合わないと言えるでしょうか。だから、バーガンはその点間違っています。しかし、どのことばが「悪い」のかについて、ましてや何がどこまで規制されるべきかについて、社会的総意がないというのはまったく正しいように思われます。私たちはおよそ手がかりなく、何となくまあこんなもんだろうと思いながら、人と話し、メールを打ち、SNSでつぶやいています。みなさんは、自分が産出したことばの向こうで一体何が起こるのか、深く考えたことがあるでしょうか。

 その結果としてか、私たちの住む世界には「悪い」ことばが溢れています。日常的なやりとりにはからかい、揶揄、何気ない噂話が含まれます。いじめやけんかには恫喝や罵倒が現れます。そして、オンライン・オフラインともに、公共的空間には誹謗、中傷、マイノリティを攻撃する悪質なヘイトスピーチが野放しとなっています。私たちを奮い立たせるのもことばですが、私たちを地面に叩きつけるのもことばです。このような力を持つことば、そして言語とは一体何なのでしょうか。

言語について学ぶということ

 言語について、ことばについて知りたいことがあるとき、どうしたらよいでしょうか。私は専門家に尋ねてみる、というのが一番の近道だと思います。ところで、専門家がたとえばマントヒヒの生態や高分子の構造について語るとき、私たちは素直にその解説に耳を傾けます。しかし、専門家が言語について語るとき、特にその語りが自分の知っている言語(日本語とか英語とか)に関連するとき、私たちはどうも口を挟みたくなります。まるで、自分が言語についての権威を持っているかのように思ってしまうのです。今目にしているような文章を読む(そして書く)私たちは、少なくとも優れた日本語読解者としての能力を備えています。しかし、そのことが私たちを言語の専門家にするわけではありません。

 私は(そしてきっとみなさんも?)大変優秀な肝臓を備えており、日々極めて複雑な生理学的運動や化学反応が肝臓周辺で生じています。しかし、肝臓にまつわる以上の記述が私の限界であることからも明らかなように、私は肝臓の専門家ではありません。健康な肝臓を持っていても、だからといって、肝臓の働きについて市民を啓蒙できるような専門家になれるわけではありません。同じように、私たちがどれだけ美文を理解し、生み出すことができたとしても、言語の専門家になれるわけではありません。

『悪い言語哲学入門』(ちくま新書)書影
『悪い言語哲学入門』(ちくま新書)書影

 むしろ、私たちは思ったよりことば・言語について理解していません。たとえば、「悪い」ことばの代表として「悪口」がありますが、そもそも、悪口とはいったい何でしょうか。このような問いを立てると「悪口? 簡単ですよ。悪口とは、他者を傷つけることばに他なりません。そんなこと当たり前でしょう」といった答えがすぐ返ってくるかもしれません。実際、私が授業の参加者にこの問いを尋ねてみると、必ずそのような答えが返ってきます。いわく、悪口とは人を傷つけるもの、周囲の人々やさらには自分自身にも不快な思いをさせるもの、心理的な損害を与えるもの、といった具合です。

 しかし、この答えはまったく不十分なのです。

ページトップに戻る

じんぶん堂は、「人文書」の魅力を伝える
出版社と朝日新聞社の共同プロジェクトです。
「じんぶん堂」とは 加盟社一覧へ