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大阪発、新たな人情噺の書き手の誕生。新聞記者、小説家になる

記事:幻戯書房

『おたやんのつぶやき』に登場する「お多福人形」こと「おたやん」が鎮座していたぜんざい屋「めをとぜんざい」(現在の「夫婦善哉」とは異なる)があった大阪ミナミの法善寺横丁、西側の入口。
『おたやんのつぶやき』に登場する「お多福人形」こと「おたやん」が鎮座していたぜんざい屋「めをとぜんざい」(現在の「夫婦善哉」とは異なる)があった大阪ミナミの法善寺横丁、西側の入口。

Q.前作の『フェイドアウト 日本に映画を持ち込んだ男、荒木和一』では、主人公の和一が大阪の舶来品雑貨販売の「荒木商店」に養子に入り、明治時代の大阪商人たちを生き生きと描いています。今作でも、表題作「おたやんのつぶやき」では、大正期の京染店の御寮さんの生涯をお多福人形に語らせています。
大阪の魅力とは何でしょうか。世界を旅していらっしゃいますが、東京を含めて他の都市との比較をまじえて、教えてください。

東龍造「ぼくは生まれも育ちも大阪のど真ん中で、今でも都心部で暮らしています。両親と祖父母もそうなので、コテコテの浪花っ子です。他者とあんまり距離を置かず、建前よりも本音で接し、気さくに人づき合いができる空気が大阪に宿っています。その基盤にあるのが、庶民性かもしれませんね。大阪弁では「ベタ」と言います(笑)。
どんなおエライ人でもざっくばらんで、シリアスなことでも笑い飛ばしはります。だから、ホンワカとした温かみがあり、他の都市へ行くと、しばしば違和感を覚えることもありますね。大阪のノリが通用しないというか……。とりわけ東京の独特なクールさはちょっとしんどいかな(笑)。よく行っているヨーロッパでは、スペイン、イタリアといった南欧諸国が大阪とよく似ていて、すごく居心地がええです」

Q.大阪の庶民性はどのように醸し出されてきたのでしょうか。「おたやんのつぶやき」のなかに、大阪の人口が東京を超え、日本一になったということが出てきますが、東京のイケスカナイところと較べて、私見を教えてください。

「元々、大阪は商人の街で、江戸時代には武士が非常に少なかったと言われています。〈水の都〉を象徴する呼び名として、「浪花八百八橋(はっぴゃくやばし)」とよく言われますが、その橋の大半が民間の手で架けられました。江戸では幕府、つまり官の橋ばかりなので、全くちゃうんです。だから大坂(おおざか)の街全体が庶民の空気に満ちあふれていたわけで、それが今日まで連綿とつながっているんでしょうね。
何事も官=行政に頼らず、まずは民間と住民が動くという気風が強く、だからこそ権威や権力に背を向ける風土が根づいたのかもしれませんね。東京は、概して官主導の街なので、どこかお高くとまっているとこがあって、それが大阪人には『何を背伸びして、ええカッコしてんねん。それがナンボのもんやねん』と映るわけです。べつに東京を敵視しているわけではないので、誤解なきように(笑)」

「おたやん」は大阪ことばで、「お多福人形のこと」。本作で独白するお多福人形の履歴は著者の取材によるノンフィクション。現在は富山県朝日町の百河豚(いっぷく)美術館に展示されている。
「おたやん」は大阪ことばで、「お多福人形のこと」。本作で独白するお多福人形の履歴は著者の取材によるノンフィクション。現在は富山県朝日町の百河豚(いっぷく)美術館に展示されている。

Q.「おたやんのつぶやき」では、ラストシーンでホロスコープが出てきます。収録作「ロック・フォートの夕照」では、ウェールズの男性が登場します。小説作品を発表する以前は、本名で映画、ケルト文化、洋酒などについて著作が多数おありです。また、「おたやんのつぶやき」では「お多福人形」の所在の変遷を丹念に取材されて、描かれています。小説作品以前のお仕事が、今回の創作にどうつながったのでしょうか。

「40歳で中途退職するまで新聞記者をしていましたので、自分の知らない、あるいは興味深い事どもに対して、とことん事実を突き止めたくなります。これはどうしようもない性(さが)ですね。前作『フェイドアウト』も、今回の「おたやんのつぶやき」も、記者魂がまだ残っている証しかもしれません。今作に収録の「チンチン電車の風音」についても、サツ回り(警察担当)をしていた時に取材したある事件を思い出して筆を進めていました。記者からエッセイストとなり、随分多くの知識と情報を蓄積してきましたが、小説を執筆するうえで、それらがごく自然に湧き出てくるような感じですね。引き出しがぎょうさんあって、よかったです」

Q.新聞記者出身の作家として、司馬遼太郎や井上靖が有名ですが、思うところはおありでしょうか。

「司馬遼さんにしても、井上靖さんにしても、記者出身の作家は事実をきちんと精査したうえで物語を綴ってはりますね。司馬遼さんの『坂の上の雲』は、後半になってくると、小説というよりも日露戦争の記録のようでした。その辺りはぼくもよく似ているようなので、ええ意味で、踏襲していきたいと思っています。ただ、長年、客観的な硬い記事を書いてきたので、いかに文章を柔らかく綴るか、そこが永遠の課題でしょうね」

Q.東さんにとって、大阪が生んだ作家、織田作之助をどう評価しているのでしょうか。また、文芸作品を執筆される理由はなんでしょうか。文学の持つ力についても、お考えをお知らせください。

「オダサクさんは、どこか権威に背を向け、諧謔なる精神を持った作家でした。ゆめゆめ高みからではなく、市井の人たちの目線で庶民の日常を活写した大阪人。その姿勢にすごく惹かれます。おこがましいですが、ぼくにとっては、〈同郷の同志〉みたいな存在です。オダサクさんの生家とぼくの生家がそれほど離れていませんし(笑)。
これまで新聞記者のキャリアを活かし、ノンフィクションを軸にしたエッセイを書いてきましたが、それが物足りなくなってきたのでしょうかね、従来とは真逆、事実から遊離した世界のなかで登場人物を自在に操り、人間の細やかな営みを描くことの面白さにハマってしまった! それが文芸作品を書きたいという理由です。人間って、ホンマにオモロイ。それを多角的に、かつ深く表現できるのが文学の力だと思います」

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