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第二次世界大戦下の女性たちの労働を描いた《大東亜戦皇国婦女皆働之図》が伝えること——『女性画家たちと戦争』著者インタビュー(前篇)

記事:平凡社

『女性画家たちと戦争』の著者、吉良智子氏(写真:平凡社編集部)
『女性画家たちと戦争』の著者、吉良智子氏(写真:平凡社編集部)

『女性画家たちと戦争』吉良智子著、平凡社
『女性画家たちと戦争』吉良智子著、平凡社

「戦争画」と「ジェンダー」。“厄介者”を研究対象に

——毎年、数多くの美術関連書籍が刊行されておりますが、戦争画をテーマとした書籍は数少ないですよね。女性画家の本だとさらにその数は少なくなります。そういう状況でも「戦争画」と「女性画家」を研究しようと思ったきっかけは何だったのでしょうか。

吉良智子:今から30年ほど前のことです。私は大学2年生でした。授業の予定を立てているときに、たまたま木曜日の2限が空いていたんです。その時間を埋めるために何か面白い授業はないかなと、シラバスをパラパラと見ていて、「女性論」という言葉が目に飛び込み、面白そうだから受けてみようということで授業を受けることになりました。社会学の先生がジェンダー論を教えるという内容で、「自分が女性として経験してきたことが学問になるとは面白い」と思うようになりました。

——ジェンダー論が出発点だったのですね。そこから美術の方面にはどういった経緯で進まれたのでしょうか。

吉良:大学3年になった時、馬渕明子先生(前国立西洋美術館館長)の西洋美術史のゼミに入りました。そこでアメリカの美術史家リンダ・ノックリンの著書や、19世紀前半に活躍したフランスの画家ジェリコーの軍人を描いた作品から達成されえぬ男性性を読み解くアメリカの美術史家ノーマン・ブライソンの論文を購読するなど大変刺激的な内容の授業でした。ジェンダーと絵画の両方をもっと学びたいという気持ちが徐々に膨らみ始めました。

 そして1995年、ちょうどその年は「戦後50年」という大きな節目の年でした。戦争画を研究する人が増えてきて、戦争画集なども刊行されるようになってきた頃でした。それまでは「戦争画」の「せ」の字すらタブーだった雰囲気がありましたので、だいぶ空気が変わってきた時期でした。

——それまでは「戦争画」の存在を知っていたのですか。

吉良:いいえ。大学に進学するまでは知りませんでした。藤田嗣治の戦争画を画集で初めて目にしたときは、「あのフジタが戦争画を描いていたの?」とかなり衝撃を受けたことは今でも覚えています。

——「戦争画」はタブーな領域だったのですね。

吉良:そうですね。でも私はその二つ、「ジェンダー」と「戦争」という美術界や社会から「厄介者」扱いされているテーマを研究対象にしてしまいまして、今に至っています。

大学3年のときに出会った「不思議な絵」

《大東亜戦皇国婦女皆働之図》(春夏の部)筥崎宮蔵
《大東亜戦皇国婦女皆働之図》(春夏の部)筥崎宮蔵

——《大東亜戦皇国婦女皆働之図》(春夏の部)(秋冬の部)はどういう経緯でその存在を知ったのでしょうか。

吉良:大学3年生のとき、「戦争とジェンダーを卒業論文のテーマにしたい」と、ある方に相談したことがありました。その方が、「靖國神社の遊就館に行ってみたらどうかしら。すごい絵があるわよ」とアドバイスしてくださったのです。

 どんなすごい絵があるのだろうかと、アドバイスを聞いてからすぐに遊就館に行きました。館内の階段の踊り場の壁を見上げると、大きな絵が飾ってありました。よくよく見ると、コラージュのような不思議な絵で、それが「秋冬の図」でした。絵画としての素晴らしさというよりも、コラージュのような技法を用いていることと、女性ばかりを描いている点など、この絵の不思議さに惹き込まれていきました。

 そして「秋冬の図」のそばに説明書きがあり、そこにこの絵を描いたのは「女流美術家奉公隊(以下、奉公隊)」であるという内容が記載されてありました。授業でも書籍でも目にしたことも、耳にしたこともない名称でしたので、絵だけではなく、この奉公隊についても興味が湧きました。この絵と奉公隊についてどなたかがご存じかもしれないと思い、戦争画を研究されている先生にお尋ねしたところ、「団体とその作品は知っているけれどそれ以上は知らないなあ」ということでした。だったら私がこの絵を研究しようと思ったのです。

——未知の領域に入り込んでしまったのですね。「春夏の部」はいつ頃ご覧になったのですか。

吉良:大学4年生の夏に初めて「春夏の部」を見ました。当時は現在の所蔵先である筥崎宮(福岡県福岡市)ではなく、福岡県春日市にある自衛隊の資料館に保管されていました。筥崎宮が自衛隊に寄託していたのです。

 その後大学院に進学し、さらにこの絵と奉公隊について調査しました。さらに過去に刊行された『美術年鑑』をもとに戦時中や戦後の美術展、それも奉公隊だった方々が出品しそうな展覧会を探し当てる作業を行いました。それらの展覧会のほとんどは新聞社が主催しておりますので、展覧会の記事が載っているのではないかと新聞記事にもあたりました。まとまった史料が残っておりませんでしたので、非常に骨が折れる作業の連続でした。しかし、わからないことが次第に明らかになるという面白さのほうが勝っていました。

 ただ、さきほども申しましたように、「戦争」と「ジェンダー」という「厄介者」扱いをされているテーマでしたので、「なんでこんな研究をしているんだ」と不思議がられることも少なくありませんでした。ただ、戦時中の史料が残っていないのならば、戦後の美術関係史料にあたってみてはどうかとのアドバイスを大学の先生にいただいたり、少数ですが「よくやるね。すごい」という言葉をかけてくださったり、単純かもしませんが、そういうことが本当に研究の励みになりました。

 次第に文献だけで調査するスタイルに限界を感じるようになりました。女性アーティストは周縁化されているので史料や記録が残りにくいのです。そこで文献ではなく、奉公隊だった方たちに話を聞きにいくしかない、と。拒まれても、怒鳴られても仕方ないけどとにかく会って、話を聴くことにしたんです。

——どのようにして奉公隊の方たちを探し当てたのでしょうか。

吉良:女流画家協会の名簿を頼りに手紙を出しました。この女流画家協会は1947(昭和22)年に三岸節子や桂ゆきによって設立された団体です。

 そんな手探りの状態でも、次第に光が見え始め、最初に話を聴きに行ったのが、木下寿々子さんでした。その後、高木静子さん、それから石村五十子さん、岡田節子さんにお話を伺いました。取材に行く際、当時のことを話してくださるのか、不快に思われるのではないか、そして当時のことを覚えていらっしゃるだろうかと不安でいっぱいでしたが、皆さん、とても丁寧に対応してくださいました。さらに、私が他の奉公隊だった方を探していると知ると、「あの方に聴いてみたらどうですか。紹介しますよ」と他の方を紹介してくださりました。

《インタビュー・後篇に続く》

[文=平凡社編集部・平井瑛子]

《大東亜戦皇国婦女皆働之図》(秋冬の部)靖國神社蔵
《大東亜戦皇国婦女皆働之図》(秋冬の部)靖國神社蔵

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