第二次世界大戦下の女性たちの労働を描いた《大東亜戦皇国婦女皆働之図》が伝えること——『女性画家たちと戦争』著者インタビュー(後篇)
記事:平凡社
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——今回の本では、奉公隊にも関わっていた長谷川春子、桂ゆき、三岸節子という3人の画家も焦点をあてています。なぜこの3人を取り上げることにしたのでしょうか。
吉良智子:戦時中から戦後にかけての女性画家たちの活動を語る上で欠かせないものは何だろうかと考えていたところ、「世代」と「生き方」という2つのキーワードに行きつきました。長谷川は三岸よりも10歳年上、三岸は桂よりも10歳年上なんですね。今の時代もそうですが、10歳も年が離れていると、触れてきた文化などが異なるので、物事の捉え方に違いが出てくることがしばしばあります。今で言うと、ミレニアル世代とZ世代との違い、というようなことです。長谷川と桂だと20歳も離れており、画家になるまでに経験してきたことが違うので、それが絵画制作にも影響を与えているのではないかと思ったのです。
「生き方」に関しては、古い言い方にはなりますが、長谷川は姉御肌のバリバリのキャリアウーマンでした。その一方で三岸は三岸好太郎の妻で、離婚し、シングルマザーになりました。2人の後の世代である桂は長谷川や他の女性画家たちとうまく距離をとりつつ、という感じでした。成長してお嫁に行って、子どもを産んでというのが女性の生き方であると思われていた時代ですが、実際には女性ひとりひとりが違う生き方をしていたんです。そういうことを頭の中に入れておくというのは、作品と向き合ううえで欠かせないと思うのです。
「世代」と「生き方」という2つ視点から、3人の戦時中の様子についてみてみると、それぞれに違いが出てきて興味深いのです。姉御肌な長谷川は女性であっても戦地に行って絵を描くのもあり、だと思っていました。むしろ、「これはチャンスなんだから活かさないと」と考えていたのかもしれないですね。桂は長谷川に促されるままに奉公隊に入り、《大東亜戦皇国婦女皆働之図(以下、皆働之図)》も描きました。一方で三岸は奉公隊の活動に気が進まず、メンバーに名を連ねたものの、実際の参加からは遠ざかりました。
こういったように3人それぞれキャラクターが違い、もちろん作品のテイストも異なる3人が、《皆働之図》や奉公隊に関わっている。戦時中ではなかったら、もしかするとありえない組み合わせだったと思います。戦争と向き合うスタンスもそれぞれでした。誰がいけなくて、誰が正解だったのか、ということではありません。
——《皆働之図》のどういったところを読者のみなさんに観ていただきたいですか。
吉良:この作品には戦闘機や砲弾の生産から田植えや養蚕など42もの労働が描かれています。戦時中はどうしても男性の活躍、いわゆる、戦地で彼らがどのように戦ったのかなどということばかりがフォーカスされます。しかし戦争が進むにつれて国内の男性の数が少なくなり、女性たちも駆り出されるようになりました。男性たちが戦地で使用していた兵器は女性たちがつくり、女性たちは不可欠な存在だったのです。そういったことから「女だって戦争に参加しているんだ」という声が聞こえてくるようでなりません。
また興味深いのは、この《皆働之図》は東アジアの伝統的な図式である、日月山水図という形式がベースになっているところです。この日月山水図は、春夏秋冬のなかに太陽と月を描くというものです。戦時中の様子を描いているのにもかかわらず、四季が意識されていて全体的にどこか牧歌的な雰囲気が漂っているのはそういうことが影響しているのだろうと思っています。
——学生時代にこの絵と出会い、さまざまな調査を経て新たにわかったことの中で印象深いものはありますか。
吉良:「秋冬の図」の右のほうに描かれている羽布張りですね。アイロンをかけているようにしか見えなかったのですが、1944年の「朝日新聞」の記事を読み、飛行機の補助翼の羽布張りだということがわかりました。あとは、これも「秋冬の図」なのですが、右下に描かれている郵便配達の場面です。よくよく見ると看板に小さく「公共待避所」と書かれており、ここを描いた画家の性格といいますか、細かいところまでこだわるなあと。そういう味わいのようなものが伝わってきます。それから、「春夏の部」の真ん中上部あたりの海外放送調整室を描いた部分でしょうね。この部分は話をお聞きしに行った髙木静子さんが描いています。ここも細かく描かれていて、通信機材には「伯林(ベルリン)」、「ジャカルタ」と描かれています。
——ずっと見ていると、女性だけの楽園のように見えてきます。
吉良:そういう「女たちだけの楽園」の雰囲気が醸し出されているからか、男性からするとこの絵は「萎える絵」だそうです。「俺たちがいなくても世の中はまわるのかもしれない」と感じてしまうようで。兵士たちからしてみれば、健気な女性を守るためにも闘うぞ、という想いもあって、女性が祈る姿を描いた絵や母と子を描いた絵のほうが戦時中の美術展覧会や雑誌では好まれました。
でも女性から見れば、男たちだけが活躍しているのではないよ、という気持ちのほうが大きい。事実、子どもの面倒を見たり、負傷兵のケアをしたり、そういう見えない場面では女性たちの労働力が必須でした。この《皆働之図》は女性画家たちの「本音を語る絵」なんです。東京美術学校(現東京藝術大学)を受験できるは男性のみという美術教育のジェンダー格差や画壇での不当なジェンダー差別がありました。そういう背景なども踏まえると、この《皆働之図》は女性画家たちが描いた大きなサイズの絵という単純な見方をすることはできなくなってくると思います。見る人によって、時代によって、さまざまな見方ができ、捉え方もできる絵です。それこそ、本来の美術、絵本来の姿ではないでしょうか。だからこそ奉公隊や《皆働之図》がなぜ生まれて、私たちに何を問いかけているのか、考えてもらいたいですね。
[文=平凡社編集部・平井瑛子]