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「寝てないアピール」が自慢話になる理由 ――『悪口ってなんだろう』書評

記事:筑摩書房

「悪口」を通じて人間の本質に迫る
「悪口」を通じて人間の本質に迫る

悪口の本質は「対象のランクを引き下げる作用」

「カラハリ砂漠に住む狩猟採集民は、獲物を仕留めた人間をみんなで罵倒する。彼が調子に乗らないように」

 衝撃かつ興味深い事例を紹介しながら、悪口の本質に踏み込んでいく本書は実にエキサイティングだ。

 僕はあまり性根の良い人間ではない。悪口は毎日のように言っているし、『教養悪口本』なる本を出版したことすらある。だが、「悪口とは何か」という問いについては、考えたことがなかった。

 だから、本書の主張は青天の霹靂であった。悪口の本質は悪意があることではなく、口汚いことでもなく、「対象のランクを引き下げる作用」なのだ。これを見過ごせばナメられる、沽券に関わるような言葉こそが悪口だ、と著者は主張する。

 そして、冒頭の狩猟採集民のたとえのように、「悪口には、立場を平等化するためのイコライザー(同点弾)としての役割がある」という。

 たしかに、これを念頭に置けば、様々な現象を説明できる。「独裁者をバカにするジョークや喜劇」は古代ギリシアの喜劇から現代のスタンダップコメディまで続く定番中の定番エンタメだけれど、これは「不当に高いポジションにいる独裁者を引き下げる」ものであり、あるべきでない支配関係を破壊する痛快さがあるからなのだ。

 僕は十年ほど前から、アネクドート(ロシアンジョークのこと。ソビエト連邦時代の独裁者を皮肉ったものが多い)が異常に好きで収集していたのだが、その理由が自分でも言語化できずにいた。本書の簡潔かつ本質的な説明によって完全に言語化された。カタルシスのある本だ。

「悩みがなくていいね」がなぜ、悪口になりうるのか

 悪口についての探究を進めていく本書だが、与えてくれる示唆は悪口だけに留まらない。たとえば、「悩みがなくていいね」について。悩みがないのは良いことなのに、なぜこれが悪口になりうるのか。著者の指摘によれば、それは「精神的成熟度」の問題である。我々はしばしば「人間は他の動物よりも上位の存在である。その理由は精神の成熟度だ。したがって、精神が単純な人間は劣後する」と考えてしまう(この考え方にはあまり正当性がないけれど)。結果として「悩みがない」=「精神が単純で未熟である」という図式が成立し、悪口になるのである。

 僕はこの指摘を読み、「そうか、この理屈で説明できる現象は悪口以外にもあるな」と気づかされた。たとえば、「寝てないアピール」がそれだ。寝てないのは好ましいことでもなんでもなく、本来ならば隠すべき弱みのはずなのだけれど、なぜか(特に若年層の間で)これは自慢話のように使われる。これもやはり「寝ている」=「未熟である」という図式が成立しているからだろう。大人はしばしば様々な雑務に煩わされ、睡眠時間を犠牲にしなければならないことがある。子どもはぬくぬくと生活しているので、常に十分な睡眠時間を確保できる。したがって、十分に寝ている人間は未熟だ、と考えてしまうのだ(もちろん、これもあまり正当性はない)。

「悩みがない」という悪口は対象のランクを下げるものだが、「寝てないアピール」は自分のランクを上げるものである。これらは「精神的に未熟な者は劣っている」という同じ前提から始まっており、我々の普遍的な行動原理なのかもしれない。

 このように、悪口という極めて身近な行動を見つめることから、僕らが無意識に持っている偏見をあぶり出してもらえるのは、実に気持ちのいい読書体験だった。

和泉悠『悪口ってなんだろう』(ちくまプリマー新書)書影
和泉悠『悪口ってなんだろう』(ちくまプリマー新書)書影

顧みられることのなくなった偏見を引きずり降ろし、特権階級を破壊する痛快な一冊

 我々は自分の中にある偏見をなかなか自覚できない。だが、「〝悩みがない〟という悪口が成立する理由は、精神の成熟度に重きをおいているからだ」と説明されると、否が応でも自覚せざるを得ない。本書は、顧みられることのなくなった偏見、神棚に上げられてしまった偏見を引きずり降ろし、特権階級を破壊する痛快な一冊だ。もしかしたら本書も、イコライザーの役割を果たしているのかもしれない。

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